きみの嘘、僕の恋心◇SF

八重垣ケイシ

きみの嘘、僕の恋心◇ボディ・リサイクル


「手術は無事に終わりました」


 あぁ、そうかい。


「一週間ほど経過を見て、問題無ければ退院できますよ」


 病室の中、ベッドの上で麻酔から覚めた後、寝転ぶ俺にすらすらと説明する看護師の、仮面のような笑顔に少しイラッとする。

 今更、EPR通信機の後頭部埋め込み手術で、失敗は少ない。それぐらい医者はこの手術に慣れるくらい、日本でこの手術をする奴が増えたってことなんだろうよ。令和の時代、これが医者にとっても稼げる手術ってことだ。なんせ健康な奴もやりたがる手術だからな。


 俺に電脳適性があったのが、幸か不幸か。選択肢が無いよりは一つ増えたのはマシなんかもしれんが。

 俺に電脳適性があったことで、小学生に上がるときには親が俺に電脳埋め込み手術をした。これからの時代、電脳が使えない人間は時代に取り残されると、その為に借金までして。


 専用のインターフェースを通して人がコンピューターを操作する新しい電脳技術。

 昔は頭の中にスマホをぶち込むような、人の脳とインターネットを繋ごうとする無茶なものだったらしい。それが今では便利だと広まって、電脳化してないと時代に取り残されるほどに普及した。


 かつて日本では高校、大学を卒業できないと、学歴が足りずマトモな職に就けずに貧乏になるか生活保護を受けるか、という時代があったらしい。

 俺が将来、苦労しないでいい職につけるようにと、親は借金までして俺に電脳化手術をした。


 母さんの兄貴が過労死した、という話は母さんから何度か聞いた。それで俺と弟には、将来少しでもマシな職につけるようにと。母さんは俺と弟に苦労させたくないと、自分から苦労を背負い込むような親だから。

 電脳化手術はなるべく若い内にした方が、脳が電脳に慣れて使いこなしやすくなる、というらしい。


 そんなことを言っていた母さんが借金を返す為の過労で倒れた。俺と弟の手術費用の為に借金して、それで倒れるなんてのは本末転倒だろうによ。

 それ以来、父さんと俺と弟で腰を痛めて足が動かなくなった母さんの介護をしながら暮らすことになった。父さんは母さんの治療費に、俺と弟の養育費の為に、かなり無理をして仕事をしている。


 だが、俺が電脳化手術をしていたからこそ、今、家族を助けられるというのも皮肉というのか。何か嵌められたような気もするが、それが世の中というものか。クソくだらねえ世の中だ。


 俺の術後の経過は順調、身体も電脳も異常無し。後頭部に機械を埋め込んだからって、頭が重くなった気もしない。ついでに電脳部分も最新の部品と交換してアップグレードしてアップデートだ。これで前より調子が良くて速いくらいだ。

 入院してるときに弟と父さんが見舞いに来た。弟は泣きそうな顔で、父さんは怒りが吹き出さないようにと堪えた顔で。まったく。


「父さん、今からそれじゃこの先持たないだろ。割りきってしまえよ」

「分かっちゃいる。頭では分かっちゃいるんだが……、すまん、ぜん

「父さんが謝ることじゃねーだろ。俺が勝手に決めて勝手にやったんだ。相談もせずにやらかして謝るのは俺の方だ」


 話をしたときには、父さんに殴られた。まぁ、それぐらいはあるだろな、とは覚悟してたが、父さんと母さんに泣かれるのは参った。

 だけどこれでもう金の心配は無い。父さんも無理をせずに母さんの側にいられる。弟も大学まで行けるだろう。あいつは俺より頭がいいから。家庭の問題の八割は金で解決できる。あぁ、つまらねえ世界だ。それでも、金が手に入って家族が暮らしていけんならそれでいい。これでいいんだ。


