【3年後】(文治5年=1189年)

 高尾の秋は、一面の楓紅葉であった。

 都からさほど離れていないのに、深山幽谷の感すらある。その山腹に山門をはじめ五大堂、毘沙門堂、金堂、そして多宝塔までが軒を並べ、全く往時の姿そのままとなっていた。ことにこの日は、境内はあふれんばかりの人出だった。紅葉見物の、物見遊山ばかりではない。この日、この寺において、法華会ほっけえが行なわれる。開催はいうまでもなく今のこの寺の主、中興の祖である文覚であった。

 五大堂の方から金堂へ昇る石段を、人々の群れがはい上がってくる。そんな様子を文覚は、金堂の外郭の格子を少し手で押し上げて見ていた。

「若いな、みんな」

 隣にいた青年僧の明恵みょうえに、文覚はため息とともに言い捨てた。その直後である。人の群れの中に若くはない人たちがいるのが、文覚の目にとまった。七十は越えているであろう老僧が二人、それに在俗の貴公子が付き添っている。老僧のひとりは見知っていた。昨年選集された七つ目の勅撰和歌集『千載集』の選者であった釈阿入道だ。そうなると在俗の貴公子は、その息子の左近少将定家ということになる。

「おい、もうひとりの、年とった坊さんは誰だ?」

 尋ねられた明恵も、格子のすきまからのぞいて見た。

「さあ、どなたでございましょう。ただ、今をときめく歌人御父子と同行なさっているということは、もしかしたら……」

「んんッ! なにッ?」

 しばらくは黙って、文覚は老僧をじっと見ていた。

「わしが常々頭をかち割ってやろうと言ってたやつが、あいつか……」

 やがて法華会が始まった。


 文覚は法華会が終わってから、釈阿をつかまえた。参拝者は三々五々に、帰途につこうとしている。釈阿の方はしきりに懐かしがっていたが、そんな挨拶をさえぎって、文覚は単刀直入に同行の老僧の名を求めた。はたして、思った通りの名だった。そこで文覚は明恵の叔父でやはり歌僧である上覚坊行慈に頼んで、その西行を僧房の方へと招いておいてもらった。

「お上人様。どうかお手荒なまねだけは……!」

 明恵はほとんど泣きそうな顔で文覚にすがったが、文覚はただ笑っていた。


 対座した西行を、文覚はじっと見据えた。

「お呼びしたのは、ほかでもござらぬ。拙僧、かねてより御坊にどうしても意見したく、時を待っておった。御坊というお方は」

 と、先に口を開いたのは文覚の方だった。

「僧形をとりながらも仏道専修せずに数奇をたてて歌を詠み、ここかしこにうそぶき歩いておられるご様子。かねがねお伺いしたいと思っておったのだが、それがまことの仏弟子の姿でござろうか」

 西行は答えずに、目を閉じた。

「ご返答はいかに!」

 文覚の大声音おんじょうが、僧房に響く。

「お若いのう」

 それだけを西行は言った。先ほど文覚が法華会に参列する人々を見ていった言葉が、今度は文覚に返ってきた。

「何と申される。わしはもう五十を過ぎた。おそらく七十を過ぎておられるであろう御坊から見れば、たしかに若いかもしれぬ。だが今ここで、それを言われる筋合はない」

「あの頃のままだ。結構、結構」

「あの頃?」

 西行はうすら笑いを浮かべただけで、じっと、文覚の目を見た。

「ではこちらからお伺いするが、僧が歌を詠むのはいけないことなのですかな」

「いけなくはないが、そればかりに専念するのはいかがか。形ばかりの偽坊主といわれても、しかたがなかろう」

「ではそもそも御坊は、私がなぜ歌を詠むのか御存じかな」

「名利でも求めてか」

「いや、違いますな」

 西行はひとつ、咳払いをした。

「歌の神髄を申し上げよう。人は花、郭公、月、雪などを歌に詠みますな。私も詠みます。だが私はたとえ花を詠んだとて、それを花とは思っておりませぬ。そのような、名前がつく前の世界を興じているのでござるよ。花が花と名付られる前に感じられる花、それに興じており申す。興ずるがゆえに興ずる、それが歌となって生まれづるというわけでござる」

「分からぬ!」

 文覚は叫んだ。西行はまだ、微笑んだままだった。

「お父上によく似ておいでだ」

 文覚の眉が、少し動いた。

「父? 父とは?」

「御坊のお父上でござるよ」

 文覚は怒りの顔を少し収め、首をかしげた。

「我が父を存じておられるのか」

「御坊のお父上とは若い頃に、ともにそれぞれ北面、滝口の武士として仕えた仲じゃ。よう喧嘩もしたがな」

「それはまことか……」

 西行とはこの日が初対面だと思っていただけに、意外な成り行きに文覚はしばらく言葉も出ないようだった。

「さあ、ここからが大切でござる」

 西行の声に、張りが出てきた。

「歌とは人間の模倣ではござらぬ。神明の、そしてみ仏のみこころの模倣でござる。浄土とは歌の芯となる心の充ちているところ、その模倣が歌であり絵画であり管弦なのでござるよ。そを人間界のすさびものになしおる末法の世はいかにやいかに。歌はこれ如来の真の形体で、一首読み出だしては一体の尊像を造ることと同じ、一句を思えば秘密の真言を唱うると同じと心得る。御坊は私が仏道に専修せざることを言われるが、歌によって法を得ることもござれば……、のう」

