(38)苦しみの始まり

 冬至、クリスマス、冬休み。その後は久方ひさかたぶりに平穏な日常がもたらされた。とはいえ、年明けに予定している二回目の図書移動の準備で図書部自体は混沌こんとんとしていたのであるが。


「博貴、いつも思うのですが皆さんのバイタリティはどちらに仕舞われているのですか。戦闘時以上だと思うのですが」


 一瞬、以上を異常と言ったようにも聞こえたが、内田の悲鳴のような指摘を無視して作業に没頭した。そのせいで父親の誕生日を忘れ、五十男の哀愁いあしゅうの当たりにすることとなった。

 そして、大晦日おおみそか浜町はまのまちはずれにある赤寺あかでらへ内田と二人で出かけた。


「そういや、内田って鐘撞かねつきとか行ったことないんだよな」


 という何気ない一言によって母親から追い出され、こうして極寒の地へと赴くこととなってしまった。さらに、よく考えることなく突撃してしまったため早々と鐘撞かねつきが終わってしまい、やる事無く町をふらつくこととなってしまったのである。そのため、初詣はつもうでの時間までフルーツ葛湯くずゆを飲みながら、鐘が永久の出征しゅっせいおもむいているこの寺でのんびりしていた。


「それにしても、外の世界には知らないことがたくさんあるのですね」

「だろ。まあ、本当はこんな時間に外に出るなんて有り得ないんだけどな」

「ですね。お母さんはある種の豪傑ごうけつですから」


 内田の一言に思わずうなずいてしまう。内田の口調からはいとおしさがにじみ出ているが、私からすれば皮肉でしかない。


「しかし、この一年は色々とありました。来年は何事もなければいいのですが」


 内田の表情はどこか優しい。一族のあだったことで肩の荷が下りたのか、それとも、一先ひとまずはレデトールのの手から逃れることができたことで安堵あんどしたのか。いずれにしても、今の彼女からは微塵みじんの覇気も感じられなかった。


「それで博貴、お具合はよろしいのでしょうか」

「ああ、とりあえずはな。まだ感触は手に残ってるが、それを忘れないことにした。それで、少しは気が楽になった」

「忘れないのですか」

「ああ。普通は忘れるんだろうが、そんなことはできない。だからこそ、覚えておくことにした。これからもこうした事が起きれば、私は必ず覚えていく。抱えていく。命を奪うことをしたくはない。が、奪ってしまった以上はそれを忘れてはいけない。それが、私の戦士になるための条件なんだと思う」


 ハバリートの最後の言葉。それを飲み下す方法は私にはこれしかなかった。命を奪ってしまった以上、できることは一つ。相手のり方を覚えておくこと。そして、その「責任」を負うこと。


「戦士、ですか」

「ああ。戦いに身をゆだねてしまった以上、仕方がない。ただ、命を奪わないで済むように戦うつもりだけどな」

「殺さずの誓い、ですか」

「ああ。殺して解決する戦いはない。負の連鎖を食い止めるためなら、多少の痛みは引き受けるつもりだ」

「全く、博貴は煩悩ぼんのうが多すぎるようですね」


 内田がかすかに笑う。それこそ、以前の内田であれば諦観ていかんを含んだみであったのかもしれないが、今の内田からはそうしたもの悲しさが微塵みじんも感じられなかった。

 寺の奥から新年を祝う声が響く。炊き出しの炎が一段と高い音を上げ、初春の喜びをうたう。それと同時に、


「内田、今」

「ええ。近くを強力な技令士が通ったようです。それも、私達の知り合いではない誰かが」


背筋を凍りつかせる強大な力の気配を一瞬感じた。これも新春に釣られて現れたものなのか。それとも、年を越してしまった魔物であるのかは分からない。いずれにせよ、その鮮烈せんりつな印象だけが脳漿のうしょうにへばりつき、うみとなって深奥しんおうに刻み込まれた。


「まあ、殺気はありませんでしたから、今日はそのままにしましょう」

「そうだな。ま、気でも取り直して初詣はつもうでに行くか」


 明るく振る舞う境内けいだいに、あどけなさを装う二人。全てが虚構きょこうのように思える世界の中で、しかし、次の戦いの気配だけはしっかりとかげを落としていた。




 戦いは始まったばかりにすぎない。そう、この街は警鐘を鳴らしていた。

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何もない日常が好きな図書室の少年は美少女に襲われ英雄を騙られ世界を護るために戦うⅠ 鶴崎 和明(つるさき かずあき) @Kazuaki_Tsuru

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