えきすとら

@Teturo

えきすとら

 今時、こんなに貧乏な夫婦も珍しい。木造モルタル建の名前ばかりが立派な「メゾン広川」。北向二階の四畳半に、俺たち夫妻は三年前から住んでいた。

 家具らしい物など、ほとんど何もない閑散とした部屋。ひょっとしたら普通の六畳くらいに見えてしまうかも知れない。

「ねぇ。今日の晩御飯どうするの?」

 和美の声も暗かった。

 この台詞は、夜、何を食べたいかを聞いているわけではない。分かりやすく意訳すると、

『家の冷蔵庫には何もないから、自分の分位、自分で何とかしてよ』

 と、言うことなのである。

「お前は、どうするんだ?」

「即席ラーメンが一袋だけ、残っているの」

「分かった。じゃあ、行ってくる」


 邦彦は肩をすくめると、緑山にある撮影所に徒歩で向かった。

 今の世の中、高校生だってバイトをすれば、晩御飯くらい何とかなる。二人がこんな生活を強いられるのは、俺が原因だった。


 俺は映画監督志望の冴えない助監督である。その不規則な生活のためにバイトすらできない状態であった。利便性のため、部屋代の高い都内スタジオ周辺に暮らしている。だから現状は、看護師をしている和美に養ってもらっているようなものだ。

 金がないから、籍だけ入れて、未だに式らしき物も挙げていないのに、三年間、世話になりっぱなしなのである。


「ねぇ、邦彦ちゃん、井田組でしょう?」

「そうだけど」

 スタジオに入るなり、嫌な奴に会った。10歳以上年上の俺に対して、こういう口の聞き方をするアイドルだ。

「今日は気分が乗らないんだ。撮影は休むって井田監督に言っておいてよ」

「何を言ってるの!」

 今時、大手の事務所に所属しているタレントで、こんな輩は存在しない。彼は中小事務所ではあるが、経営者の親戚とかで、何か勘違いしているのかも知れない。


 彼の背後には、ローティーンの女の子達が立っていた。スタジオ内に入り込んでいると言うことは、親衛隊か熱狂的ファンなんだろう。上客達に自分の立ち位置でも、示して見たかったのかも知れない。

『このご時世に未成年を連れ回すとは・・・ SNSに画像を投稿してやろうか!』

 そう言いたいところを

「困るよ。主役級・・・の君が居なかったら、撮影が進まないじゃないか」

 驚いた顔を作って、溜息までついて見せた。

「・・・だって、今日は良い演技が出来そうにないんだ」

「君なら大丈夫さ」

 おそらく、今の俺の演技の方が、100倍それらしいだろう。彼は俺の顔を眺め、しばらくすると頭を振って、立ち去って行った。後ろに女の子達が続く。

「ねぇ。どっか悪いの?」

「・・・平気だよ」

「俳優が休みたいって言うんだから、休ませてあげれば良いのに」

「気が利かないんだから!」

 親衛隊達の悪態を聞き流し、24時までのスケジュール表を追いかけた彼に手渡す。


 一般的に助監督は監督の補佐なのだから、そこそこ偉いんだろうと言うのは素人の考えだ。監督と助監督では、それこそエベレストと公園の砂山ほど、立場に開きがある。


 監督やプロデューサー様が、タレントや配給会社の幹部と打ち合わせをしている横で、お茶汲みをしたり、セットの手配に走り回ったりする。これが邦彦の主な仕事だ。先ほどのアイドルの太鼓持ち的一件など、朝飯前の業務である。

 労働環境は悪い。産業革命当時の炭鉱少年みたいなものだ。働き方改革なんて単語が存在できない、ハードボイルドな職場と言える。


 様々なメディアの台頭に押されて、現場の制作費だって削られる一方だから、俺に回ってくる給料なんて悲惨なものだ。

 大抵の邦画監督(一流以外)だって、クランクアップ後の飲み代に怯える程度なのだから、日本映画業界の未来は暗い。アニメだけやってれば良いのにと、和美にすら言われる始末だ。


「おい邦彦! 例のエキストラの手配は終わったのか?」

 坊主頭に無精髭の井田監督が吼えた。彼の蛮声は完全密閉の防音スタジオ外部まで届くと言われている。

「イタタ。耳元で怒鳴らないで下さいよ。エキストラって、何の話です?」

「馬鹿野郎! 今日の撮影で使う花嫁だよ。古田から聞いているだろ」

「はぁ? 聞いていないですよ」

「時間が押してるんだ! 誰でも良いから調達して来い。メイクさんがお待ちだ!」

「そんなこと言ったって・・・」

「・・・何なら、お前にウエディングドレスを着せたって良いんだ。ロングスパンの後ろ向きなんだからな」

 

 邦彦は取り敢えず走り出した。監督ならやりかねない。スタジオを出て、最初のゴミ箱の横で、丸くなって横倒しになった古田を発見する。


 バスン! 


