(35)退避

 司書の塔に着くなり、私は老婆より種々の施術しじゅつを受けることとなった。内田の際には技石だったそうであるが、私の時には次々と薬草を口の中へと突っ込まれるはめとなった。技石は技力を回復するために使われたもの一つに止まり、ひど拷問ごうもんに目を白黒させながら身体の傷が回復するという奇妙な気分に苛まれたのであった。


「体力を回復させる技石が丁度切れておっての。薬草と弟切草で我慢してもらうしかないの」


 次々と薬草を繰り出す老婆の隣で、流石に内田も申し訳なさそうな顔をしている。しかし、嘆いたところでどうしようもない。明日には決戦が控えているのである。傷を残していくよりは少しでも回復して挑んだ方が良いという悲痛な覚悟が脳の奥深くに刻み込まれている。故に、耐える。只管ひたすらに草を流し込みながら精神を集中させ、少しでも多くの技力を回復させることに努めた。

 やがて老婆の手も止まると、塔の奥の方から山ノ井が姿を現した。


「二条里君、ご無事だったんですね」

「ああ。それより他の皆はどうなんだ」

「はい。水上君も土柄君も精神力を使い果たしたようで、塔に着いてからは全く目を覚ましません。渡会君は体則も空になっているようでして、今、不死鳥の羽を刺されて深く眠っています」

「あの少年はの、回復ではなく蘇生が必要での」

「蘇生って、死んだんですか」

「そうではのうて、重度の戦闘不能状態の回復じゃ。あくまでも、技令では死んだ人間を生き返らせることはできぬ。精々、心肺を復活させることや失われた両手両足を元のように生やすことぐらいじゃて」


 老婆は淡々と話すが、それだけでも十分に奇跡である。それでも、唇を強く噛む内田の様子を見れば、やはり、奇蹟きせきなどというものはそう容易たやすく起きるものではないことを痛感させられた。


「博貴、簡単なことです。人の死というのは体則の力が全て失われた状態で肉体の欠損率が五十パーセントを超えた時に起きる現象のことです。今回の場合、渡会さんの肉体の欠損率は三十七パーセントで体則の残りも一パーセントを切っていましたから、相当に危険な状態でした」

「それって、死んでるのとほとんど同義じゃないか」

「ええ。ですから『蘇生』が必要だったんです。本来でしたら、体則の残り二パーセント、肉体の欠損率が四十六パーセントに及んでいる博貴も蘇生の対象だったんですけどね」


 そう言いながら、内田は薬を容赦なく私の口に流し込んでくる。


「しかし、この様子でしたら明朝には十分に回復しそうです。本来であれば回復に二週間はかかる深手ですが、鍛えた甲斐がありましたね」

「えっ、この回復量は普通じゃないのか」

「天才的な体則士の渡会さんや辻杜先生であればともかく、普通は回復できるような傷ではありませんよ。基本的に体則も技令も回復は非常に緩やかなものです。薬を使用したところで素地がなければ微々たる回復しか望めません。ですから、博貴のように回復するのはひどく生命力の強い生物。そう、ゴキブリのような生物でなければ」


 言うに事欠いてゴキブリかと思ったものの、植物が生えるように治癒してゆく身体を実感すると、あながち否定することもできなかった。


「そういえば、博貴。水上さんに校長先生の技石を飲まされたそうですね」

「ん、何か問題があったか」

「いえ。ですが、それ程して技力を集める必要があったのかと思いまして。色々と言える立場ではありませんが、水上さんの技力はそれ程低いものではないように思うのですが」


 内田の一言に笑う。乾いた空間にわずかなうるおいが戻る。


「あれは単なるビー玉。水上の実力なら大丈夫だと思ったんだが、委縮いしゅくして力を出せそうになかったから嘘をいたんだ。力を出せるようにな」

「では、博貴は最初からこうなることを予想して下準備をされていたんですか」

「ああ。作戦を立てた時点でな。作戦を考えるなら、相手と自分をできるだけ把握しなければならない。親友の水上のことだ、分からないわけがない」


 内田のほうけた顔が見ていて面白い。無論、口に出してしまえば黄泉よみ返りの逆を辿たどってしまうので、それは必死に我慢する。ただ、その一瞬だけは私も内田も二人して張り詰めきった糸がわずかに緩んだのであった。


「それで博貴、明日のことですが」

「言っとくけど、まだ作戦は何もないぞ。それに」

「それに、何かあるのですか」

「眠い」


 思えば昨晩もほとんど眠っていない。さらに言えばこの消耗率である。これ以上、何かを考えるというのはあまりにも無茶な相談であった。


「全く、貴方に緊張感というものはないのですか」

「危機感とか緊張感とかに支配されるぐらいならそんなものない方がましだ。と言うわけで、寝る」


 意識が遠のく間際に見えたのは内田の落胆らくたんの顔。まぶたの裏に見えたのは一抹の炎。ただそれが、滅びの炎なのか、はたまた安息の火なのかは微睡まどろみの中で判然とはしなかった。

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