 西行は目を細めていた。文覚もしばらくは目を見開いているだけで何も言わなかったが、やがてゆっくりと口を開いた。

「ところで、先ほどわしのことを、あの頃と同じとか……」

「お忘れかな。御坊が武人であった頃に、お会いしておるのだが」

 文覚は怪訝そうな顔で、西行をじっと見た。そんな文覚に、西行はゆっくりと言った。

「私はいずれ御坊に会うて詫びを言わねばと、ずっとその機会を待っておった。そうしたら釈阿殿よりこの法華会のことを聞き、もう老い先短き身、これを逃してはまたの機会はないと思い、御坊にお会いするためにわざわざ参ったのでござる」

「詫び? わしに何の詫びを入れると申されるのか?」

「あの時私は御坊に、いえ、仏門に入られる前の若き武者に心のままに道を勧めた。精進なされよ。覚悟はおありかなと。しかしその言葉が、大いなる誤解を与えてしまった」

 文覚の眉が動いた。そしてしばらく黙って、じっと西行の顔を見ていた。やがて文覚は、

「ああッ!」

 と、大声をあげた。そのあとはただ、口びるを震わせていただけだった。そしてやっと、

「あの時の、あの時の大徳様……。」

 とぽつんと言うと、文覚は突然座ったままずり下がって、木の床に頭をこすりつけた。そして激しい口調になって、叫びに近い声を上げた。

「お会いしとうございました。今生では無理かとも思っておりましたが、それをこうして老齢に達してからお会いできるとは……」

「お手を上げられよ」

「いえ。拙僧こそ詫びを入れねばならぬのでござる。せっかくのお論しを曲げて、人の道を誤ってしまいましたことが、返すがえす申しわけなく……」

「すべてが昔のこと。そのお心をこそ、み仏は御照覧下さっておりまする」

 西行の声も、だんだんと涙声になっていった。文覚に至っては号泣だった。二人の老僧は泣きながら、しっかりと抱き合った。二つの魂は、今たしかに出会ったのである。


 西行が高尾を辞したのは、法華会の参列者ももうすっかり帰り果てた、夕暮れ近くだった。帰りじたくを西行がしている間に、明恵はそっと文覚に耳打ちした。

「安堵致しました。かねがねのお言葉通りの、流血沙汰にはならずに……」

「たわけ!」

 文覚の一喝がとんだ。

「あれが文覚に打たれる者のお顔かッ! 文覚こそ打たるる者ぞ!」

 その明恵が山門下の谷まで、西行を送るように言いつけられた。

 

 石段はかなり急な降り坂で、正面の同じ高さの山との間の低い谷の川沿いまで下る。坂道の両側には紅葉が、まるで血に染められたようにして燃えていた。それに夕陽がさして、さらに紅葉の色を映えさせる。

 西行は、何度も足を止めた。その度に明恵はつきあった。西行は紅葉から若者へと、視線を移した。

「そなた、いくつになる」

「はい。十七でございます」

「若すぎる。私は文覚上人の五十という年をうらやむ。しかしそなた程であったらうらやむどころか、もう別の世界のお人のように感ぜられるよ」

 少しだけ西行は笑って、また歩きだした。

「私もそなたの年頃には、そなたのように目が輝いておったのかのう」

 青年もまた、はにかみの笑みを見せた。山門を出てふりかえると、石段の上の楼門の背後から、ちょうど夕陽がさすかたちとなった。夕陽の赤と紅葉の赤――赤一色の世界だった。

「あの夕陽の向こう、西方浄土にわが知己も、多くは行ってしまった」

 西行は夕陽に向かって立たずんだまま、手をあわせて目を閉じた。そばにいる明恵は無言だった。

「伊勢平太清盛――権力の頂点まで昇りつめて、あざやかに死んだ。遠藤六郎持遠――突然怒ったあいつも、息子の事件では苦労しただろう。皆、それぞれの人生を歩んで、そして秋を迎えた。私も今、人生の秋だ」

 赤い落日は、あまりにも悲しげだった。

「私もそろそろわが号のごとく、西方浄土を求めて行こうかのう」

 西行は、ゆっくりと歩きだした。明恵はそんな西行の手を引こうとした。その手の上に西行は自分の、しわだらけの手を重ねた。そして、

「頼むぞ」

 と、ひとことだけ、西行は言った。

 西行がその言葉通りに、最後に庵を結んだ河内の弘川寺のはなの下から春に浄土へと旅立ったのは、その翌年の如月きさらぎ望月もちづきの頃であった。


――願ひおきし 花の下にて終はりけり はちすの上もたがはざるらん(釈阿)――


 その二年後の建久三年=1192年に、源頼朝は征夷大将軍に任ぜられた。そして文覚が舌禍により後鳥羽院に疎んじられて対馬に流罪となり、その護送途中で逃亡して、自らが頼朝の願によって建立した飛騨と美濃の国境くにざかいの威徳寺に逃れようとし、その近くの舞台峠にて急な病を得て六十七歳でこの世を去ったのは十四年後の元久二年=1205年ことであった。頼朝の死後から六年がたっていた。


(それぞれの秋 おわり)

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それぞれの秋 John B. Rabitan @Rabitan

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