 一週間の暇な入院生活が終わり、退院するときに迎えに来たのは黒塗りのリムジン。

 葬式かお前は、と言いたくなるような黒スーツの男が姿勢正しく待ち構えていた。


日向ひゅうがぜん様、お迎えに来ました」

「はん、逃げやしねえっての」

御前ごぜんがお会いになります。どうぞ」


 言ってリムジンの扉を開けて促す黒スーツ。病院前で何やってんだか。目立つだろが。さっさとリムジンの中に入り椅子に座る。リムジンが動き出し病院から離れていく。


 金はあるところにはあるもんだ、というのが一目見ただけで解る豪華な屋敷。和風なのはその御前というあのじいさんの趣味か。

 既に何度か来たことのある屋敷の中を案内されて、じいさんの待つ部屋へと。

 ここまで案内してきた黒スーツが障子の前に膝を着く。


「日向全様をお連れしました」

「来たか、入れ」


 渋く威厳のありそうな声が中から聞こえて、黒スーツが障子を開ける。広い和室に漆塗りのテーブル。俺は中にスタスタ入りじーさんの正面の座椅子に座る。七十越えてるのに目に力のあるじいさんは今日も健在だ。テーブル挟んだ対面のじーさんに挨拶する。


「おー、じーさん、久しぶり」

「うむ、息災のようだな」

「で、なんの用だ? 俺が逃げないように監禁でもしようってか?」

「部下にはそれを勧める奴もおるが、全よ、ワシはお主の度胸を買っておる。それに全が逃走し契約を破棄すればどうなるか、それは全の望みではなかろう」

「解ってんじゃねえか。じゃ、なんだ? 俺の手術の後の様子を直に見たかったのか?」

「それもあるが、先ずは退院祝いじゃろう」


 じいさんが顎をしゃくると障子の向こうから板前って感じの男が一人、お手伝いさんがわらわらと和室にいろいろと運んでくる。魚? 木の桶? 桶の中はありゃ米か? 退院祝い? 見てると男前な板前さんが寿司を握り始める。寿司って、おい?


「病院の飯などたいしたことは無かろう。確か全は食えない魚は無かったじゃろう」

「俺に好き嫌いはねーけどよ。あー、あればツブ貝とミル貝が食いてえ」


 黙々と寿司を握り並べる男前な板前さん。いや、回らない寿司はお高いって聞くが調理人ごと出前させるってのかよ。金持ちってのはやることが違う。

 金持ちの羽振りのいいとこ見せつけられてもイラッとするが、寿司にもこの寿司握る男前な兄さんにも罪は無い。

 せっかくなので遠慮無く、お手拭きで拭いた手で、手掴みで寿司を掴んでもりもりと食べる。寿司なんて何年振りに食うよ? やっぱ旨いわ。寿司の善し悪しなんて解らんけど、赤いのも白いのも旨い。弟にも食わせてやりてえな。


「じーさんよ、お土産に持って帰ってもいいか?」


 もぐもぐしながらじーさんに聞いてみると、じーさんは、うむ、と頷く。


「相変わらず家族想いだな、全よ」

「うるせえよ。じーさんも食ったらどうだ?」

「食っとる。お主のように勢いよくとはいかん。全よ、病院では不便は無かったか?」

「何にも。病院ってのも金がモノを言うのな。個室でゲームもあって、飯も旨かった」

「全はもう少し肉をつけた方が良かろう。病院の方の手続きはこちらに任せい」

「そりゃ助かる。だが、そいつも料金のうちか?」

「全に支払う金は減らさんよ。そこは契約通りに変えはせん。病院の分にこの寿司はおまけのようなもんじゃ」

「そいつは気前のいいことだ」


 握りたてのツブ貝のコリコリとした歯応えを楽しみながら、じいさんを見る。俺としてはこのじいさんと、そんなに仲良くしたくも無い。ただの契約上の付き合いでいたいとこなんだが。どういうわけかこのじーさん、俺のことなんか気にしてんのかね、たまにこうして話をする。


「……全の幼馴染み、永山ながやま一花いちかのことだが」

「あ? なんでイチカの話が出る? 何を調べた、じーさん?」


 寿司を食う手を止めてじーさんを睨む。高齢の筈のじーさんは眼光鋭く睨み返してくる。


「お主のことは一通り調べてある。全がワシにこの話を持ってきたときから、全の身辺調査は済んでおるわ」

「やっぱ抜け目ねーな」

「全のような若僧が知っておる、となれば何処から知ったか調べて当然じゃろう。そこで永山一花に辿り着いた」

「はん、それで?」

「全よ、お主の未練があれば、何とかできんか、とな」


 ち、流石に金持ってる上級日本人様だ。じいさんはテーブルの上に紙を置く。見ろってことかよ。右手で茶を飲みつつ左手でその紙を見る。そこには永山一花、俺の幼馴染みのイチカのことが書いてある。じいさんの手下に調べさせたものか。

