最終話

 委員長が学校を去ってから三ヶ月が経った。年が明けてから慌ただしく三学期が始まると、あっという間に春が近づいていた。委員長は家庭の事情により転校したということになっていたが、人の口に戸は立てられないという言葉の通り、委員長に関するウワサは瞬く間に広がった。委員長の突然の転校にある人は驚き、ある人はその理由を勝手に考察し盛り上がっていた。普段は真面目で周囲から女王様と呼ばれているような人間のスキャンダルであればたちまちのうちに沸き上がるのも不思議なことじゃない。僕はそんな周りの雰囲気が嫌だった。


 けれどそれも卒業を前に進路について考えさせられるようになると、みんな委員長のことなどすっかり忘れてしまったかのように話題上がることすらなくなった。


 学校に通うのもあと数日となったある日僕はあの秘密基地へと来ていた。同盟が解散して以来一度も訪れていなかったが、なんとなく来てみたくなった。時刻はもちろんいつもの通り日付けをまたいだ深夜。冬の空気の中に春の匂いが混じっていた。


 たった三ヶ月離れていただけなのにとても懐かしく感じる。古びたアルミ枠のガラス戸を開ける。もちろんそこに出迎えてくれる人はいない。


 代わりにそこにいるはずのない人物がいた。


「なんで……?」


 僕がそう口から漏らすと、彼女はやや不満そうにしながら呼んでいた文庫本を閉じた。

「遅かったじゃないか。ずいぶん待ちくたびれたよ」

「石原さん……どうして」


 そこにいたのは石原さんだった。僕はなぜ彼女がここにいるのか、そのことで頭がいっぱいだった。


「なぁにたまたま散歩していたら偶然見つけてね。面白そうな場所だと思って覗いてみたのさ」


 くふふ、と口元に手を当てて笑う。瞬時に僕はそれが彼女の冗談だと見抜いた。なぜなら彼女は僕がここに来ることを知っていたからだ。不審な視線をぶつけると、石原さんは「まぁ座りなよ」と促した。


「せっかくだしそこのハンバーガーでも食べてみようか。おや? チーズバーガーは売り切れみたいだ。仕方ない」


 ハンバーガーの自販機の前で残念そうにしていた。僕は石原さんの後ろ姿を見続ける。


「君はどうして私がここにいるんだろうと思ったみたいだね」


 ハンバーガーの自販機の方を向いたまま語りかけるように話す。レンジの無機質な音が声に混じる。


 ガタン、と大きな音を立ててハンバーガーが出てきた。熱そうにしながら箱からハンバーガーを取り出していた。


「そんなに怖い顔をしないでくれ。まるで私が悪いことをしているような気分になる。にしても、これは思ったよりしょんぼりしてるね」


 石原さんが顔にかかった前髪を払いながらかぶりついた。「うん、味は悪くない」


「それでどうしてここに」

「ここはいい場所だね。彼女に聞いた通りだ」

「彼女……」


 僕には石原さんが言う彼女に心当たりがあった。


「委員長」


 口を突いて出たのは失った仲間。もう一人のエイリアンだ。


「彼女はよく君の話をしていたよ」

「僕の……?」


 なんのことか分からずにいると「これを取った時は特に嬉しそうにしていた」そう言って見覚えのあるタヌキのキーホルダーを見せた。


「それって」

「君も知ってるだろう。相川女史が持っていたタヌキのマスコットだよ」

「それはわかるよ。それがどうかしたの?」

「まだ分からないかい? 君はどうやら探偵失格のようだ」


 石原さんがからかうように肩をすくめる。


「彼女の大学生の彼氏というのは私のことだったんだよ」


 なにを言って……。


 なにが起きているのか分からなくなってきた。僕は目眩を感じていた。


「いつか君が聞いた彼女のウワサ、あれは私と相川女史のことだ。たまたま一緒になって遊んでいたところを誰かに見られ、私を男と勘違いした子が彼女の彼氏だと思ったんだよ」

「それじゃあ」

「ウワサがウワサを呼んだ結果、私はいつの間にか相川女史の彼氏になっていたということさ」


 石原さんは教師が生徒に物を教えるように愉快そうにしていた。


「じゃあ委員長の妊娠は」

「残念だがそれは本当の話だ。彼女は間違いなく妊娠していた。以前私が君に聞いただろう? 彼女の様子はどうかと。あれはそういうことだよ」

「そんな」

「あの時彼女のお腹の子は引き返すことが出来ないところまで成長していた。が、幸か不幸か彼女のお腹は目立たなかった。そこで私が彼女の彼氏役になることで彼女が妊娠しているという事実から矛先をずらした。いや、ずらそうとしただな。だが、目論見が甘かった。他の誰かに見られるということまで予見していなかった」


