#031 蘇るココロ  Is it love?

 日比谷共同溝日比谷立坑――


 刹那は資材の影に潜み、多田羅を追い詰めていく。喰い千切った傷痕からの血の匂いで奴の居場所は手に取るように分かる。


「くそっ! 一体どこにいるんだっ!」


 牙に残る人間の皮膚の感触とアンモニア臭さが堪らなく不快だ。刹那は味覚こそ鈍感であるが肉に関して言えばグルメである。


 人間は好きだし、セオリーの為ではないが殺したくはない、同時にマズくて口に入れるのも嫌だった。


 それに比べて凰華の作る犬ごはんは最高だ。しっかり肉の味を付けてある、残飯のような見た目は特に気にならないがどうやってあの味を出しているのか刹那は気になっている。彼女のお陰で刹那は実に健康的な生活を送っている。


 刹那は多田羅の背後へと忍び寄り機会を窺う。刹那が喰い千切った肩を抑え、拳銃を振り回し周囲を警戒しているが、刹那の気配を全く感じ取れておらず隙だらけだった。


 資材の影から疾風の如く刹那は駆ける。多田羅の持つ銃に向かって飛び掛かり、銃を奪い取った。


「くそっ! 何なんだっ! お前はっ!」


『マッドサイエンティストの実験体二号だ。降参しろ。その傷ではもう無理だ』


 全く持って不本意だったが実験体を名乗る刹那は、無力化を目的としていたため太い血管は避けたが、それでも多田羅の表情は青ざめていて相当の血液を失っているのが分かる。とても戦える状況ではない。


『これ以上はやるなら、本当に殺さなきゃならない』


 刹那には大切なものがある。三笠博士との思い出もそうだ。三笠博士は良く刹那とレーツェルを連れキャンプに行った。動物研究所で遺伝子の実験から生み出された刹那にとって、それはかけがえないものだった。


 人語を話す狼なんて煙たがるはずなのに、執拗に抱き着いてくるセオリーの雰囲気は何となく三笠博士と似ていて、口では嫌っていたが、いつの間にかセオリーの事を好きになっていた。今は彼女の力になりたいそんな気持ちで溢れてくる。


「それがどうした? 戦う事が俺の生きがいだ。適当な場所で死ぬそれが俺の望みだ」


『そうかい。ならそこで野垂れ死ね。僕はそんなのごめんだ。僕なら最後まで親しい人の傍にいたい』


「親しい人間? そんなもの俺にはねぇっ!」


 多田羅は腰に装備していた銃を抜いて叫んだ。しかし刹那の反応の方が速い。引き金を引く前に拳銃を指ごと奪い取って吐き捨てた。


『馬鹿が』


 多田羅から死の匂いが漂ってくる。刹那は振り返ると多田羅が事切れ倒れている哀れな男の最期が見えた。



 日比谷共同溝。GADSサーバー区画――


 暁はサーバールームの入り口で且又かつまたの背後から愛銃マテバを突きつける。


「やあ、随分と遅かったじゃないか」


「悪かったな。邪魔が入った。大人しく投降しろ。貴様を逮捕する」


 両手を掲げて且又かつまたが振り返る。その顔は既に勝ち誇ったような笑みを浮かべて、暁は胸糞悪くて仕方がない。


「今の君に僕を捕まられるのかい? 捜査権限など無いだろう?」


「ああ、分かっている。だが貴様を殺すことは出来る」


 四課は解体され、現状暁は目の前にいる男と同じ犯罪者である。否――犯罪を立証できない時点で相手を犯罪者と呼ぶことは出来ない。男は今だ法律に守られたままだ。


「殺される程の罪を犯したつもりは無いと思うんだけど?」


 この期に及んでも白々しい且又かつまたの神経が鼻先を撫でてくる度、白銀の死の瞬間が脳裏をかすめ暁は怒りがこみ上げてくる。


「建造物侵入罪というのはどうだ?」


「面白いことを言うね。日本国の法律はそれで死刑になるのかい?」


「いいや、俺の法律だ」


「それはそれは……理不尽な法律もあったものだね」


「だろ?」


 二人は腰に携帯していたナイフを抜き、互いに向かって走り出す。煌々と照明を指すサーバールームの中で、陽炎の様に揺らめく銀閃の刃同士が衝突する。


 二合三合と斬り込んで鍔迫り合う。暁は且又の活力に満ち溢れたような猟奇的な微笑みを見る。


 密着状態になったのを機に愛銃マテバの銃口を且又へと突きつけた瞬間、リボルバーの弱点を付かれた。シリンダーを掴まれ、且又は優男に見えてその握力は暁の想像を絶していて、引き金を引いても打つことが出来ない。