 ざっと目を通すと、あの女に聞いた話を裏付けるような内容だ。気分わりい、クソむかつく。

 あれからもう一年半くらい経つのか。


◇◇◇◇◇


 俺が中学三年のとき、俺の学生生活最後の年。

 俺はイチカを呼び出した。夏休みが終わってもまだ暑い、放課後の校舎の屋上で。

 まだ暑いねー、とか言ってるイチカに俺は言った。


「お前は誰だ?」

「何を言ってるの? 全?」

「ボケたこと言ってんじゃねえ」


 ポニーテールを揺らして首を傾げる永山一花。どこからどー見ても永山一花だ。俺以外の奴が見ればそう言うだろうよ。

 俺とイチカは腐れ縁だ。保育園からの付き合いで俺にとっちゃ家族みてえなもんだ。イチカのことでわからねえことなんかねえんだよ。


「仕草も表情も違う、あと、あいつの爪を噛むクセが簡単に直るもんかよ」

「そんなこと言われても」

「それに、今のお前は俺を警戒している。そしてお前はところどころイチカより動作が鈍い、というか演技くせえし年寄りくせえ。お前はなんだ?」


 気づいたのは小さな違和感。それで観察してみればその違和感は膨らむばかり。

 何よりイチカが忘れそうに無いことも、目の前の永山一花は忘れてやがる。

 だが、その見た目はどう見ても永山一花そのものだ。


「まるで中身が入れ替わったみたいだな、オイ。宇宙生物にでも寄生されたか? それとも機械がイチカの皮でも被ってんのか? なんだその古いSF映画みてーのはよ?」


 俺が睨んで脅すとイチカ、いや永山一花に化けた女は一度目を瞑る。そして目を開くと、俺が見たことも無い表情をする。イチカの顔で、性根の歪んだ年寄りのような、不気味な微笑だ。


「交遊関係のある中で気がつきそうな人物の一人、日向ひゅうがぜん。どうやら素敵な幼馴染みのようね?」

「てめえ……」


 何か違うと確信はあった。が、そのイチカがそんなことを口にしたのは、俺には衝撃だった。予想が当たったにしても、見たくも聞きたくも無かった。こいつはやはりイチカじゃねえ。


「本物のイチカは、どうした?」

「君にも説明しておいた方がいいかしら? このことは永山一花も了承してのことなのよ」

「どういうことだ?」

「私としては平穏に暮らしたいの。君一人がどう喚き立てようと、永山一花と永山家の問題はどうにもならないでしょう? 説明してあげるから、納得して、今後は分をわきまえてね」

「なんだと?」


 上から見下すような言い様にムカついて、俺はイチカに化けた女の襟首を掴む。が、女は怯みもせずに言い返す。


「この身体は永山一花のもの。キズつけるつもり? その手を離して大人しくなさいな」

「く、」


 身体はイチカ? どういうことだ。手を離して、さあ言え、と睨む。そいつは邪気の無さそうなムカつく目で俺を見る。


「簡単にまとめて言うと、永山一花の身体を買ったのよ」

「はあ?」

「これは永山一花の家族も了承済み。永山一花も納得してのこと。私は永山一花の身体を買ってその身体をこうして使っているだけよ。じっくりと観察されたらバレると思っていたけど、早かったわね。そうなる前に転校でもするべきだったかしら? 高校進学で離れたところに行く予定で、二学期、三学期と誤魔化すつもりだったのだけれど」


 イチカの身体を買った、だと? 何を言ってやがる?