 チッ、と舌打ちする。石原さんらしくない姿だった。


「でもなんで」

「なぜそこまでするのかって?」


 じっと目を伏せていた石原さんが顔を上げる。潤んだ瞳がまっすぐ僕を捉える。僕はその視線から逃れることができない。


「なんでだろうね。ただ……一つ言えるのは、私は私の大事な人の悲しむ顔を見たくはなかったからだろうねきっと」

「それは委員長のこと?」


 僕が聞くと石原さんは首を横に振った。


「私が相川女史に手を貸したのはただのなりゆきだよ。私が守りたかったのは君だよ、コウくん」


 コウくん。彼女にそう呼ばれて胸の奥がズキリと痛んだ。


「──やはりこの呼び方は嫌みたいだね」


 直後、石原さんが表情を曇らせる。僕は視線を逸らした。


「そんなつもりは……」

「わかっている。君にそんなつもりはなくとも、心は正直だ。だがとっさに浮かべたのは彼女の顔だろう?」

「……」


 改めて指摘されて僕は答えを返せないでいた。


「君はどうして私が相川女史に手を貸したかわかるかい?」


 僕は首を振る。石原さんは「だろうね」と答えがわかっていたようだ。


「そもそも私が彼女に手を貸すことになったのはほんの偶然なんだよ」


 そう切り出すと石原さんは話し始めた。


 石原さんが偶然街で委員長と会ったのは今から半年前、ちょうど僕と委員長が同盟を結成した辺りだった。いつものように夢見鳥で古本を探しに街へ来ていた石原さんは近くにあるゲームセンターで委員長の姿を見つけたそうだ。まさかあの委員長が? と思った石原さんは最初は興味本位で話しかけたそうだ。なんでもクラスの男の子にゲームセンターの話を聞いて行ってみたくなったそうだ。その話を聞いたとき、すぐにそのクラスメートというのが僕のことだろうと気づいたらしい。


 委員長はゲーセン入口の近くにあるあのタヌキのキャラクターのマスコットを取ろうと奮闘していた。しかし、クレーンゲームに慣れていない委員長はもう何百円も使っていた。見かねた石原さんが手を貸すとすぐにたぬきのマスコットは委員長の手に収まることとなった。あっさりと取れてしまったことに若干のつまらなさを感じていたが、そんな石原さんとは対照的に委員長は普段の様子とは違い、満面の笑みで喜んでいたそうだ。


 へぇ、こんな表情もするんだ。それが石原さんが抱いた素直な感想だった。


 それ以来たまに街で会うようになり、街で会った時はゲームセンターに行ったり夢見鳥に一緒に行ったりしたそうだ。そんな風に過ごしていると、あるとき委員長から自分が妊娠していることを告げられたそうだ。委員長が石原さんに話してくれたのはほかに話せる人がいなかったからというのもあるかもしれない。でもそれ以上に石原さんのことを信頼してくれているから話してくれた。その時の委員長のお腹の子供はある程度育っていたが、まだ引き返すことが出来る状況でもあった。石原さんは残酷だけどここで堕ろしてしまうことも考えの一つだと提案した。けれど委員長はそれを拒んだ。どんな理由があるにしても、お腹の中に宿った命を消し去ってしまうことだけはしたくないと強く願っていたそうだ。


 彼女の覚悟を聞いた石原さんは彼女に協力することにした。委員長に大学生の彼氏がいることにしてしまえば少なくともこういった色恋に敏い連中は勝手な想像を膨らませて本来の目的から視線は逸れるだろうと。


 しかし石原さんの思惑は別にあった。もしこのまま彼女と僕の仲が進展することがなければいいのに……と。


 事実、石原さんの思惑は僕にある程度の効果をもたらした。それ故にいらぬ想像を働かせて彼女を傷つけるようなこともあったけど。


 委員長はそんな彼女の気持ちに気づいていたんだと思う。前に僕と一緒にいったパンケーキのお店のチケットをくれたのは委員長だった。チケットを渡されたとき「コウくんと二人で行ってきなよ」と言われたそうだから。


 けれど石原さんの頑張りも虚しく、委員長の妊娠が明るみに出てしまった。申し訳ないと謝る石原さんに委員長は、今日子ちゃんが謝ることじゃない。遅かれ早かれ噂になっていたと思う。と、悟りながらけれど残念そうな笑みをしていたそうだ。それからあとは僕が知っている通りだった。


 さて、話はここまでだ、と石原さんは立ち上がった。


「結果的に私は君を悲しませることになった。これが物語の主人公なら、誰も仲間を守れなかった情けない主人公として物語は終わるんだろう」

「そんなこと」

「そんなことある!」


 そう言った彼女の横顔はどことなく泣いているように見えた。


「私がもっとしっかりとしていたら、私がもっと他に気を配っていたら、私が君のことを好きにならなければ──」


 その言葉に僕はハッとなった。


「それって」

「聞いての通りだよ。私は君のことが好きだ。君が相川女子と同盟とやらを組むずっと前から。私が本をよく読むようになったのも君がきっかけだ。それまで本なんてあまり読まなかった私が君に好かれようといろいろと読むようになった。君は以前私にミステリー以外のジャンルを読まないのかと聞いたことを覚えているかい?」

