終章

一人残された女性(2)




 彼女のSNSのアカウントは、ネットユーザーからの反応を途切れることなく通知させていた。痛ましい死亡事故から二週間が経過し、当時から様々な憶測が飛び交っていたもののすっかり沈静化していたこのときにおいて、彼女の投稿は新たな燃料となり再び世間の注目を集めた。


 しかし彼女は通知を知らせる画面をぼんやり眺めているだけであり、通知の内容に興味を示すことはなかった。彼女にとって世間の反応などどうでもいいことだった。注目されたいといった自己顕示欲によって投稿したわけではなく、ただ感情が文章となって放出してしまっただけであったので、たとえ多くの人に見られようが誰からも相手にされなかろうか、それは彼女にとってはあまり意味をなさないものでしかなかった。


 彼女の投稿は内容が内容だけにネットユーザーたちの関心を集め、尋常ではないスピードで世界に拡散していく。主に同情や励ましの反応などが多く寄せられた一方、一部真偽を確かめるものや否定的な意見もあり、またリテラシーのないユーザーからは見当違いな揚げ足取りがされた。中にはニュース系サイトやはたまたテレビ局の報道関係者から、記事にしたいので連絡が欲しいといった申し出もあったものの、彼女は全て無視していた。そんなことをしても彼女が世間の話題の中で延命することはあっても、現実に生き返ることなどあり得ないので、全くの無価値でしかなかった。



 しかしある投稿が、彼女の興味をひいた。それは文章としてのメッセージはなく、ただ動画だけが送られてきたものだった。


 多くの反応の中で動画が送られてきたのはこれ一つだけだった。それが彼女の関心のもとであり、半ば吸い寄せられるかのようにその動画を再生した。


 その動画には、彼女がよく知る少女が映されていた。どこかの施設内のようで、学生服の集団に向けて演奏を始めようとしているまさにその場面でした。それを見て、彼女はこの映像に心当たりがあると思い至った。少女は事故前に、軽音楽部が新入生歓迎として放課後にミニライブを行うことを話していて、そのライブにゲスト出演すると言っていました。とすればこの映像の場所は学校内のイベントスペースであり、観客として集まっているのは生徒であるようだった。


 状況から察するにこのライブのあと学校を出て帰路の途中で事故に遭ったと思われるため、今画面に表示されている彼女はまさに、生前最後の姿であった。


 動画の少女はマイクを通して観客に短い挨拶をしてから、演奏を始めた。


 アコースティックギターによる弾き語り。それは表面的に捉えれば応援歌であった。ライブの主旨が新入生歓迎ということもあってか、これから先への未来に対して前向きに歩んでいこう、といったメッセージ性が込められていた。しかし一方で、その応援歌の歌詞にはどことなく苦味のようなものが含まれており、一筋縄の応援歌というわけではなかった。一聴する分にはビターな応援歌のように聴こえてくるものの、しかしある種ネガティブな雰囲気を纏った歌詞を深読みしていくと、それは応援というよりむしろ再起の歌として解釈できる。



 一度道を踏み外し、もがき苦しんだ末に、再び立ち上がったかのような歌であった。



 彼女はその曲に演奏者本人を、二年間共に過ごした少女の人生を重ねていた。



 母親から過度な教育虐待を受け、本当は血の繋がりのない父親からはネグレクトされ続けており、その末に爆発して家庭や学校といった歪んだ自分の居場所を破壊しつくして、その後路上にて自己と自由を求めて彷徨い出した少女。そんな少女は新たなものを見出して再び歩き出した。そういった少女の事情を知っている者からすれば、この歌はまさに彼女自身のことを抽象的に表現したものであると気づくことができた。



 そしてこの歌を完全なかたちで解釈できる人物は、彼女以外に存在しなかった。



 これはとある少女ととある女性のことを歌った曲であった。



 彼女は涙を流していた。



 少女の魅力ある演奏に心を突き動かされたのである。



 歌には所々に、導いてくれた存在に感謝する言葉が使われていた。それはかつて少女が彼女に向けて伝えた謝意と重なるものがあり、実際に曲の最後の感謝の言葉は、観客に向けたものというよりは心に思い浮かべた人物に向けられたかのように見受けられた。