「科学技術の進歩って素晴らしいわね。若い身体を買ってもう一度、青春時代を過ごせるなんて、ね?」

「じゃあ、てめえは、イチカの身体を買って、その身体に脳を移植した、とでも言うのか?」

「似てはいるかしら? でも脳移植では無いし、永山一花は死んで無いわよ。ちゃんと生きているし、今頃は幸せに暮らしてるのではないかしら?」

「てめえ、ふざけんな。イチカを返しやがれ」

「あら? この身体を永山一花に返したら、永山一花は死ぬわよ? それでもいいの?」

「言ってることがわかんねえぞ、このクソが」

「下品ね。君、永山家のことを知らないの?」

「あいつの家がなんだってんだ?」

「永山社長、永山一花のお父さんね、経営する会社が傾いて危ないのよ。お金が必要なの。それで永山一花に生命保険を賭けて、事故死に見せかける殺人をね、保険屋と企んでいたのよ」


 イチカの父親のことはよく知らねえが、小さい工場の社長ってのは知ってる。だが、会社の為に自分の娘を保険金殺人、だと?


「若い身体、いえ、若い命をお金の為に散らせるのは勿体無いわね。それで私がお金を出すことにして、永山一花を死なせないようにしたのよ。今の私は永谷社長の工場の大株主でもあるの。そして、永山社長は出資者を得て会社の経営を立て直す。私は若い女の子の身体を手に入れて、こうして暮らす。そして永山一花も死なない。どう? いいことばかりでしょう?」

「何がいいことばかりだ、クソが、金に困った一家につけこんでの人身売買じゃねえか」

「何を言ってるの? この日本では昔から、小さな会社の一家が株主に子供を売ったり、売春紛いのことをして、資金と株主を得て、会社とそこで働く従業員を守ってきたのよ? 君は少し、経済を勉強した方がいいんじゃない?」

「そんな気色わりい経済なんぞ知るか」

「じゃあ、どうするの? 君に永山一家を救えるお金がポンと払えるの? できもしないことを喚いたところで、誰も助けられないわよ?」


 あるかそんな金、あれば父さんも楽ができる。母さんにも今よりマシな治療ができる。俺が高校に行くこともできる。


「私は保険金目当ての事故で死ぬ予定の女の子を助けることができた。それなのにどうして君に睨まれるのかしら?」

「金でイチカを買って、それでいいことしてあげたってツラでニヤケているてめえにムカついてんだよ」

「知恵と才覚があって努力すればお金は稼げるものよ。それができないというのは努力が足りないわね?」

「ふざけやがる」

「自分ができないから、だから誰か助けて、なんて言うのはただの無責任でしょう? 君が永山家を助けるお金が払えれば、永山一花も自分を売らなくて済んだのかもしれないわ」

「クソが、」


 拳を握る。目の前の女を殴ってやりたい。ぶっ殺してやりたい。だが、この身体は、この顔はイチカだ。

 女は、イチカの身体で中身は違う女は、屋上から校舎に続く扉に向かう。


「私は若返って楽しい学園生活を送りたいの。もう一度青春を楽しみたいの。邪魔しないでね」

「クソ女、それがてめえの目的か?」

「お金で若さも買えるなんて、いい時代ね。それと永山一花はちゃんと生きてるし、彼女は彼女で自由にしている筈よ」

「なんだと?」

「卒業式まで君が大人しくしてたら、教えてあげてもいいわ」


 言ってイチカの振りをした女は、屋上の扉をガシャンと閉めて校舎の中に消えた。


「クソが……」


 喚き出したくなるのを堪え、屋上の床を殴りつける。

 俺に何ひとつ話すことも無く、イチカは身体だけを置いて俺の前からいなくなった。何処へ行ったかも解らないまま。

 なんだこれは? この世界はなんだ?

 イチカは父親に殺されそうになっていたのか? イチカの家はそんなことになっていたのか? なんで話してくれなかった?

 相談されたところで、俺に何ができた? 今の状況をようやく少し解ったところで、俺に何ができる? どうすればイチカは帰ってくる?

 イチカは、今、何処にいる?

