(36)戦し(せんし)

 明朝。十二月半ばにしては薄気味悪いほどに暖かい日差しの下、私は頭に走る激痛と共に起床した。ゆっくりと身体を動かし、肉体と精神をいたわる。異常は目覚めの一瞬しかない。それを確認すると、私は隣で高鼾たかいびきをかいている渡会の様子を窺った。

 一見したところ、彼の肉体に異常はない。が、十重とえ二十重はたえに張り巡らされている回復技令の施術を確認すれば、それがまだ、予断を許さない状況であるのは判断できる。この様子では、目を覚ますだけでもしばらくかかるであろう。

 感覚的に、技力は七割方回復しているのが分かる。思考もはっきりとしている。そうである以上、私は一つのことに意識を集中しなければならなかった。

 どうやって、ハバリートに勝つか。

 この至上命題に対する答えは、結局、一睡しても全く思い浮かばなかった。思えば当然の話であり、既に思いつく限りの秘策も、使える技令もアイテムも全て放ってしまっていたのである。人も足りない。それでも、今までの戦闘は薄氷を踏むような中での判定勝ちでしかなかったのである。一本を取るにはまだ、十分とは言えなかった。

 とはいえ、希望が全くないわけではない。内田が使えるようになった雷技令の使い方如何いかんではわずかに勝算が出てくるだろう。だからこそ、ハバリートは逃げた。そうでなければ、あのまま怒りに任せて奴は私達を殺しにかかっていただろう。想像以上にハバリートは冷静である。二度の退却は深手を負ったからとはいえ、分析の結果である。めてかかっていては一瞬で消し炭になってしまう。

 森の空気を全身に浴びる。明確な指針も晴朗せいろうたる機運きうんもない中で、それでも、気分だけは精一杯前を向くようにしていた。陽光も指向性があるからこそあれだけ人を魅了するのかもしれない。そうした思いの下に、私はその矜持きょうじを大切にしていた。


「お目覚めですか、二条里君」


 声の主もまた、同じ矜持きょうじだったのだろう。冬日を正面に、蒼天そうてんを穏やかに見詰みつめていた。


「内田さんはもうお目覚めでしたよ。昨晩、二条里君を見守られて、とこかれたのは二時を過ぎていたのですが」


 そういう山ノ井も少々目の下の色が黒ずんでいる。それだけで私はたまらなく嬉しく、同時に、申し訳なく感じられた。


「決戦ですね」

「ああ。でも、戦力が全然足りない。内田が雷技令を使えるようになっても、渡会の色彩法との差し引きでゼロに近い。それに、水上も昨日の過負荷で戦闘は不可能に近いだろうし、土柄はのどが死んでるから超音波技令を出すのが根本的に不可能。実質三対一だからなあ」


 溜息ためいきが眼前に広がってゆく。切なさのままに風を受け、背筋に震えが走る。それでも、彼は静かにたたずんでいた。


「二条里君らしくないですよ。そんな無理という御託ごたくを並べられるなんて」


 思わず笑ってしまった。


「そうだよな。無理と言ってるひまがあるなら方法を少しでもプラスの方向で考えた方がいいよな」

「ですよ、二条里君らしくもない。それにまだ、私は戦えますよ」


 山ノ井は飄々ひょうひょうとして言うが、山ノ井も巨大な技令陣の維持と発動で技令の配分がおかしくなってしまっている。技力こそ回復しているものの、いつも通りの技令の発動は望むべくもない。それでも、戦うことのできる一人である以上、戦略に組み込まなければならない。


「そういえば二条里君、これを」


 私が冷酷れいこくな現実を見える中、山ノ井は穏やかな表情で一本のピンを差し出した。


「辻杜先生から預かってきました。もし、戦いが二日にわたるようなら使えと言われまして」

「そうか。なら、これは山ノ井が持ってた方がいいだろう。辻杜先生は山ノ井に渡したんだ。きっと、何か理由があってのことなんだろう」

「ええ。それは山ノ井さんがお持ちになるべきです」


 塔の方から、こちらも落ち着いた表情で内田が近づいてくる。ひどく機嫌がいいようであるが、昨日の辛勝しんしょうに気を良くしているのかもしれない。


「それは杖です。能力解放がされていない状態ですのでどのようなものかは分かりませんが、純粋な技令士である山ノ井さんがお持ちになった方がその真価を発揮できるのではないかと思います」