 演奏が終わり、動画は最後まで再生されたために停止した。それでも彼女は暗転した画面を見続けていた。



 これは確かに少女の人生の歌である。しかし一方では、今の彼女の歌でもあった。



 このどん底から這い上がってきたかのような歌詞は、そのまま現在の彼女の状況に当てはめることができたからである。よき理解者であった少女を失い現実に絶望している彼女に、そこから立ち上がってこいと、亡き少女自身が励ましているかのようであった。


 彼女は一度顔を伏せ、涙を乱暴に拭ったのち、顔を上げる。その顔にはもう失意などはなく、強固な意志が現れていた。



 生きている以上は、生きていかなければならない。



 大切な存在が失われても、残された者はそれでも立ち上がり歩み続けなければならない。



 彼女は立ち上がり外出をした。向かうは一週間も訪れていなかった自分の工房だった。一週間ぶりの工房は、いつも以上に埃が蓄積しているかのように彼女は思った。その中を進み、作業途中で止まった一本のギターに触れる。


 その楽器は本来、少女の合格祝いとして贈られるはずだったもの。制作が遅れ結局合格祝いとしては別のもので代用することとなったものの、楽器の制作自体は続けており、木工加工が終わった段階で頓挫していました。


 彼女は塗装作業の準備をし、制作を再開した。当初の予定では百合の花のデザインを装飾として施された楽器であり、ネックの指板部分には白蝶貝による埋め込みが木工加工の段階で済まされていて、あとはシルエットをボディにペイントするだけだった。しかし彼女はそれ以外にもペイントを加えようと考え、実際に作業した。


 初日は着色するにあたっての下地処理を施した。そして翌日から、彼女は楽器を彩り始めた。


 まずはボディ全体を白色で潰した。その白は、かつて少女に貸して、そして彼女のバイブルとなった小説の真っ白な表紙を彷彿とさせた。


 その白色に向けて、黒色の塗料を刷毛で殴りつける。黒い塗料は、白一色のボディに飛沫の模様を強烈につけた。これはかつて、少女がいじめの報復として教室に黒のペンキを撒き散らした様子を表現している。


 その黒色のアクションペインティングはボディの下部に集中しており、とくに大きな飛沫の部分にマスキングテープを貼りつけ、百合の花のシルエットを形作る。これはこのギターにおいて、本来のデザインであった。かつて少女は百合の花のことを、白くて可愛いから好きな花、と言っており、その百合の花が描かれたアートギターをいたく気に入っていて、いつかこんな楽器を演奏したいと目を輝かせていた。白の塗料を吹きつけてからマスキングテープを剥がすと、そこにくっきりと百合の花のシルエットが現れた。


 真っ白な潰し、黒のアクションペインティング、白の百合の花のシルエット。それらが重ねられた上に、今度は淡い色合いの塗料をスプレーガンによって霧状に吹きつける。それも一色ではなく何色も薄く吹いて、パステルカラーによる透明感のあるグラデーションを彩った。その色たちは、彼女が好んで着ていた少女然とした可愛らしい服であるかのよう。


 そして同じく少女が好んで着ていたのは、可愛げのない無骨な上着。まるで自分にないものを補うかのように羽織っていて、出会った当初もモッズコートを着ていた。それ以降も少女には似つかわしくない上着を様々着ていたものの、やはりあのカーキ色のモッズコートをよく見かけた。彼女はそのモッズコートを表現するために、色の配合によってカーキ色の塗料を作り、ボディ外周に沿って縁取るバースト塗装を行った。


 これらの着色は、一見するとまとまりのない煩雑なものでしかない。しかし彼女にとってこれらの色たちは、今は亡きあの少女が見せてくれた色であり、少女のための楽器である以上、少女自身の色によって彩らなければならないと、彼女は思っていた。