 情け容赦のない回し蹴りを、彼の巨体に叩き込む。

「ウー。あと五分」

「お前、監督にエキストラの手配を頼まれてなかったか?」

「エキス・・・? それって美味しい?」

 彼は虚ろな表情で、へらへらと笑っていた。

「駄目だ。使い物になんねぇ」

 考えてみればコイツも俺と一緒に三日間、徹夜していたんだ。家に帰って四時間で呼び戻された事を、今、思い出した。


『いつ迄、こんなことを続けるんだい?』


 いけない。急に田舎のお袋の声が聞こえてきた。慌ててスタジオ内の女性を思い出すことに専念する。

 衣装さん、床山さん、消え物係・・・ 全員ババァだ。

「そうだ! タイムキーパーの早苗なら!」

 携帯には出ない。手当たり次第に彼女の消息を聞き回る。やっと彼女の消息を突き止めたと思ったら、持っている有休を使い果たすべく、日本を離れているらしい。道理でしばらく見なかった筈だ。辞める気満々なんだろう。


『いつ迄・・・』


 お袋の幻聴を振り払って、アイドル控室に飛び込む。こうなったら親衛隊ガキでも構うものか!

「あれ? 彼は?」

「あ、奴なら帰りましたよ」

 同じユニットのタレントがシレッと答えた。目眩がする。ひょっとしたら血圧がヤバいかもしれない。

「親衛隊達は!」

「全員奴について行きました。これから海を見に行くんだそうです。本当に海に行くと思いますか?」

「!!!」


 スタジオ敷地外に飛び出して、道行く人に声をかける事にする。有名な撮影スタジオだから、こう言う機会もたまにあるようで、良く役者志望の若いのがうろついている。これが最後の頼みの綱だ。しかし時間は22時を回り、閑静な住宅街には人影すらない。俺は頭を抱えた。


「邦彦!」

 その時、和美が紙袋を抱えて、歩いてきたのである。

「あのね。お隣が引っ越しで、折り詰めのお弁当いただいたの」

「良く来た!」

 彼女の腕を掴むと、スタジオの中に引っ張り込む。

「さぁさ、良いべべ着て、良い所に行くだ!」

 女衒のような口調で、和美をメイク室に放り投げる。どっと疲れを感じて、その場に座り込んだ。三日連続の徹夜と今までのドタバタで、体力の限界に達した俺は、その場で眠りに落ちた。


 どの位、時間が経ったろう。俺は側頭部の激しい衝撃で、眠りから覚めた。

「エキストラの手配はどうした?」

 丸めた電話帳を片手に、古田がニヤニヤしている。先ほどの回し蹴りの報復に違いない。

「それって、美味いのか?」

「・・・早くこっちに来い。支度があるんだから」

 巨漢に無理やり引き起こされ、俺はメイク室に連行される。そんなバカな!

エキストラなら和美を調達した筈だ。まさかあれは幻覚だったか。

「この歳になって、女装だけは勘弁してくれ!」

「? いいから、いいから」

 古田に腕を極められながら、俺はメイク室に引き摺り込まれた。



「邦彦。私、変じゃない?」

「綺麗だよ」

 ウェディングドレスの和美は、びっくりするほど美しかった。彼女は落ち着かなげに、辺りを見回している。

「これから撮影だ。緊張せずに頑張ろう」

「私で大丈夫? 役者さんじゃ無くて良いの?」

「いいんだよ。エキストラなんだから」

 俺はタキシードの襟を直しながら、苦笑した。どうやら男役のエキストラも居なかったらしい。女装に比べれば御の字だ。

 彼女を見て俺は考えた。いつかもう一度、和美に、これを着せてやろう。偽物でなく本物を。


 セットの中に入ると、俺達にスポットライトが当たり、ファンファーレとクラッカーの音が鳴り響いた。

「さぁ御両人。中央へどうぞ」

 サイズの合わない僧服をキツそうに着けた古田が、ニヤけて俺達を手招いた。

「・・・ずいぶん利口なゴリラだな。後で、バナナを買ってやろう」

 古田は器用に片方の眉毛だけを上げ、俺達を先導する。

「監督! 撮影はどうしたんですか?」

 スッポットライトの向こう側から、井田の怒鳴り声が響き渡る。

「役者が逃亡して、今日の撮影はキャンセルだ。代わりにお前達の結婚式の真似事をする事にした。費用は奴の事務所に全額請求してやるから、心配するな!」


  驚いた事に、和美の指のサイズに合わせた指輪(偽物)まで用意してある。祭壇の前で古田がそれらしきセリフを唱え始めた。スタッフの祝福、冷やかしの声を聞いているうちに、和美が肩を震わせながら、泣き始めた。


 今、俺達はエキストラではなく、主役だった。


 俺は、この瞬間を一生忘れない。

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