第32話 追いつく感情




 感情が追いつかず整理しきれないまま済ませた葬儀から、一週間ほど経過した頃でしょうか。私は夜寝ているときに、実に奇妙な夢を見ました。



 夢にまつりが出てきたのです。



 ミディアムボブの黒髪、薄くメイクをした顔、首には愛用のヘッドホンがかけられ、背中にはだらしなくも洗練されたリュックサックを背負い、ブレザーではなく私物のパーカーを着込み、チェックの短い制服スカートから細い脚が露わになっている、そんな彼女なりの女子高生の格好をしていました。


 女子高生のまつりは何事もなかったかのように、夕方の柏の街にいました。それまでの日々を延長しているかのように、私は彼女と交流する毎日を過ごし、どんどん季節が移り変わっていきます。夏には夏の格好を、冬には冬の格好といった、本来なら見ていない高校生としての格好ですが、しかし彼女の趣味嗜好から予測されたかのように違和感なく私の目の前にいました。顔つきも季節が巡るにつれて美しく引き締まっていき、大人の女性へと変化していきます。大時化のような中学時代とは打って変わり、実に穏やかな高校時代を過ごしていました。


 高校を卒業したまつりは当初の目標通り楽器系の専門学校へ進学し、まるでバンドマンと芸大生を足して二で割ったかのような、派手で個性的なファッションをしていました。これは私の学生時代の記憶と彼女の記憶が融合した光景に思えました。十八歳のまつりは学業に励みつつもアルバイトをこなし、さらには私の工房へも出入りしています。まだ正式に弟子として迎えたわけではないので私は私で一人仕事をこなしていて、その様子を彼女は勝手に見学していました。ただせっかくそこにいるので彼女の後学になればと思い、私は楽器職人として手を動かしつつも独り言のように解説をし始め、まつりも真剣に解説を聞き入り目の前の実物を食い入るように観察していました。忙しいときには臨時のアシスタントとして、雑用をお願いすることもありました。


 専門学校を卒業して、まつりは楽器業界に入りました。都内の勤務でしたが彼女は柏から通っていました。学生のときとは違い社会人となったため頻繁に会う機会はなくなりましたけど、ただ自営業者の私は納期さえ守れればスケジュールなど自由に変えることもできるので、私の方から時間を合わせ仕事帰りのまつりと合流し、夜の柏で酒を飲み交わしていました。真面目で律義で意志が強すぎるまつりは案の定仕事で衝突を繰り返していて、その愚痴を酒の力に任せて吐き出し続け、私も私で彼女の愚痴を酒の力で受け止めていました。愚痴を吐き出す日は必ずと言っていいほどに彼女は酔いつぶれて、どうすれば上手なお酒の飲み方が伝わるのか頭を悩ませながら介抱していました。


 そうして社会の荒波にもまれていたまつりは、入社二年程度で仕事を辞めました。それは決して社会人として挫折したわけではなく、私がかつて提示した弟子入りの条件を満たしたために退社したものでありました。まさか本当にここまで到達するとは思ってもいませんでしたけど、ただ実際にここまで来た以上、私としても彼女を弟子として迎え入れないわけにはいきませんでした。私はまつりを雇用し、二人で仕事をすることもあり広い場所に工房を移転して、正式な師弟として新しい一歩を踏み出し始めたのです。



 そういった様子が、夢の中で駆け抜けていきます。それはまるで走馬灯のようでした。



 また、違う夢が駆け抜けていきます。



 別の夢では、私とまつりが疎遠になったものでした。



 高校生のまつりは軽音楽部の活動によって注目を集め人気者となり、学校で多くの友人ができて青春を謳歌していました。彼女は他者に自分のことを受け入れてもらいたくて音楽をしていて、そして実際に学校で受け入れられたこともあり、活動場所が柏の路上から校内へと移っていき、それに伴い私と会う機会は激減しました。


 たまに会えばお互い近況報告する程度の仲でした。その話の中で、まつりは軽音楽部の先輩といい関係となり、そのまま交際を始めたことを報告していました。よってそれ以降は、学校生活と恋愛といった普遍的な青春時代を過ごしていて、私のようなニ十歳も離れた大人が入り込む隙間などなく、妙な寂しさを覚えつつも彼女のことを見守り続けていました。もっとも会う機会が少ないので、言葉通りの見守りではありませんでしたけど。


 そうした青春の日々を送る中で彼女は心変わりをしたのか、卒業後の進路を大学進学に変えたようであり、事実東京の大学に合格したまつりは一応の報告だけをして、柏を離れ上京していきました。それ以来、まつりは私のことなど忘れてしまったかのように、彼女との関わりは途絶えました。



