(33)殿(しんがり)

 騒然そうぜんとしていた森が無に還る。草の乾いた音がその場を支配する。その時、割れた。背中で、重い音がした。


「内田さん、大丈夫ですか」


 山ノ井の駆ける音が聞こえる。だが、それに追従することは叶わない。持てるもの全てをついやしての一撃は、私を一つの抜け殻にしていた。既に水上の召喚した剣は消えているため、司書の剣を杖にして立っているが、膝も腕もよく震えているのが分かる。上腕に至っては焼きただれたような感触すらある。思えば当然の話である。手に余る技令を二つも放ち、さらに、その真中に飛び込んだのである。誰かさんから怒られても仕方がない。

 剣を軸に、体を回す。その説教の主は今、山ノ井の腕の中で眠っていた。


「おい、無事なのかよ、そいつ」

「はい。消耗はしているようですが、息も心音もしっかりしています。それに、司書の剣の宝玉は割れ、呪いも失われているようです」


 山ノ井が、いつもと同じ穏やかな口調で語る。それだけで、安堵あんどすることができる。だが、まだ早い。問題はこの後である。


「よし、撤退しよう。急がないと、ハバリートと戦うことになってしまう。土柄、近くに巨大な敵は来てないか」

「はん、五キロ南にふとかとのおったい」


 こういった時の方言ほど辛いものはない。だが、事実は事実として認識する必要がある。五キロ圏内ということは、昨日の飛行速度から考えても追いつかれるまでに時間はない。満身まんしん創痍そういという言葉が身に染みる中、素早く決断する。


「山ノ井と水上はここで内田をまもりつつ様子を見て後退してくれ。土柄は同じように索敵をして補助に努めること。そして、私と渡会とでハバリートを迎え撃つ」

 矢ばやの一言に、一人を除いて凍りつく。山ノ井に至っては、明らかに参戦を求めている。だが、それを断ち切るかのように渡会は飄々ひょうひょうと言い放った。


「山ノ井は内田をまもって後退しな。この作戦はあくまでも内田の救出が目的なんだ。俺達なら武器があっから何とかなる。それに、ボロボロの奴を三人も抱えての撤退だ。俺達よか難しいぜ」

「ですが」

「大丈夫だ、山ノ井。早々そうそう負けはしない。それと、この近くに司書の塔という場所がある。そこで待機して、回復ができてから来てくれ。戦闘中ならすぐに交代する」


 震える山ノ井であったが、交代という一言に少しだけ緊張が緩んだ。そして、わずかに空を仰ぐと、深くうなずいてくれた。

 決まれば後は行動するだけである。私と渡会は四人の影が森の奥へと消えてゆくのを見守ってから、ゆっくりと前へと進んだ。


「しっかしよ、おめぇも無茶するよな」

「無茶って、何の話だ」

「おめぇ、体力も技力もほとんどど空だろ。つーか、この面子の中で一番きてんのはおめぇじゃねぇか。昨日から戦ってばかりなんだろ」

「ま、そんな感じだな。それでも技力はこいつで回復できる」


 ポケットから団栗どんぐりを三つ出す。


「何だ、そりゃ」

氷結ひょうけつ団栗どんぐりという技令アイテムだ。これを食べることで技力が回復するんだ。司書の塔に挑む時、内田に分けてもらったんだが、こんな時に役立つとはな」


 団栗どんぐりを三つ、口に入れて噛み砕く。少しずつではあるが、力が湧いてくるのが分かる。


「ま、それじゃ戦えるのは精々十分ぐらいだな。おめぇの体則はそんなに強くねぇんだから、気をつけろよ」

「渡会もな。体力がなくなりかけてるのはお互い様だろう」


 渡会が不敵に笑う。そんな瀕死ひんし人を連れてきた自分も自分であるが、最大多数を生存させるにはこれしかない。それ以上に色彩法がなければ耐えることもできそうにない。無茶は承知だが、仕方がない。


「ま、骨ぐれぇ、先生が拾ってくれるさ」

「その前に、戦うだけ戦わないとな」


 決心は着いている。後は迎え撃つだけだ。司書の剣を抜く。意識だけは集中し、技令を放つ準備をする。上空に緊張が走り切っているのが何よりの証拠だ。


 来る。


「ほう、その傷ついた身体で何をするつもりだというのだ」


 天頂で枯葉がさらわれてゆく。星のいななきが鳴動めいどうに変わる。雲が人々の悪夢へと転じる。真下より現れる巨大な羽。渡会の顔も珍しく引きる。

 その中でハバリートは地上へと降り立った。


「やべぇな、こいつぁ」


 見れば、表情だけでなく拳も固まっている。それ以上に、膝が笑っている。その笑いはわらいのようであり、ひどく情けない思いがした。


「完全には回復できなかったようだな、ハバリート。まだ、羽にほつれが見えるぞ」

「はっ、死にないが何を言う。気配が消えたということはあの小娘は貴様らが殺したのだろう。それとも力を奪い去ったか。いずれにせよ、今の貴様らに私を討つだけの力はあるまい」