 知恵と才覚と金、だ? あるかそんなもん。

 クソ、あいつをぶっ殺してやりてえ。

 屋上の床を殴る拳の皮が破れて赤い血が滲む。ぜんぜん痛くねえ。クソ。


◇◇◇◇◇


「永山一花の養子縁組は、既に終わっている」


 じーさんの声で我に帰る。


「書類上、何も問題は無い。永山一花は今は桜一花だ。法律上の不備も無い。訴えたところで裁判で勝てるとは思えん」

「はん、そうだろうよ。この国の法律は金持ちの年寄りを守るようにできてるからな。そうやって子供を買うのを合法ってしてるから、国連から日本は人身売買推進国って言われんだろうがよ」


 俺はあれから調べるだけ調べた。俺のできることなんてたかが知れてるが、電脳化のお陰で情報収集はそこそこできた。

 脳の移植は今の科学では不可能だ。鍵は電脳化の技術の方にあった。


 今のこの日本で、年寄りの金持ちに流行る技術がある。永眠装置スリープだ。

 装置に入ることで冬眠のように身体の代謝を遅くする。これで寿命が伸びる。

 永眠装置なんて名付けられてはいるが、永遠に眠ったままでは無い。死ぬまでの寿命を引き伸ばす技術だ。老化を完全に止めることはできないが、この装置の中で眠れば老化のスピードを遅らせることができる。

 これで人類の科学が老化を治療できるくらいに進歩したら、永眠装置から出て若返る治療を受ける、という。実に金持ち向けの頭のおかしな計画だ。

 人類の夢、不老不死。その前準備のような研究。


 まったく人類の科学技術の発展はすげえよ。科学を進歩させる人の知恵はすげえよ。

 だけどな、そのすげえ技術をクソくだらねえ使い方するのも人間ってもんだ。お偉い科学者の理想も夢も希望も、平気で金で踏みにじる。


 金持ちの年寄りが電脳化して永眠装置に入る。その際、子供を一人買っておく。その子供にも電脳化手術をしておく。

 バカでけえ情報量をタイムラグ無しで送る通信装置、EPR通信機、こいつも電脳にくっつける。

 これで永眠装置に入った年寄りの金持ちは、身体は眠りながら脳は起きて、子供の身体を操ることができる。


 フルダイブタイプの電脳ゲームみたいなもんだ。ただ、その操作するアバターはゲーム世界の情報体では無く、現実世界の子供の身体だってことだ。

 まるでゲームで遊ぶように、若い身体でもう一度人生を楽しむ、か。まったくクソだ、ヘドが出そうだ。その為に子供を買う上級日本人の年寄りに、金になるとなりゃあ動く輩。子供を売らなきゃ生きていけないところに貧困日本人ジャプワを追い込んだ奴ら、あぁ、どいつもこいつも死んじまえ。

 金で買い養子縁組は済ませ、てめえの家の子供ってことにする。はん、少子化で都合のいい子供が少なくなってて、買値がバカ高えことになってるがな。


 家族を食わせていくために子供を売る。そんなのは日本じゃ昔からあることで、それが令和の時代になってもやめられなかっただけのこと。少しばかり形が変わっただけのこと。

 そして子供を売らなきゃ生きていけない貧困日本人ジャプワが食い物にされる。


「ワシの部下に調べさせたところ、永山一花のアバターのある電脳ゲームは解った」

「そいつは俺も調べた。つっても当たりをつけたとこなんで、それが詳しく解ったってーならありがたい」


 そうだ、イチカは死んではいない。そこはクソ女が言った通りだった。イチカの身体の中でイチカの脳は生きている。

 イチカの身体をクソ女が好きに自由に使う為に、イチカの意識は邪魔になる。

 だからイチカの意識はEPR通信機で電脳ゲームの中にダイブしている。自分の身体の全てをクソ女に明け渡す為に。


 言い換えるならイチカは身体をクソ女に売っ払い、その魂は電脳ゲーム世界の中で生きている。

 だがイチカの脳はイチカの身体の中にある。イチカの身体が死ねばイチカは死ぬ。

 それはあのクソ女も同じだ。永眠装置の中でクソ女が死ねば、イチカは自分の身体の所有権を取り戻すことができる。

 クソ女が死ぬまで、イチカの身体はクソ女のものだ。クソ女が死ぬまで、電脳ゲーム世界の中でイチカは生きている。

 俺がもう一度イチカに会って話をする為には。俺と俺の家族が、これから先もなんとかやっていく為には。頭のわりい俺に思い付いて俺にできることなんて、碌なもんじゃねえがな。