 中には意外な夢も流れてきました。



 路上ライブを行っていたまつりは、通行人にスマートフォンで動画を撮られていて、その映像がSNSで大きな反響となったのです。それによってまつりのアカウントのフォロワー数は大きく増加し、ついには音楽業界の関係者が興味を示し、アーティストとしてメジャーデビューするといったものでした。その後はシンガーソングライターとして順調にヒット曲を生み出し続け、まつりの知名度は全国区となっていました。


 あるいは、高校時代に軽音楽部の部員と組んだガールズバンドがそのままメジャーデビューした流れもありました。ソロであれ、バンドであれ、どちらにしても、一躍有名人となった彼女だが、一方で楽器のメンテナンスを全て私に依頼してきて、ときには楽器そのもの製作依頼もしてきました。金持ちは違うな、と私は内心皮肉のように思いつつも快く引き受けていて、彼女も彼女で私が作った楽器でMV撮影をしたりライブをしたりしていて、ついには武道館のステージに立ち、私が特製した楽器を満員の観客に向けて掻き鳴らしていました。




 はたまた、楽器職人としても音楽活動にしても、本場で勉強したいといった思いから海外に向けて旅立つ流れもあり、私は空港にて彼女を見送っていました。あるいは読書好きが高じて小説家となり、自宅に引きこもって執筆作業に没頭するといったものもありました。



 それらは、もしかしたらあり得たかもしれない、可能性の未来たちでした。



 朝目が覚めた私は、まだ夢の残滓が頭に残っている間に、ふとそう思いました。



 しかしその可能性の中で、彼女が死亡した例は、今私がいるこの現実しかありませんでした。



 そのことを認識した途端に感情の濁流に苛まれ、私はベッドから起き上がることができなくなりました。掛け布団を抱き寄せるようにかき集めて、枕に自分の顔を埋没させて、三十代の女がみっともなく嗚咽を漏らしながら、滂沱の涙を流し続けました。



 彼女はもうこの世にいないことを、はっきりと意識してしまったのです。


 もう二度と彼女に会うことが叶わないということを、意識してしまったのです。



 まつりが交通事故で死亡して一週間が経過したこの朝は、私の感情が現実に追いついてきた瞬間でした。それによって私は、どうしようもなくなってしまいました。



 その日以来、私は廃人のような生活をしていました。常にベッドで横になっていて、思考は鮮明なのに何も思うことなく自室の天井を眺め続ける時間。思い出したようにトイレに行き、同じく思い出したように飲食をして、ベッドから離れるときもありましたけど、それは一時的なものに過ぎませんでした。


 起きているのがつらくて、思考するだけの意識をなくしたくて、私は睡眠によって逃避しようとします。けれども健康な身体には眠気というものはなく、目を閉じても意識が遠のくことはありませんでした。ストレスによる不眠の症状が出ているかと思えば、あるときスッと意識が途絶えて寝落ちしているときもありましたが、そうしたときは必ずと言っていいほど彼女の夢を見て、まつりの可能性の未来たちを目の当たりにして、そして目が覚めたときに爆発的な感情によって絞殺されるのでした。


 そのような生きているのか死んでいるのか判別がつかない生活をしている最中、私のスマートフォンが鳴りました。電話の相手は仕事の依頼をされている得意先でした。無意識に手を伸ばして電話に出ると、相手は苛立ちの気配を醸し出しつつも、一週間もどうした、といった心配の言葉を投げかけてきました。その言葉によって、私は実に一週間も自室のベッドの上で生活していたことに気がつかされました。まつりが亡くなってから二週間が経過していました。


 今まで納期を破ったことがなかったので、私が音信不通になったことに不審を抱いたそうです。私は電話にて事情を説明し、しばらく休業することを伝えて、相手の理解を得られたところで仕事の電話を終えました。


 直接電話で説明して回る精神状態でもなかったので、私は全ての取引先にメールにてお詫びと休業の知らせを送信しました。その後、仕事用として登録しているSNSのアカウントページを表示させました。事故以降SNSを開いてなく投稿も一切していませんでしたが、それまで私の作る楽器に興味を示してくれていたユーザーが一定数いらっしゃるものですから、こちらでも事情を発信してちゃんと休むことを伝えなければなりませんでした。


 そうしてSNSにて休業をする旨の投稿をして、結局感情が溢れ出してしまって、自分の内側から湧いて出てくるものに任せて彼女のことについて語り、今に至るのでした。




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