 この楽器の制作は、彼女にとって弔いであった。



 ソシオパスのような性格をしているために他者と円滑に関わることができなかった彼女にとって、人生で唯一の理解者となってくれた少女に向けた、哀悼と決別の楽器。


 ギターを専門に扱う楽器職人としての、そして同じ道を志した尊い若者への、最大限のメタファーであった。


 不器用な彼女にとって、こういったかたちでしか気持ちを表現できなかったのだ。



 そしてこの楽器は、彼女の職人人生において最高傑作になりつつあった。芸術にしろ物作りにしろ、作者の個人的な事情による鬼気迫る感情が作品に反映され、最高傑作を生み出すことがある。彼女はこの一説に関して、一理あると認識している。だがもし仮に、この世界が彼女に最高傑作を生み出させるためだけに少女と出会わせて、そして殺したのだとすれば、世界はどうしようもなく悪趣味と言わざるを得ない、と彼女は思った。



 手向けの楽器は、着色後に幾度もトップコートを施し、乾燥期間を経て研磨をして、最終的な塗装面を仕上げた。


 市販のアコースティックギターであれば、サウンドホールからボディ内部を覗くと、ラベルが貼られていることに気がつく。そのラベルはブランド名だったりモデル名だったり、その他製造におけるシリアルナンバー等が記載されている。


 彼女は無地のステッカーを用意し、油性ペンによる手書きで、英語でこう記した。



『我が弟子に捧ぐ』と。



 そして目立つように、この楽器の名前を英語で表記する。



『路上のイデオローグ』と。



 それは少女と初めて会ったときに抱いた印象から名付けられたものだった。


 まつりと呼ばれた少女は、実に不思議な存在だった。異常な家庭環境で育ったという特異な幼少期を過ごした彼女は、真面目で律義で聡明で、自身の意志が強すぎる子であった。それ故に他者とわかり合うことが難しく、共感や調和といったものと無縁な人生を歩んでいた。クレイジーないい子、歪んだ優等生、模範的である不良。それこそ彼女のバイブルである小説になぞらえるならば、一番成績のいい問題児。それがまつりという少女である。


 彼女は最後まで、「わたしがわたしであるために」という座右の銘を貫き通していた。


 そんな少女と関わりを持ち、理解者となったのは、同じく他者と関わりを持つことができない独身の彼女だった。生まれた世代が異なる二人は、とある街で邂逅してから惹かれ合うかのように寄り添っていった。お互いがお互いのよき理解者となり、互いに初めての感情を抱いた。


 彼女にとって、それは感謝してもしきれないほどの幸福をもたらした。


 少女の死によって、彼女は二年前の孤独な生活に逆戻りしたわけだが、しかし以前とは全く異なるものがあった。それはこの世界に自分の理解者がいてくれたという事実である。もし少女と出会わなければ、彼女は今も世界に興味を示すことなく孤独を増していただろう。


 だが今は違う。理解者は確かにいた。その理解者は若くしてこの世から旅立ってしまったが、しかし少女は彼女の中で生き続けている。思いを巡らせれば、いつでも自分の中で会うことができる。その心の中の存在がいるおかげで、彼女の世界はある程度彩りを取り戻し、希望を抱くことができた。



 彼女の人生は孤独であった。少女の人生は孤高だった。



 人間はどうしようもなくひとりぼっちで、人は一人で生きていくしかない。どう足掻いても人は他者と同化することなど不可能である。どれだけ一緒にいても心は離れたままで、混ざり合うことなどあり得ない。


 ただ、たとえ一人であっても他者と近い位相で共鳴することがあれば、それは何ものにも勝る価値がそこに存在している。


 それがたとえ一瞬であったとしても。



 彼女はサウンドホールの中に手を入れて、手書きのステッカーを貼った。そしてそれを閉じ込めるかのように弦を張り、チューニングをして、最終調整を行う。サウンドチェックとして軽く音を出してみると、まるで年頃の少女のような若々しく可憐で、そして輝かしい音色が響いた。


 子供に触れるかのように、彼女は大切に楽器を持って、壁面に取り付けられているギター展示用のフックにかけた。そこは工房内でもひと際目立つ場所で、工房入り口からでも視界に入る特等席であった。



 彼女は完成したばかりのギターを眺め続けた。いつまでも、気が済むまで。





 ――ありがとう。




 ――さようなら。






〈了〉



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路上のイデオローグ 杉浦 遊季 @yuki_sugiura

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