文章がおかしい文章が

脳幹 まこと

おかしいのは彼らの方だ

1.

 一ヶ月前、「文章がおかしい文章が」というコメントが出たのはごく一ヶ月前のこと。

 しかし、その当時は読み返しても特に問題はなさそうだったので、一ヶ月前のコメントは放っておくことにしたのだ。やはり特に問題はなさそうだった。

 当時は問題なさそうだったのに、その日を境に同じコメントを送る人が急増した。急増したコメントの内容は一ヶ月前のコメントと同じく「文章がおかしい」旨だった。何度読み返しても問題はなさそうなのだが、一向に減ってくれなかった。

 とは言え、別に仕事に支障が出ているわけではない。小説投稿だって趣味なのだから、別に本人の勝手にしてもいいだろう。お金だって取っていない、あくまで趣味なのだから。一向に減ってくれないのは何故だろうと思っていたが、特にそれでお金を取っているわけではない。

 コメントを送った人達の小説を読んでみたが、別に特別上手いわけでもない。心象描写なんて本当に笑えるほどだ。そんな「文章がおかしい」なんて批判出来るほど特別上手いわけでもない。やはり勝手なのだ。彼らもあくまで趣味なのだから、別に上手い必要もない。だから別にどうってことはない。だが、だったら「文章がおかしい」なんてコメントを出すべきではないだろう。趣味なのだから。

 しかし、なぜだか分からないが、私の小説はトンと評価されなくなった。ひどいものだ。別に評価されるために書いていたわけでもない、あくまで趣味で書いていたので、だから別にどうってことはないのだが、それはすなわち、今まで出来ていたことが出来なくなったことを意味するので、なんとも歯痒い思いをした。コメントは増えていたが、ぼちぼち減っていった。見向きもされなくなった。

 私はコメントを送った人達の小説に同じようにコメントを書いてやった。「文章がおかしい文章が」と丁寧なことに一ヶ月前のコメントそのままを送った。別にいいんだ。趣味で書いているのだから、どうせ彼らだって仮におかしくなったとしても、それで人生がおかしくなるわけでもないのだから。私の小説はトンと評価されなくなった。評価されていたのに、あのコメントが出て以来だ。


2,

 私は昔の自分の作品を読むことにした。妙なことに気付いた。なんだろう、上手く表現できないが、昔の自分の作品は、コメントを渡した彼らの作品と似ていて、今の私の作品はどうにもそこから外れている気がした。しかし、小説なんてそんなものだろう。気分次第で明るくなったり暗くなったりするものだ。特にこれは趣味で書いているのだ。別にどうってことはない。どうってことはないのだ。

 しかし、なぜだか分からない。私の小説はトンと評価されなくなった。昔の私は評価されていた。評価されていた。どうしてだ。皆の心変わりの原因は一体何だろう。「文章がおかしい」と書かれていたあのコメントはなんだろう。趣味で書いているのだから、そんなにネチネチと書かなくてもいいはずなのだが。

 私はそこで昔の自分の小説を下書きにして新しく書き直すことにした。昔の自分の小説なら評価されるはずだ。あんまり良い気分ではない。まるで評価を求めているみたいで気分は良くない。別にそんなものは欲しくなかった。だが、出来ていたことが出来なくなるのは歯痒いことだ。そうでしょう。

 書き直す為に文章を眺めていると昔の自分を思い出す。この作品を書いた経緯を、どんな思いでこの作品を書き、どんな思いでこの作品を書いたのか――

 書き直す作業自体は順調に進んだのだが、「文章がおかしい」というコメントがちらついて作業に集中出来なかった。趣味だっていうのに、どうしてそんなにネチネチと書くのだろう。このコメントのせいで私の小説はトンと評価されなくなってしまった。そうでなければ、今だって楽しく書けていたはずなのに。彼らだって趣味で書いているわけなのだから、お互い様のはずだ。彼らの反応を見てみる。彼らに送ったコメントは特に見向きもされていなかった。私の小説と同じようだ。私の小説と同じだと、同じ訳あるか、同じであってたまるか。くそ、ネチネチと細かいことを、あくまで趣味の小説に向かって。


3.