「寿司、旨かったぜじいさん」

「そうか、残りは包ませよう」

「で、手術も終わったことだし、じいさんはいつから俺の身体を使うんだ?」


 じいさんが次の紙を出す。俺とじいさんの契約書だ。悪魔の契約書なら魂なんだろが、これは人間の契約書だから、扱うのは俺の身体と金だ。魂を売るのとどっちがマシなんだろうな? 俺は俺の身体を売っ払って金を得る。

 じいさんは万年筆を一本出す。


「細部までよく読んでおけ。問題無ければ、お主の名前をサインしろ」

「金、については随分と気前いいが、なんだ? これだと俺の身体の所有権をじいさんが使うまであと一ヶ月あるじゃねえか」

「お主が家族と別れを済ますのにその期間を使え」

「はん、気色わりいなじいさん。上級日本人ならよ、札束で貧困日本人ジャプワの横ツラはたいて奪っていけよ。情のあるフリとかしてんじゃねえ」

「全よ、それでいいのか?」

「何が?」

「全にとって、その身体を売れば、ワシが死なん限りずっと電脳ゲームの世界の中で暮らすことになる。二度とこの現実世界に帰れんかもしれん」

「はん、」


 ぬるくなったお茶を飲み干してじーさんの目を睨む。


「この日本でこの先生きててどうなるってんだよ? 俺がてめえの身体を売らなきゃ俺の家族は食っていけねえ。澄ました顔で言ってるがな、じーさんよ、子供を売らなきゃ家族が生きていけねえなんて、今のこの日本を作ったのはお前らじーさん共だろーが」

「む、」

「あちこちにクソを撒き散らして肥溜めみてえな日本にしておいてよ、こんなクソくだらねえ社会で夢も希望もあるもんかよ。この国で貧困日本人ジャプワに産まれて、何をどうやったところでてめえが幸せになれる気がしねえ。働いても働いても上級日本人にむしられて奪われて生活はずっと苦しいまま。まだ、刑務所の中の方が屋根もあって飯もあるって、それで犯罪者じゃ無くても刑務所に入りたがる奴が増えてあちこちの刑務所がパンクだ。なぁ、じーさんよ、この今の日本でどうやったら俺たちゃ人間らしく生きていける? だったら電脳世界で残りの一生過ごした方がまだマシってもんだろうがよ」

「それを、ワシが変えてやる」

「はん、じーさんがそんなヨボヨボになるまで頑張って無理だったのが、ちょっと若返ったくらいでどーにかなるもんかよ。だいたいじーさんも金持ちの上級日本人だろが。その金、どうやって稼いだ?」


 口を閉じて黙るじいさん。あのクソ女よりこのじいさんはマシなんだろうが、俺の身体をアバターにして若さを手に入れて好き勝手したいってのは、じいさんだって同じだろうがよ。それとも歳をとって何か罪悪感か正義感でも目覚めたか? それで若返って何かやり直したいのか? それならそれで俺がじーさんを利用してやる。


「俺は俺の家族がちょっとは楽して生きていけりゃあそれでいい。この国の未来なんて知ったことか。じーさんがてめえのしたことの後始末をしたいなら、俺の身体で好きにしろよ。好き勝手にこの肥溜めかき混ぜてろよ。俺は年寄り共がクソを投げつけあって遊ぶような日本で、暮らしたかねえんだよ」

「全よ、お主に日本人としての誇りは無いのか?」

「あるかボケ。貧困日本人ジャプワの貧しさにつけこんで年寄りが子供を買うことの、どこにどんなホコリがあるってんだ。魂を売り渡しても金さえ稼げりゃいいってのが日本人の誇りか? そんなもん知るか、好き勝手に誇ってろ、俺をお前らが作ったクソ溜めにぶっ込むんじゃねえ」


 座椅子から立ってじーさんを見下ろす。


「俺の身体が欲しけりゃ売ってやる。俺が一生賭けたところで俺の知恵と才覚で得られる金はこれが最高値だ。そして俺が俺の気持ちと矜持を売り渡さずに済む方法は、この国ではこれしかねえ。そんな国を造ったのがあんたらだろう? 俺はそんな国で生きていたくもねえんだよ」


 寿司の包みを板前の兄さんから受け取って部屋を出る。じーさんは俯いたまま何か考えているようだった。貧困日本人ジャプワのガキの話を聞くだけ、まだマシなじーさんなんだが、あぁ、これじゃ俺のただの八つ当たりだ。クソ。


 どうして俺はずっと怒っているんだろうな?