「でも、どう見てもこれピンだろ。それか、ゴルフでなんか地面に刺してるやつじゃないのか」

「基本的に技令士の武器は技令を込めなければその本体を現さないように細工されています。普段から武器を携行していてはあまりにも怪しまれますから。博貴の持っている司書の剣も普段はペーパーナイフにすぎないのと同じです」

「へぇ、じゃあ骨董品こっとうひん屋とかに行けば武器が転がってんじゃないのか」

「ええ。ですから、博貴も何か古いものをお持ちでしたら私に見せてください。数珠じゅずや茶器、場合によっては針の一本も武器である可能性がありますから」


 内田の一言に、私は一つだけが見えたような気がした。それを見下みおろすかのように一羽の鳥が陽光をわずかにさえぎった。




 夕刻、司書の塔の入り口に三人で立つ。その後ろには水上。結局、彼の回復は戦闘をするには十分ではなく、援護えんごとして従うこととなった。土柄と渡会は留守番となり、戦闘の面子は内田、山ノ井、私の三人となった。


「それにしても、博貴も無理をさせますね。戦闘行為のできない水上さんを参加させるなど」

「無理は承知だが、空中戦を制するにはなあ」

「それに、俺はにっちゃんに自分で行くって言ったからいいんだ。戦えないけど、俺も行きたいんだ」


 水上のまなこに意志がともる。これも、昨日の戦果であったのかもしれない。それに各自、少しずつではあるが力量が上がっている。その差分がどれ程この戦いに影響を与えるかは不明であるが、楽観と諦観ていかんって挑まなければならなかった。