「うん。夢見鳥で会った時聞いた」

「私がミステリーやホラーばかり読んでいるのはね、君が一番最初に呼んでいた本がミステリーだったからだよ」

「え……」


 僕は石原さんの言葉を反芻する。僕と石原さんは中学からの付き合いがある。中学の頃から友達が少なかった僕は、高校と同じように図書室でいろんな本を読みあさっていた。そこに図書委員として入ってきたのが石原さんだった。中学の頃はほとんど会話なんてしたことがなかったけど、高校に入ってから図書室で再会したのをきっかけによく話すようになった。だから石原さんがミステリーばかり読んでいる理由が僕のせいだなんて想像すらしてなかった。


 石原さんが続ける。


「私は君に影響されてミステリーやホラーにどんどん傾倒していった。いつか君といろんな本の話をしてみたいとも思っていた。だけど私は臆病な性格だから君に話す勇気がなかなか出なかった。高校で再会したときは本当に嬉しかった。だから今度こそちゃんと君といろんな話をしよう、本の話だけじゃなくて君の話や私の話をしようと。ずっと思っていた。だけど、いざ話そうと思うとやっぱり勇気が出ない。だから君と話そうと思って声をかけたとき私は自分を演じることにした。私がどうしてこんな奇妙な喋り方をしているのはそのためだ。そのせいかずいぶんと女子高生らしくなくなってしまったけれど」


 石原さんはじっと僕を見つめる。今の彼女は僕の知っている石原さんじゃない。普通の女の子としてあろうとしている石原今日子だ。


「……実はね、相川さんのウワサを流したの私なんだ」

「それって……まさか」

「違う! あの子が妊娠していることは話してない!」


 問いただすように語気が強くなる。石原さんは懇願するように僕の方を抱いた。


「……初めはほんのヤキモチ程度の気持ちだった。コウく──岡本くんと相川さんが仲良くしている姿を見るのが辛かった。だから二人の邪魔をしたいっておもってた。だから相川さんに彼氏がいるって嘘のウワサを流した。そうしてしまえば二人が進んだ関係にならないと思ったから。でもさ、いくら二人の邪魔をしたとしても私が変わらなきゃ何も変わらない。それどころか私が邪魔をすることで岡本くんが悲しい顔をすることのほうが辛かった。もしさ、もし私がもう少し人付き合いが上手ければ違った未来もあったのかな。そうすれば彼女がいなくなることも、君に好きだとちゃんと伝えることが出来たのかもしれないね」


 言い終わると同時に石原さんが僕の唇に自分の唇を重ねた。


「……さっきまでの私は私じゃない。だからきっとこれで君と会うことも二度とない。次に会うときはいつもの石原さんでいるようにするよ」


 それが僕が石原今日子と交わした最後の言葉だった。



 数日後、僕は高校を卒業した。


 智也は「これで学校ともおさらばだぜ!」と体育館で卒業ライブという名のゲリラライブを敢行して最後の最後まで先生に怒られていた。その後で僕だけに「……委員長も一緒に卒業出来たら良かったのにな」と寂しげにしていた。僕は静かに頷いた。


 高校を卒業すると僕たちはバラバラになってしまった。智也はバンドの仲間と上京して小さなライブハウスで活動しているらしく、石原さんは京都の女子大へと進路を決めた。


 僕は辛うじて地元の大学へと進学し、無事留年することもなく卒業を迎えた。


 それからしばらくしてまた彼女と過ごした秋がやってきた。


 ふと思い出したように高校生の頃に乗っていた錆びついた自転車を引っ張り出す。何年もメンテナンスしてないせいで見る影もないほど酷い有様だった。引っ張り出した自転車をそっと戻すと、乗ってきた車に乗り込んだ。


 記憶を頼りに車を走らせると家から十分も足らずに目的の場所に着いた。


 かつてドライブインがあったその場所にはもうなにもなかった。長い間放置されていた土地なのか、雑草が生い茂っていて、そこにドライブインがあった痕跡すら見当たらない。傍らのコンビニで話を聞くともう何年も前に取り壊されたそうだ。もともと人が利用している気配もなかったから、取り壊したんだろうと教えてくれた。


 妙な虚無感を抱きながら、再び車に乗り込む。座り慣れた運転席に背中を預けると大きく息を吐いた。


 そりゃそうか。あれから何年経ってると思ってるんだ。俺もいい年になって、結婚を意識した彼女だっている。変わらない方がおかしいんだ。


 なにかを振り切るようにハンドルを握る。陽が沈もうとしていた。


 家路に着くと母親が俺に一通の手紙を渡してきた。そのどこかで見覚えのある水色の封筒、それとそこに書かれた懐かしい文字。宛先は岡本幸四郎さまと書かれていたが、封筒の裏面にはもう一人のエイリアンへ、と書かれていた。俺はおもむろに封を切る。中には数枚の手紙と一枚の写真。


 手紙には俺に対する気遣いと一緒にの近況が書かれていた。


「……なんだよ。元気そうじゃん」


 俺は知らず泣いていた。悲しいわけじゃない。かといって嬉しいかと言われたらそれもわからない。ただ涙が溢れてきた。


 手紙の差出人はこの星の僻地のどこかにいるもう一人のエイリアン。写真の彼女の横には彼女に似た女の子が写っていた。





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エイリアンズを聴きながら ウタノヤロク @alto3156

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