 半狂乱となっていても、ハバリートの分析は的を射ている。あまりにも無残な現実の中で、しかし、はる彼方かなたかすんで見える光明こうみょうを見え、私はハバリートに剣を構えた。


かなわぬと分かっていても挑むか。策略的かと思えば、所詮しょせんは子供。直情的なものでしかなかったか」

「へっ。感情だけで戦える奴じゃねぇさ、こいつは。おめぇ、何も分かってねぇな。目的の為なら、自分の命もこまにしやがんだよ。目標はてめぇを倒すこったが、優先順位は全滅阻止の方がたけぇんだよ。ま、てめぇのオツムじゃ理解できねぇだろうけどよ」

「なら、貴様はこまと分かって来た愚か者か」

「馬鹿言うんじゃねぇよ。俺はてめぇに勝てると見越してきたんだ。てめぇなんざ、俺達の敵じゃねぇえさ」

「ほう、分析もできぬれ者か」

「馬鹿はてめぇだろ。御託ごたく並べるしか能がねぇんじゃ、まともな戦闘も出来やしねぇんだろうな」


 渡会は悠然ゆうぜんとしている。先程の震えも嘘のように消えてしまっている。彼に何が見えているのかは分からないが、ハバリートのいらちがつのっているのは見て取れる。強大な技力がハバリートの中で凝集する。


「小僧、ならばこの一撃を耐えきれるか」


 ハバリートの足下に複雑な線が広がってゆく。


握奇あっき陣」


 十重とえ二十重はたえに折り重なった線が光を帯び、帯となってハバリートより放たれる。その力は先程敷いた八卦はっけ陣にまさるとも劣らず、轟音ごうおんを立てて大地を割く。それを正面に見える渡会。来たるべき終末を見るかのように、その目は遠くを見えている。


「二条里、今だ。活魚陣を中心から少し外して放て」


 渡会の声に合わせて光陣を放つ。直線の光が比して弱々しく、それでも敢然かんぜんと立ち向かう。多勢に無勢ぶぜいは覚悟の上。一筋の可能性に賭け、私も司書の剣を構える。

 その時、


収束しゅうそく一点いってん臓破ぞうは


徐に渡会が中空を突いた。合わせて黄緑色の気が渡会の拳より放たれる。技令とは異質な、完全なる体則の気。その微々たる閃光が光陣の中央を穿うがつ。


「馬鹿、な」


 刹那せつな、大軍ぜんとしていた光陣が一気に乱れる。その横を切りく直線。乱れた光陣の力を合わせながら膨張し、ハバリートに特攻を仕掛ける。ハバリートは直撃の寸前に強大な光陣を放ってそれを相殺そうさいした。


「貴様、何をした」


 憎々にくにくしげな声が渡会を襲う。それでも、渡会は口元をゆるませながらげた。


「色の中心を撃って技力の偏りを無にしてやっただけさ。技令ってのは技力が偏るから攻撃になるんだ。それが無になった瞬間、残りの技力は発動中の別の技令に集まる。ただ、それを利用してやっただけさ」


 笑う渡会。だが、その眼はあけに染まっている。血がにじまぶたを細めながら、渡会は笑う。痛々しい一撃。だが、それは確実にハバリートを追い詰めようとしていた。


「渡会、目は大丈夫なのか」

「大したことねーよ。あんまり使いすぎっと失明すっけど、一回なら問題ねぇ。ま、しばらくは色が見えなくなっけどよ」


 確かに、渡会のまなこは的確にハバリートの動きをとらえている。即座の失明の心配はないのかもしれない。だが、確実に彼の身体は限界に達していた。


「渡会、有難ありがとうな。だが、退け。その状態のお前じゃあ、これ以上の戦闘は無理だ」

「馬鹿言うな。俺は戦える」

「安らかなる香りをかの者に届けよ。その甘き香りと共に安息あんそくのひと時を与えよ。梅の


 私の技令と共に、渡会がひざを折る。


「二条里、なに、しや、がった」

「弱度の睡眠技令を破れないんだ。少し、休んだ方がいい」

「へっ、二条里、らしい、な。ま、かかった、ん、なら、しかた、ねぇ」


 渡会がその場に崩れる。その渡会の背に校長先生の技石を一つ乗せ、静かにハバリートの方に向き直った。


「貴様ら、この私をどれ程愚弄ぐろうすれば気が済むというのだ」


 ハバリートの形相ぎょうそうを見えながら、後ろで技石が発動したことを感じる。これで、渡会は回復技令のかごに包まれながら、司書の塔に至るはずである。そして、私は彼が渾身こんしんの一撃で技力を奪った相手を、全力で迎え撃つ。


