終章 往く当てもない 旅の始まり

(37)虚ろ

「勝ったようだな」


 あの一戦の後、辻杜先生の口から放たれたのはこの一言であった。淡々と、抑揚のない声。そこには諦観ていかんだけが存在し、勝利という事実だけを読み上げていた。

 それだけに、現実への復帰はいとも容易たやすく完了し、何事もなかったかのように学校生活へと溶け込んでゆく。幸いなことに渡会の回復は早く、決戦の直後には意識を取り戻した。


「おいおい、俺が寝てる間に終わっちまうなんてつまんねぇな」


 事情を聴いた渡会の第一声に、その場にいた全員が安堵あんどしたのは言うまでもない。司書の塔の老婆も回復の状況を見て異常はないと加えていた。

 ちなみに、辻杜先生が率いていた第二隊の方も同日の昼には掃討作戦が完了し、夕刻には引き揚げてしまっていた。千騎規模の総攻撃に対して他の部員も奮戦し、一人も欠けることはなかった。ただ、やはりというかなんというか、辻杜先生の跳梁跋扈ちょうりょうばっこたる活躍は凄まじく、参戦して十二分後には終戦していたという。

 あと、帰りがけに私と山ノ井が付き添い、内田の一族があった村の跡地を訪れた。焼け野原となっているそこには、残されたわずかな木材の前にひざ上までの高さのある石が置かれていた。それを前にして内田は静かに頭を下げ、振り向きざまにかすかな微笑ほほえみを垣間かいま見せた。

 こうして様々なものが元通りとなってゆく中で、私達は日常へと戻ろうとするのであった。




「ほら、はよう起きんね。はいせんと、学校におくるぅよ」


「お早うございます、博貴」


「ったく、なんかまだだりーな」


「それじゃあ始めるぞ。起立」


「皇国の興廃この一戦に在り」


「そこ、なまけっとやったら、二周増やすぞ」


「うっわまじかよ。写させてくれよ」


「ですので、合成抵抗は十二オームになります」


「食材の旬の特徴は何か覚えている人」


「普通選挙を求める動きが広がりましたが、当時の政府は同時に共産主義、平等主義に対して警戒をしていました。そこで、一九二五年に普通選挙法と治安維持法を定め、二五歳以上の男子全てに選挙権を与えると同時に、危険な考えを持つ人を捕まえるようになりました」


「二条里君、大丈夫ですか」


「博貴、どうかされたのですか」


「にっちゃん、この本面白かったよ」


「おい、二条里、それ場所ちがわねぇか」






「二条里、起きてしまったことだ。気にするな」


 夕刻。気が付けば私は表情を殺した辻杜先生の目の前にいた。同時に、恐ろしい程の圧力があり、背筋が全く前へと動かなくなってしまっていた。


「な、何のことですか」

「とぼけるな。お前は昨日、ハバリートを殺したことに強い後悔こうかいを覚えている。今日一日見ていたが、どう考えてもほうけてしまっている」


 言葉が出ない。

 ハバリートが私の剣でその胸を貫いた時、私は確かに、肉を割く感じと鼓動の静まりを覚えた。


「殺す、ということだ」


 ハバリートの最後の言葉が頭の中で反芻はんすうされる。どのような言葉でつくろったところで、ハバリートは私の手によって息えた。そして、その生をぎ取るという感覚は確かに、私の手の中に残ってしまったのである。


「すぐに受け入れる必要はない。だが、相手がこちらの命を狙ってきた以上、それを奪ったところで後悔する必要もない」


 先生の言うことも分かりはする。実際、私は一晩、自分にそう言い聞かせてき上がってくるものを必死で抑え込もうとした。が、そのような子供の浅知恵に負ける程「死の感触」は軽いものではなかった。


「と、言ったところで日常に戻れるようなら楽なんだがな。俺も未だにあの感覚だけは好きになれん。それに、この戦いが続く限りはその可能性がついて回る。だから、早目に決着させるより他にない」


 先生の言葉に息をむ。


「続く限りって、先生」

「ハバリートは先遣せんけん隊。これで止めばいいんだが、そうはいくまい。考えてみろ。ハバリートがなぜお前の持つ剣で自刃じじんしたのか」


 言われてみれば確かにそうである。もし最後の自害じがいに意味があるとすれば、私の無力化にある。技令士ではあるが戦士ではないと言っていた以上、戦士にしないために自らの命を投げたのだ。それが有効であるのは後がある場合だけである。


「落ち込むのは仕方がない。ただ、それを引きって戦うなら、お前もお前の守ると言っていた日常も全てが消えてしまう。そのことだけは覚悟しておけ」


 先生はそれ以上何も言わなかった。赤いが静かに揺れている。先生はそれを前にたたずんでいた。

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