02.椿

 ぽとり。

 真っ赤に花開いた椿の花が堕ちた。

 踏み鳴らされた地面に転がるそれは花弁を散らし、広がり、まるで人の子の首のよう。


 赤い、紅い。


 それを眺める貴方様の短く切りそろえられた御髪もまた紅く――強い風に揺られる様は弾ける血飛沫の如く。

 けれど漂うのは血の香ではなく、ほのかな甘いそれ。

 椿の木が並ぶこの花畑には、もうたくさんの花々が地面に転がって、色褪せて朽ちていくのを待つばかり。

 春も間近。雪は水となり大地に染み込み、貴方様の季節開花時期の終わりを告げていたのです。


「今年もそろそろでございましょうか」

「そうさな――最後の仕事が終わったら、また冬が来るまでゆるりと休もう」


 臙脂の色を持つ切れ長の瞳は、わたくしの言葉で少し辛そうに、されど優しく細められる。

 その端正なかんばせは衰えを知らず美しいまま。身に纏う衣服……貴方様は着物と呼んでおりましたお召し物も、手に携える刀という名の刃も不思議とよくお似合いで、話している間ですら何度見惚れたことか。


 花守と呼ばれる任について五回目の開花が廻ってもなお、わたくしは花の美しさに慣れずにいるのでございます。


「……今年の最後のお勤めは、お休みになられてはいかがですか?」


 ぴくりと、眉が跳ねました。

 きゅっと引き結ばれた唇は血が滲んでいる訳でもないのに赤く、きっと切ってしまっても血が流れたかどうか分からないのでございましょう。


 悲しみは一瞬。ほんの瞬きの合間に、貴方様はこの里を守る花として、凛と瞳を前に向けるのです。


「ならない。罪人を裁き、善良な里人を守るのは私の役目だとわかっていよう」


 そうでしょうとも。貴方は守ってきた里人であれ、里に害なすものであれば手にした刀で首を落とさねばなりません。

 それを辛く思っていることも知っております。

 歯がゆく思っていることも伝わっております。


 しかしなお、貴方は大勢の人間の幸せを守るため、罪を犯した者の首を刎ねずにはいられないのでしょうね。

 この季節に跳ねる首が――貴方様の最愛の人であろうとも。


「今年はなおのこと、私がやらねばならない」


 会話の間にも時間は過ぎ去るのは止められず。

 何人もの男が貴方様の花畑にやってくる。たった一人の罪人を引き連れて。


 椿の木が並ぶこの場所に、お世辞にも似合うとは言えない男たちが乗り込んでくる。

 足元の花々を踏みつけ、蹴り飛ばし、それを気にも留めず花人様の御前で首を垂れるのです。

 それでいて罪に問われないなどと、わたくしの心はささくれ立ちました。


「罪人をお連れしました」


 一人の男が、ハッキリとそう述べた。

 そして引き出されたのは、縄で縛られた一人の若い男。

 ここに来るまでに暴行でも受けたのでしょう。それなりに男前だった顔立ちは見る影もなく、顔ははれ上がり、片眼には青痣を拵え、衣服などボロボロでいたるところ血が滲む傷だらけで、縄を噛まされ自害は許されないよう。それでもなお、周囲を睨むだけの気力は残っているのだと舌を巻きました。


「この者は敵対する里に与し、里長様を殺めようと画策していた。混乱に乗じてこの里を制圧させるために。この男の策により、何人もの里人が命を落としました」

「知っている。ことを収めたのは私だ」


 裏切り行為。

 貴方様は罪人に視線を落としたまま素気無く答え、罪人もまた真っすぐに貴方様を見つめ返しております。

 ともに里を守る戦友だとお互いに語り合っていた日々をわたくしは思い返す。あぁ、本当に、どうしてこうなってしまったのでしょうか。


 すらりと、花人様が刀の切っ先を罪人に向け、噛ませている縄だけ器用に断ち切られます。

 周囲が動揺しましたが、それは臙脂色の眼光を向けて口を噤ませる。邪魔をするな、ということなのでしょう。


「何か言い残すことはあるか?」


 それは憐憫か、ただの疑問か。表情を変えぬままに問うさまは、まさに守護者でありましょう。

 けれど対する男もまた、後悔などないとばかりに貴方様を見据えるのみでございます。開き直りや諦めからくる自棄の行動ではないことは、この状況においても鈍ることのない瞳の輝きからみて分かるでしょう。