「だが、よもや貴様らに残された力は貴様のちっぽけな武器と技力と体則だけ。我がうらみは晴らされよう」


 ハバリートの言葉は不条理ながらも真理である。それをみしめながらも、私は司書の剣でそのふところへと飛び込んだ。

 初撃は左の大腿だいたい。爪ではじかれる。それと同時にハバリートは口から炎を吐く。水の技令で相殺そうさいする。爆発の衝撃でわずかに押されるが、肋骨ろっこつの損傷もさず、突撃する。迎え撃つのは羽。振り向きざまに尻尾しっぽが襲いかかる。それを最小限の距離でかわし、胴へと飛び込む。爪ではじかれる。


「ダブル・カッター」


 ハバリートの爪がその手より放たれる。鋭い刃が直交して襲いかかる。剣を立て、一気に突く。右のほおかれ、左肩に刺さるが、ダメージは最小限で済んだ。後は技の間合いを突く。


 その時、

瀕死ひんし人と思うて油断する訳には行かぬようだな。確実に死に向かうようにせねばならぬらしい」

言い残したハバリートは空へと舞い上がった。この瞬間、向こうの勝利が確定した。


 先程の渡会の攻撃も今までの剣戟けんげきも、全てはハバリートが余裕を見せて地上戦を演じることを前提としていた。前の戦いで、既に空中にあるハバリートの強さは把握はあくしていたからである。空を飛ばれた場合、相手は自由に目標を攻撃できるのに対し、こちらは攻撃をするどころか防御すらままならなくなる。先の戦いでも、空中からのダブル・カッターは回避の方法すら思い浮かばなかった。要はワンサイドゲームになるのが明らかなのだ。

 それでも、前は油断したハバリートに投槍なげやりを放つことで攻撃に成功したが、よもや微塵みじんの油断もない。はらわたを切りくべく宙を舞うハバリートは大地に鋭い爪を向ける。


「ダブル・カッター」


 二本の爪が放たれる。風を切る音と共に私を襲う。初撃、右の頭頂部をわずかにかすめた。次撃、胸部をかすかに切りく。次撃、左肩をえぐる。次撃、司書の剣で追撃した。

 だが、身体が宙を舞った。衝撃がそれを追う。理解は追いつかない。だが、ハバリートの剛腕ごうわんが眼下にあるのは確かな事実であった。認識の直後、撃墜げきついもろい身体は木に洗われ、土に埋もれた。

 世界が眩惑げんわくする。呼吸が埋もれる。それでも、剣は離さない。ただ、上空だけを見え、一つの意志だけで意識を保つ。


「死なぬか。しかし、その様では何もできまい」


 ハバリートの笑い声が山脈を震わす。頭が釣鐘つりがねの中でもてあそばれているかのように揺れる。


「まあ、よい。そこで仲間と自らとこの星の死を見守るがよい」


 死という単語に、一瞬だけ脳が覚醒かくせいする。遠ざかろうとする笑い声。まともに起き上がらない身体。それでも、成すべきことがある。

 だから、私は左手を技令で固定し、弓を召喚した。


「追わせるか」


 司書の剣を弓に番う。弦を残る右腕の力全てで引き絞る。月光に照らされるハバリートの身体。ならば、月を射ればいい。


「力を貸してくれ」


 一縷いちるの望みをめて目を閉じる。一瞬、眼前に荒野が浮かぶ。今から穿うがつ月の姿なのだろうか。そのほの暗い光景を胸に、私は放った。

 流星が一筋、地平にちた。意志が一筋、虚空こくうを求めた。


「ぐうぅ」


 ごう。同じく、月をさえぎる影の崩れ。


「剣を矢にするだと。おのれ、技力をわざと残しておったな」

「はは、ざまあ、みろ」


 激昂げっこうのハバリートに精一杯の挑発ちょうはつ。勝者の余裕があれば受けぬであろう一言を、それでも、ハバリートは受けた。咆哮ほうこう漆黒しっこくさえも圧倒する。


「なれば、頭よりらい尽くしてくれる」


 ハバリートが直線となって来る。だが、思惑通りでしかない。喰われればその体内に技令で毒をく。身体が半分となろうとも意識だけは一瞬以上はある。なら、その合間に成すべきことを成す。倒すことは叶わないにしても、時間ならば稼げるだろう。そうすれば他の面子が回復する。

 ハバリートの口が大きく開かれる。あれならば、上半身は入るだろう。

 それにしても、時間が遅い。音も風も光さえも遅くなっている。走馬灯そうまとうのつもりだろうか。ただ、それならば都合がいい。これだけ遅ければ、十分に毒を盛ることができる。


 ただ、惜しむらくはあの天空の光をもう少し見たいものであった。

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