 腹の底にずっと何かが燃えているような、この気持ち悪さはどうすれば消えてくれんのか。

 イチカがいなくなってからずっとだ。イチカは別に、惚れた女って訳でもねえ、恋人ってわけでもねえ。それでもずっと、目の離せない妹みたいな奴で、それが保険金の為に殺されかけたとか、売られたとか、あぁクソ。それに気づかずに能天気に生きてて、いなくなってから怒りが収まらずにムカついてる俺が一番のクソ野郎だ。


 葬式スーツの男にリムジンで俺の家まで送ってもらう。俺が持って帰った寿司は母さんと弟が美味しいと食べた。父さんだけがひとつも口をつけなかった。


 現実世界での最後の一ヶ月。じーさんとの契約は無事に終わり前金も入った。

 父さんは仕事を辞めた。もともと父さんの会社はリストラが進み早期退職者募集とかやってた。あの会社も先がねえな。その会社の中で年齢から肩を叩かれていたのが父さんだ。

 いびられて辞めさせられる前に穏便に身を引くことで退職金も入り、これで母さんの介護をしながら無理せず働ける次の職場を探すことに。


「その前に家族旅行とか、どうだ?」


 俺から提案して家族で温泉旅行に。母さんも車椅子があれば遠出はできる。足が動かないだけだから、家族風呂なら俺と父さんで運べばいい。

 できれば家族風呂で露天風呂。レンタルでバンを借りて最後の家族旅行へと。最後、か。そう考えるとちっとしんみりしちまうな。

 足が動かなくなってからは始めての旅行に母さんは喜んでくれた。

 喜んではくれたのだが、俺のいないところで母さんが父さんに話をしているのを聞いてしまった。まったくタイミングが悪いなオイ。


『あなた、全が私たちを喜ばせようってしてる、最後の四人での家族旅行なのよ。そんなムスッとした顔をしてないで、』

『あぁ、解っている。すまん……』


 部屋に入りづれえ。浴衣の袖をツイツイと引かれて見ると、弟が泣きそうな顔で見上げている。


「ちっとぶらついてから戻るか」


 弟の頭をポンポンとすると、弟は小さな声でうんと頷いた。父さんと母さんのこと、頼む。


 じいさんに身体を売り、俺の家族にはかなりの額の金が入った。俺の身体はじいさんの家の物となる。養子縁組は終わり俺の身体の名字が変わる。

 じいさんは永眠装置に入り、俺の身体を現実世界で使えるアバターとして、高宮全たかみやぜんとして新たな人生を始める。まぁ上手くやってくれよじいさん。

 現実世界で使える身体アバターを売っ払って無くした俺は、電脳ゲーム世界へとフルダイブする。

 キャラメイクして俺の新しい身体を作り、俺は俺で電脳世界で新たな人生だ。


 ひとつのファンタジー系のゲーム世界に下り立つ。さっさとチュートリアルを終わらせて、この世界の住人の一人にメッセージを送って呼び出す。

 大事な話がある、直接会って話をしたいと待ち合わせ場所を指定する。

 暇しててさっさと来てくれりゃいいが。


 ゲームの世界、電子が作る情報の世界。全てが実態の無い嘘で積み上げられた世界。

 アバターという偽物の身体で生きる人、作られた幻想の世界から外に出ることもできなくなった、ゲーム世界の住人。

 今日から俺もその一員だ。

 二年前からここに住んでいたというなら、イチカは俺の先輩ということになるのか?


 ようやくイチカに会える。

 ジャリ、と足音がして俺の目の前に女が立つ。


「我を呼び出したのは、ヌシか?」

「そいつはいったい何のロールプレイだ? イチカ?」


 この全てが嘘でできた世界の中だけが、本物のイチカと会える唯一の世界だ。

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