(34)天上の光

「ぎゃぁぁあああああ」


 ほうけた。むしろ、あの世とは空想を現実にした世界なのかと疑った。しかし、悲鳴と同時に漂う肉の焼ける匂いが私を現実に連れ戻した。

 地上から十メートル程の位置に達した時、星の一つが突如とつじょとして閃光せんこうに転じた。それはたちまちいかづちとなり、悄然しょうぜんたるよいを切りく。そして、地上に降りそそごうとする間際まぎわに、司書の剣へと落ち、ハバリートに直撃したのであった。

 全く理解のおよばない事態であった。それでも、痛みを抑え、残る力を振り絞って体を起こす。眼前に横たわるのはうつぶせで少し煙たくなっているハバリート。空を見上げるが、そこには雲一つない。自然の猛威ではなく、何かの作為さくいなのだろうか。


「くっ、何奴だ」


 ハバリートがうごめききながら低くうなる。そのうなりに応じるのはわずかに巨木達きょぼくたちのみ。しげみはれるのみで、枯れ木はたたずむのみ。多くが沈黙を貫く森の奥から、一片ひとひらの夢が現れた。


「貴方にこれ以上、大切なものを奪わせはしません」


 彼女はいつもと同じように、りんとした姿を月光の下にさらしていた。

 先刻、全ての力を振り絞って守り、その気を全て振り払った内田がそこにいる。司書の剣の呪いは去ったのか、彼女を覆っていたもやは消え失せてしまっている。引き締まった表情とショートボブの少しだけ茶色みがかった髪は健在で、何も変化はない。ただ、その手にある剣は西洋のものではなく、片刃の穏やかに力をたたえた白刃はくじんへと変わっていた。

 ハバリートが身体を起こし、地上を後にする。


「ほう、あの呪いを脱したか。しかし、脱してしまった貴様の力では、到底、我が力にはおよばぬぞ」


 上空で旋回せんかいするハバリートの高笑いが木霊こだまする。先刻せんこくまでの絶望のファンファーレに、しかし、内田は動じなかった。


「この星の祈りを天上より捧げよ。落雷」


 内田の詠唱えいしょうと共に一筋の雷鳴がとどろき、ハバリートを襲う。雲の一点もない天頂を破ったそのいかづちは、明らかに異質な自然。それこそ、古代の人々がかみなり神鳴かみなりとした時のように、畏怖然いふぜんとしたきらめきであった。


「よもや、同じ相手に二度の苦渋くじゅうめさせられるとは。覚えておくがいい。翌晩、かの地をろうし、貴様らをほうむる」

 ハバリートが憎々しげに言い残し、天空高くへと消えた。後には、大地に突き刺さる司書の剣。そして、穏やかに私を見下ろす内田だけが残された。


「博貴、愚問ぐもんかとは思いますが、ご無事ですか」

「これで無事なら、私は人間を辞めてるさ。それより、内田、今のは」


 私の問いに答えるより早く、内田は私のそばひざをついた。


「ええ、かみなり技令です。先程から使えるようになりました」

「先程って、内田の技令の気は陰で風技令が基本なんだろ。第一、さっきの戦闘で内田の技力も体力も空にしてしまった。技令なんて、否、そもそも動くことすらままならないはずだ」


 それがどんな手品を使ったのか、二回も陽の技令でも高位なかみなり技令を放っている。全く理解が追い付かなかった。


「技力も体力も司書の塔のおばあ様が技令アイテムで回復してくださいました。月のしずくと月の欠片かけらという技石が司書の塔にはあるのですが、この在庫を処方していただき、ここまで回復しました」


 そう言いながら、内田は黄色の技石を私の頭上に掲げる。それだけで、先程受けた深い傷が回復し、身体に力がいてくる。わずかな違いでしかないが、起き上がるには十分であった。


「雷技令が使えるようになった理由は分かりません。ただ、司書の剣に支配された後、博貴の陣形技令に刺激されたか、もしくは支配によって前世の記憶が蘇ったかしたために、使えるようになったのではないかと思います。おっしゃるとおり、私の技令属性は陰ですから。それに、かみなり技令は勇者ゆうしゃの技令。奇蹟きせきを起こすことのできない私は勇者ではありませんから、本来は使うことができません」


 内田の表情はいつになく穏やかだ。この仲冬ちゅうとう只中ただなかに、小春のうららかさが舞い降りたよう。そのせいだろうか、ひどく傷ついた身体を引きひきずっているにもかかわらず、私はどこか気分が良かった。

 それが、わずかにくもり、おぼろとなった。


「しかし、申し訳ございませんでした。私の思い上がりのせいで博貴をはじめ、多くの方々にご迷惑をおかけしてしまいました」

「いや、別に気にする必要はないさ。問題があるのはこんなシステムを取り入れた司書の塔が悪いんだ。それに、内田の怒りも分からないでもない。だから、別に気落ちする必要はないさ。ただ、他の四人にはお礼を言っといた方がいい。あくまでもお礼だ。謝ったら同じことを言われることになるからな」


 私の言葉に、内田が少しだけ笑う。


「な、何か可笑おかしなこと言ったか」

「いえ。ただ、同じことを山ノ井さんもおっしゃったものですから。二条里君に謝れば叱られますよ、と」


 なんとなく、その時の情景が目に浮かぶ。確かに山ノ井であれば言いそうなセリフである。彼には悪いが、私も少し笑ってしまった。


「ただ、笑うことができないこともあります。渡会さんはしばらく戦闘に参加することができません」

「そうだろうな。見たところ、限界を超える色彩法を使っていた。目が正常に働くはずがない。第一、ハバリートの最強の陣形技令を破ったんだ。それも一点で。副作用がなければ、逆にすえ恐ろしい」

「ええ、予測された通りです。一目見ただけですが、目から感じられる力が完全に無くなっていました。それに、強力な陣形技令を破るほどです。間違いなく、網膜に過負荷が掛かり、裂溝れっこうが起きてもおかしくない状況だったのでしょう。もし、博貴が回復の処置をほどこされていなければ、そのまま失明の可能性もあったのではないかと思われます」


 少しだけ、背筋に寒気が走る。思えば、十二月も半ば。危険と恐怖と戦慄せんりつとが同時に脳内へと再び去来し、麻痺まひした感覚が解けてゆくにれ、その感覚が強くなっていった。


「とりあえず、後はハバリートを倒すだけだな」

「はい。明日はハバリートも回復しているうえに、渡会さんの色彩法がない以上、厳しい戦いになるでしょう」

「でも、内田が雷技令を使えるから大丈夫だろう。それに、四人で戦えば何とかなるだろう。少なくとも、今日と同じぐらいならどうにでもなるさ」


 見るからに、内田の表情はあきれたものになっている。私の能天気な一言に耐えかねているのかもしれない。それこそ、司書の剣の一件と謎の機嫌の良さがなければひどい言われようになっていたことだろう。


「まあ、博貴のその能天気さは特筆に値します。ですが、その心持こころもちは英雄には不可欠のものなのでしょう。不安の二文字が自然と消えてゆきますから」

「とりあえず、司書の塔に戻ろう。渡会の様子も気になるし、明日の戦略も考えないといけない。急いで戻ろう」


 私の言葉に、内田は私を抱えて森の中を駆けだした。情けないことにお姫様抱っこの逆という状況であるのだが、私も深手を負っている以上、ただ雲に笑われるのを黙って耐えるしかなかった。

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