書籍発売記念SS
とん、とことん
かん、とん、とん
窓ガラスに手のひらを載せる。二階から見下ろしてみると、玄関先にぽつぽつと丸いあとが少しずつ広がっていき、いつの間にか道全体まで覆ってしまった。土砂降り、というほどではない。けれど雨粒自体は大きいようで、天幕水に覆われている庭はともかく、屋根からはとんとんと、小さな合唱が始まっていた。
この程度の雨ならば、天幕水が水を吸い込んでくれるから、庭でころころと転がっているソルにとっては何の問題もないようで、相変わらず庭中を暴れまわっている。けれどもちょっと残念だ。
「今日は、ソルのお散歩には行けなさそうですね」
自分自身を納得させるように呟いた。
予報では、一日中雨になるとか。せっかく今日はリオ様の休日で、一日ご一緒いただけると聞いていたから、ソルと一緒にお散歩なんてどうでしょう、とリオ様とお話ししていたのに。なのに日が近づくにつれ、天候予報のギフト持ちが示した新聞では見事なペケマークがついていた。
とはいっても、天気は確定されたものではなく、日をまたぐにつれ当たる可能性も低くなるらしい。あくまでも天候予報とは、今現在の天気から推測が可能というだけなので、お天気自体が気まぐれを起こすこともある、と考えつつも、だいたい当たる。さすがギフト。神様からの贈り物だ。外れるなんて、よっぽどのことだ。
けれども最後の抵抗としていそいそ作った小さな人形を窓枠に吊していたのだけれど、残念ながらなんの意味もなかったらしい。あーあ、とうっかりため息が出てしまった。そんな私を、ぱちぱちと瞬いてリオ様が見つめている。一体どうしたというのだろう。私のギフトは、距離が離れると使うことができないけれど、近ければその人の心を勝手に読み取ってしまう。けれど“声”が聞こえて理解する前に、あっけらかん、とリオ様はおっしゃったのだ。
「雨でもいいんじゃないか? 少しくらいなら、散歩もできるさ」
***
ソルを抱っこして、リオ様の隣に立って、踏み出す足はひどく恐るおそるだ。ぽつ、ぽつ、と雨が傘を叩く度にどきりとする。傘をさして、外に出る。別に何の変哲もないことなのにリオ様から聞いたときはとにかく驚いて、驚いた自分にびっくりした。私の中で、傘、というものがすっかり頭の中から消え去ってしまっていたのだ。だって、わざわざ雨の日に外に出る必要なんてない。カルトロールの家にいたときは、小さな離れの家と、周囲にぐるりと作られた柵の中だけで十分だったし、柵の中にある畑の天井は、天幕水に包まれていた。
さすがに日傘は持っているけれど、そもそも私は雨傘を持っていない。なんたるうっかり。だからあるものはリオ様が普段お使いになっている一本のみで、大きな紺色の傘一つの中に二人で入って、ゆっくりと雨の街を歩いた。
傘はリオ様が持ってくださった。私側に随分傾いているから、そのまま歩くとリオ様が濡れてしまう。大丈夫ですと伝えても、「そっちはソルと二人なのだから」と彼にしてはめずらしくのらりくらり、とかわされてしまう。と、なるとあんまり離れては大変だ。私はリオ様の近くを歩かなければいけない。ときおり体が触れる気恥ずかしさを感じているのはどうやら私だけのようで、リオ様はたまにはこんな散歩もいいもんだなぁ、とぼんやり考えているだけだ。気まずい気持ちをソルの毛に埋もれるように顔を隠した。
小雨の中だ。街の人たちは傘もなしにいつも通りに商売をしている人もいれば、早々に店じまいをしている人もいる。どちらかというと、普段よりも閑散としているかもしれない。濡れたタイルの上を歩いていく。ひたり、と。靴を履いているはずなのに、不思議な感覚だ。ソルも雨の匂いを嗅いでいるのか、いつもよりも鼻をすんすんさせている。
悪くない、どころか、なんだかちょっとわくわくしている。
匂いが違えば、風景も変わる。いつもの散歩道が、まるで別の場所にやってきてしまったみたいだ。
(雨の中を散歩するだなんて、私一人だったら、きっと思いつかなかったんだろうなあ……)
カルトロールの家にいたころから、外に出ない理由をつけては安心した。畑の中は天幕水があるから大丈夫。でも外には行かないし、濡れてしまうから行ってはいけない。そう考えると、ほっとして、雨が降ると嬉しかった。少しでも、家の中にいてもいい理由が増えたような気がしていた。本当は、そんなわけがないのに。
だから、外に出ることができるようになった今も、雨が降るのだから、外に行けるわけがない、と思い込んでいたらしい。小さな水たまりをぴちゃりと歩いて、ほんのちょっと、唇を噛んだ。なんだか、すごく――嬉しかった。
リオ様がいると、新しい何かを知ってばかりで、私にとってはとても大きなことばかりなのに、彼は何のてらいもなく言葉に変える。とんとことん、と傘を叩く音が、少しずつ遠くなる。いつの間にか、雨はやんでしまっていた。じたばたと手足を暴れさせていたソルを私が地面に下ろしている間に、「もう傘はいらないなあ」とつぶやきながらくるくるとしまい込み、なんてこともなく歩こうとするリオ様の横顔を、ほんの少しばかり悔しく見つめる。
流れ込んでくる彼の心の中では(今日はみんな一緒に雨の中の散歩をして、楽しいな)とそれくらいの感覚らしい。
だから、ちょっとだけ。
今日の意味を変えてしまおうと思った。
ソルのリードを右手に握ったまま、無防備にぷらりと揺れるリオ様の片手を左手ですくい取った。そうしたあとに、しまったと思った。いきなりだったものだから、ぎくりと硬くなるリオ様の指先から、たくさんの気持ちが流れ込む。じわじわして、ぽかぽかして、じくじくする。なのにリオ様はごつごつした指を私の手に絡ませた。私だってそれに反応して、片手じゃ握りきれない大きな彼の手のひらを、ぎゅっと握る。
そのまま道の端でピタリととまった私達に、ソルは不思議そうに振り返った。それから、「あおん?」とちょっとだけ変な声を出した。真っ赤な顔をして口元を必死に引き結んでいた私達がおかしかったのかもしれない。
それからしばらくして、お互いの顔を見て、思わず笑ってしまった私達の声は、ずんと空に吸い込まれた。わずかに虹がかかった、きらきらしたある日のこと。
雨上がりの日の出来事だ。
仏頂面な旦那様ですが、考えはお見通し 引きこもり令嬢と貧乏騎士の隠し事だらけの結婚生活 雨傘ヒョウゴ @amagasa-hyogo
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