 できた。今の私が出来る最善の方法、昔の私との共同合作だ。実にロマンがある。素晴らしい。心象描写もばっちりだ。彼らの心象描写は笑える。私の心象描写はばっちりだ。彼らのものとは違う。投稿ボタンを押す。一応保険として「リメイクしてみました」という文面を載せておいて。

 久方ぶりに少し緊張した。最初の頃を思い出させる。あの時は緊張していたが、緊張していた、緊張、緊張。彼らは優しく迎え入れてくれた。彼らは優しかった。だからこれは間違いなのだ。「文章がおかしい」だなんてコメントをくれたこと自体が、まったくのでたらめ、大間違い、本当は別の誰かの作品に対する指摘のつもりだったのが、間違って私に対して投稿してしまったのだ。そうか、それなら話も通る。彼らが見向きもしなくなったのは、何故か。何故だろう。でも間違って投稿してしまったのなら話は通る……なぜ、見向きもしなくなったのか。趣味の小説に対して、私の心象描写はばっちりなのに。彼らの心象描写は笑える。一ヶ月前のコメントをくれたあの人、あの人は確か私の作品によく評価を入れてくれる人だった。間違えてしまったのなら、間違えましたと言えば、話は通る。なぜ。

 そうか、恥ずかしがっているのか。まさか間違えてしまったなんて、流石に言えないか。別に良いのに。趣味で書いているんだから。気楽にやっているのだから。そんなに考えることもないのに。今度、共同合作の誘いでもかけてみるか。ライバルではなく仲間として、きっと評価もしてくれたのだから、趣味も合うのだ。そうだ、趣味も合っているなら、都合が良いじゃないか。

 面白いことになるぞ、きっと。


4.

 結論から言うと、彼らは狂っていたようだ。

 大前提として私は間違っていないのだ。昔は評価されていたし、心象描写だってばっちりなのだから。しかし、相手が狂ってしまった。理由は分からない。リメイクはスンとも評価されなかった。前は上手くいっていたのに。私が出来なくなったわけではないだろう。内容が大きく変わったわけでもない。価値観が変わったのは彼らのほうだった。共同合作含め、色々と打診してみたがダメだった。何度もコメント欄で訴えていたのだが、遂に締め出されてしまった。彼らは狂気に呑まれているようだった。誰がこんな状態にしたのだろう。いつこうなったのだろう。まず怪しいのは一ヶ月前に私に文章を送りつけた人なのだが、その人の急変の理由は分からない。急変ではなく、私がそれなりに評価されたのを見越して嫉妬か陰謀かは知らないが、裏切りを決行したのかもしれない。彼らの心理描写が笑えるのもその証拠だ。その人がきっかけにしても、他の全員が裏切りを行うなんて随分と念が入っている、そういった団結力はもっと別のことに活かすべきだと思うのだが、彼らの考えは理解不明である、私は間違っていない、間違うわけもない、昔の私はどうだったのだろうかは知らない、でも私は間違っていない、大体趣味の小説にそんなにネチネチとコメントを残したり、締め出したりする意味が分からない、意味が分からない、彼らの気持ちが分からない、狂気に呑まれた人の気持ちなんて分かるもんか、分かってたまるか、では昔の私も狂気に呑まれていたのか、知るか、知るか、知るか、けれども今の私はトンと評価されない、正しいはずの私が何故か評価されない、彼らは評価されている、どうやら読者も狂気に呑まれている、評価なんて関係ないが、出来ることが出来なくなった、歯痒いことである、それだけが事実事実事実事実実実実実






5.

 私は投稿をやめたが、彼らは私抜きでもどうやら上手くやっていけているようだった。

 私は少し落ち込んだ。彼らは私に謝ってくれなかった。人が過ちを犯すことは当たり前で、私はそれを許す心構えがあった。間違いでコメントしたのだから、別に謝ってくれればよかったのだ。

 私はアカウントを消した。誰もそれに言及していなかった。

 私は間違っていないと思うので、別のアカウントを作ってもう一度彼らに接触してみることにする。

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