 その隙を付かれ、暁は胸部に当て身を喰らって弾き飛ばされ倒されるが、すぐに受け身を取り、ブレイクダンスのような勢いで鋭い蹴りを且又に打ち込む。


 愛銃マテバが二人をまるで試すかのように間に落ちる。


「君は本当に僕を殺せるのかい? 一度も人を殺めた事の無い君が?」


 清々しいぐらいの安い挑発だった。暁はまるで引きずり込まれていくような高揚感に理性が沈んでいくような感覚に襲われる。


「それがどうした? それがお前を殺すことに何の関係がある?」


 良心の呵責が希薄になって思考が研ぎ澄まされていく。最早、暁の頭の中にあるのは目の前の男をどうやって殺せるかという事だけなる。


「確かにその通りだ」


 二人はほぼ同時に飛び出した。互いに脳裏にあるのはいかに相手の一撃を掻い潜り、銃を手に入れるかだ。


 且又の鋭い突きが暁の頬を掠め、反射的に暁の振り上げたナイフが且又のシャツを切り裂く。


「気付いていると思うが、僕の名前の且又乍而かつまたさくじは偽名だ」


「だろうな。今時の名前じゃない」


 且又の突きの応酬を紙一重で躱す緊張感の中でも暁は奴への言葉に皮肉を込めることを忘れない。


 突如且又かつまたは距離を取る。


「同志からは『&・&アンパサンズ』と呼ばれているんだ」


 切先でアンパサンドを二回切って説明するが、今更奴の本名だろうがコードネームだろうが暁はどうでも良かった。興味があるのはいかにして奴を殺すかそれだけだた。


「それが何だ。貴様の何者であれ、殺すことには変わらない」


「なに、ただの世間話さ」


 暁の眼前に『&・&アンパサンズ』のナイフの切先が飛び込んできた。突如時間が止まったような感覚に再度襲われた暁は上体を反らしてそれを躱す。


 セオリーに『運動視』の視覚経路を弄られたせいで暁の目に映る『&・&アンパサンズ』の動きは実に鈍重。止まっているかのようにさえ見えた。


 かといって暁の動きが速くなったわけではない、しかし暁には奴が次は何をするのか容易く予想出来た。1秒の世界ではそれが勝敗を分ける。


 振り下ろされる白髪の男の刃に暁は自分の腕を差し出した。


 二の腕に突き刺さる刃の痛みに眉一つ変えることなく、愛銃マテバが選んだのはやはり主人だった。


 戻ってきた愛銃を且又に向け、引き金を引く寸前、何故かセオリーとの約束が頭の隅をよぎる。


 ――暁、もう一度出会えましたら、その時はキスしましょう?


 あんなマッドサイエンティストなんかと大してしたくも無い接吻ものに何故これほど情動ココロが掻き乱されるのか分からなかった。


 気が付けば、『&・&アンパサンズ』の鳩尾みぞおちに肘を叩きこんでいた。人間の身体の中でも特に神経が密集した場所の一つで、鳩尾に相当強い衝撃を受けると失神する。


 肩で息をしながら『&・&アンパサンズ』の身体がぐったりとして気絶したのを確認した暁は、手錠を掛け終えると突如壮大な疲労感に襲われサーバーへ身を委ねた。


 疲労困憊でもう一歩も動けない、そんな感じだった。全てがようやく終わった。


 結局、自分は同僚の敵を討つことより、刑事デカであることを選んだという事に暁自身驚いていた。


「終わったのですか?」


 不意に声を掛けられるが、聞き覚えのある声で、しかも首を動かすのも億劫だったので、視線だけ動かす。


 やはり声の主は凰華だった。遅れてきた理由が全身の重武装だと思うと正直頭にくるものがあるが、疲れ切って怒る体力も残っていなかった。


「ああ、どういう訳か殺せなかった……どういう訳かセオリーの顔が浮かんだんだ。気が付いたらこいつを気絶させていた」


 沈黙する『&・&アンパサンズ』に視線を送る。殺したいほど憎んでいた筈なのに今はどうでも良くなっている自分がいる。それが暁は不思議でならなかった。


「まさか俺の中の性欲という名の本能が、情動ココロを呼び覚ますとはな」


 暁は「なんて滑稽な話だ」と自分に向けて嘲笑った。この不思議な現象を説明するに暁には『性欲』という言葉以外思いつかなかった。


「『性欲』? 違いますよ暁。それは『愛』というんです」


 暁は凰華から「どうしてあなたはそういうことしか言えないんですか」と頭を抱え溜息を付かれる理由が全く分からない。溜息を付きたい方はむしろ自分の方だった。


「やめてくれ。虫唾が走ることを言うんじゃねぇ」


「そうだ。虫唾が走る」


 突然、意識が戻った『&・&アンパサンズ』が肩を震わせて笑い始める。その笑い声は高らかで更に不気味さを増していた。

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