 深いため息を吐かれたのも、花人様に伝わったようです。無言で彼の首の横に立たれました。そうして、頭を下げさせられた彼の項に、刀の刃を添える。


「悪く思うな。これも人々の幸せのためだ」


 刀を持ち上げたと同時に吐かれた言葉……彼に言うよりは、貴方様自身に言い聞かせているように聞こえました。 

 真正面から男の顔を見ているわたくしには分かります。彼は笑っておりました。


「なら、お前の幸せってのはどこにあるんだろうな?」


 不敵に、粗暴に、大胆に。

 挑戦するような声音での最後の言葉は、刀が振り下ろされると同時に花人様の耳に届いたのでございましょう。


 赤が刎ねました。

 とても軽々と、椿の花が落ちるかの如く。


 血が椿の花々と混ざり合って、この場の微かな甘いにおいを、濃厚な鉄錆びの臭いで塗り替えてしまう。

 こうしてまた花畑が汚れてしまった。貴方様の安らげる場所であるはずの庭が、貴方様を苦しめる呪いの一つとなってしまう。


 紅い雫が滴る刀を手に、花人様はただ静かに刎ねた首を見つめている。


「首はよい。身体の方は始末しておけ」


 いつもと違う命令に、男たちは戸惑いながらも従う。ほどなくして身体は引きずられるようにして花畑を去っていく。

 そうして男たちの姿が見えなくなってからやっと、わたくしは立ち上がり血濡れた刀を受け取りに行きました。


「お手入れはお任せください」

「あぁ……すまないな、いつも」

「いいえ、後始末はわたくしに任せて、ゆるりとお休みください。もう邪魔をする者などおりませんよ」


 それはこの凄惨な光景を見せていることに対する謝罪なのか、はたまたいつもの気丈な姿をお見せできないことによる謝罪なのか。はたまた両方かもしれません。

 このような状況で不謹慎と謗られるかもしれませんが……わたくしは嬉しいのです。私には、首だけとなった男のように、弱さを見せてもいいのだとお思いになられているのですから――。


 わたくしが血濡れた刀を白い布でくるむように受け取ると、貴方様は落ちた首を拾い上げて、瞼をそっと閉じさせ、顔や髪についた汚れを払い、着物の袖で血を拭います。

 それはもう割れ物を扱うかの如く。いつも雄々しく凛としている姿に反した、繊細な女性らしい動きで。花人に性別という概念はないのだと分かっていても、普段の貴方は男性のようなのに、今は愛に溺れるうら若き乙女のように見えて仕方がありません。

 物言わぬ首から滴る血は、ぽたりぽたりと泣かない貴方様の代わりに泣いているよう――悍ましくも美しいその情景に、私は魅せられる。


「お前は、相変わらず訳の分からぬことしか言わないのだな」


 ぽつりと、そっと零された言葉は血の香にとけて。

 ざわりと周囲が風の吹くように騒がしくなりました。


 花人様は最愛の首を抱きしめて、その場に座り込むのです。

 弱々しいその肩に触れて慰められればどれほどよかったか。けれどその役目はわたくしには担えず、担う者もまた、貴方様の肩を抱く腕も、慰める言葉もぬくもりも永久に失われているのです。


 ぽろぽろと風にあおられて椿の花々が落ちた。

 赤が舞い、樹々が泣く。


 着物から覗いている腕が、貴方様の横顔が変化をはじめる。

 肌は瑞々しさを失い、皺を刻み、枯れ枝のように色褪せて、老いていく。


 花の開花時期の終わりは、花の中から生まれる始まりのように美しくはないのです。

 人間が年老いて死ぬような、そんな最期をわたくしは何度も見てきました。


 そうして突如、貴方の身体は崩れ去り、大量の花弁が風に吹かれて舞うのです。

 風が去った後、その場に残されたのは大量の花と花弁と生首のみ。

 血の代わりに椿に埋もれるなど、罪人には贅沢すぎる最期ではありませんか。


 私はその場に置かれた首を布で包みました。そうして、花畑の中心にある、ひと際大きな椿の樹花人様が眠っているの根元にその首を埋葬したのです。


 これは気まぐれによる手向けの行為。

 手段は違えど貴方様の幸せを願った同志としての、憐れみでございます。


 花が人の幸せを守るならば、花の幸せを守るのは――……。


「これならば、貴方様の幸せは眠っている間に在りましょうとも」


 花がすっかりなくなって、緑一色になってしました椿の樹々たち。それとは反対に赤く染まった地面。

 視界に飛び込んできたのは二匹の蝶――暖かい春は、もうすぐそこに来ておりました。

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花綴り 柊木紫織 @minase001

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