 周囲が風で覆われる。圧縮された空気が全身を圧迫する。時々刻々と近づいてくる影は、やがて実体となり、巨像となり、ハバリートとなった。


「四人か。一思いに消えるがいい。正方陣」


 ハバリートが大地に光陣を展開する。その瞬間、水上が備えていた技令を放つ。


双頭そうとうわし


 水上の言葉に呼応こおうし、一羽のわしがこの世に導かれる。その二つの頭を持つわしは内田を掴み、大空へとけ上がる。


風韻斬ふういんざん


 内田の剣筋を紅の太陽が見上げる。鋭い一閃は、それでも、ハバリートをとらえることなく、むなしく空を切るばかり。


「吹きすさぶ風よ、その身を鳴らし、仇敵きゅてきに当たれ。風鳴ふうめい

「来たるべき敵より我々をまもれ。円陣」


 山ノ井が大地より攻め、私が大地で守る。それを高みよりわらう。


「そのような一重の陣で我が光陣を防げるとでも思うてか」


 風に煽られつつも内田をあしらうハバリート。だが、その直下において山ノ井は静かに一番星を見据えた。


「杖よ、その真名しんめいを解放し、我に力を貸し与えよ。いにしえの技令士ガーラよ、我に力を貸し与えよ」


 四色の光が周囲を覆う。均衡きんこうに、強大に。まるで山ノ井自身を投影とうえいするかのようなその光は、一筋となり、一本の杖となった。


「全ての災厄さいやくより我らをまもれ。竜盾りゅうじゅん


 杖が緑の光を帯び、前方一帯に半円の壁ができる。その光と光陣の輝きによってハバリートの陣を押し返す。

 天上での戦いも一進一退。戦力が向上したのか、内田はハバリートと渡り合う。が、元々の力量の差が互角、優勢という状況をはばむ。


「水上、召喚はもう一体行けるか」

「行けるけど、俺の技力だとそんなに持たない。召喚は良いんだけど、維持が」


 くれないの空に少女が舞う。闇夜やみよけ寄る。かなうべくもない競争に、大地がこたえるよりほかにない。


「タイミングを見て、二十秒、いや、十秒でいい。それだけあれば手が届く。だから」


 水上が点頭てんとうする。


「しかし、二条里君、向こうも技力は完全ではないようですね」

「ああ。だからこそ、かろうじて勝機が見える」


 山ノ井の点頭てんとう。それを合図に、司書の剣に力をめ始める。


「我が仇敵きゅうてきいててつく風を。心をも貫く冷たき風を。氷室ひむろの風」


 先手は山ノ井。空に向かって一筋の雲が貫く。冷気のせるその白刃はくじんは、しかし、ハバリートの吐きだす火炎によって霧散むさんする。


風韻斬ふういんさん

「流星剣」


 そのハバリートを内田は背後から襲う。その燃え盛る炎を光の斬撃ざんげきによって振り払う。


漆黒しっこくの戦いに一抹の光を。ラックス・ピラ」


 野太のぶといい光を一閃いっせんで追う。


「おのれ猪口才ちょこざいな、八旗はっき陣」


 異なる三つの力が交わる一点。そこで発動される技令。本来であればいずれも必殺である攻撃を前にしてなお、ハバリートは攻撃に転じる。油断ではなく、身を削る一撃。その一撃に、私も光陣を三重にこたえる。


「ダブル・カッター」


 速度で内田を圧倒し、力で斬撃ざんげきの中へ飛び込む。ハバリートは私達の渾身こんしんの連撃にわずか一撃で解答を与える。その口元には笑み。地上で光陣と争う私達を尻目しりめに、追いつけぬ内田を尻目しりめに、全力で以って勝利へと突っ込む。



 地上に、一人足りないことに気付かず。



「我が一撃に加護を。鼓舞こぶ



 山ノ井が全ての思いをナイフにぶつける。突き立てられたやいばを、しかし、ハバリートは気にする様子もない。小さな一撃。打ち砕かれる光。飛ばされる少年。相対あいたいする少女。負けるべき機序きじょ

 それを、



「目覚めよ、勇者の光。コロンの剣」



りんとした声が打ち破る。

 全てが転じた。内田の号令一過、突き立てられたナイフが剣へと変わる。二ヶ月前、岩波と対峙たいじした夕に辻杜先生から渡された一本のナイフ。それが今、真の姿を現した。




 朝の作戦会議、杖が話題に上った直後、私はもう一つの武器が頭に浮かんだ。


「内田、もしかしてこれもそうなのか」


 差し出したのは一本のびたナイフ。革製のさやにこそ入っているものの、そのよう無様ぶざまとしか言いようがなく、そのまま捨てられていてもおかしくはない。それを辻杜先生は渡した。今回の戦いでも、技令で強化して投げれば少しは武器になるというくらいの目算もくさんで持参していたのである。

 だが、辻杜先生は渡すと同時に特定の使い方しかできないと言っていた。そして、似たような形で山ノ井に杖を渡したのである。


「これは、勇者の」


 見るなり、内田の顔色が変わった。そして夕刻までの間、いかにこの剣を有効に使うかが作戦立案のかぎとなったのである。内田によればこの剣は過去の勇者が持っていた剣であり、司書の剣と同格以上の力を持つという。ただ、それ以上に重要な効果がこの剣にはあった。




 地上に向かって山ノ井が風技令を放つ。その遥か彼方で、一筋の光がきらめいた。


「我が仇敵きゅうてきに裁きの一撃を。全ての邪を払う万能の光を。天帝てんていつい


 光の支配。刹那せつないかれる天の声が白き世界にとどろく。天上より降りそそいだ勇者の技令は、真っ直ぐにかの剣に舞い降り、その力を増大させ、ハバリートを支配する。声にならぬ叫びが駆け抜け、黒い影が木々をぎ倒しながら地上に刺さる。

 ひしげる音。散る液体。硫黄いおうの匂い。その全ての中心に、うごめく肉塊にくかい。その全てが現実であり、同時に、全てが勝利の虚構きょこうであった。


「ぐ、ぬ」


 声が肉の合間より零れる。よもや、ハバリートの顔は半分もない。腕とおぼしき太いものは、細かく震えながら、私に近づく。


「この、そんか、い、では、よもや」

「博貴、離れてください」


 足がすくんでしまっている。戦いの最中では微塵みじんも感じなかった得体の知れないものに支配され、体が固まる。目の前には、同じ程度の高さとなったハバリート。そのハバリートは引きひきつる筋肉で必死に上に付いている穴を動かしていた。


「貴様は技令士でも、まだ、戦士ではない。覚えておけ」


 そう言うと、ハバリートは私の持つやいばを掴み、




「これが、殺す、ということだ」




そのかたまりの中心へと突き立てた。

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