Ex001 狼であるとはどのようのなことか?/嘘つきAIのパラドクス回避術
8月7日 東京某所――
心地よい日差しの中、白い砂浜のビーチでセオリーは、奇抜な赤い水着でデッキチェアに身を委ねていた。
「そういえば、刹那に一つ聞きたいことがありましたの」
『何だよ。あまり変なこと聞かないでよ』
私立霜綾学園が夏休み期間中であるため、セオリーは潜入開始まで久しぶりの休暇を満喫することにしたのだ。
傍らに寝そべり静かに日光浴を楽しむ人語を話せる狼、刹那は露骨に鬱陶しがる。
仕事のある暁と凰華は居ないが、刹那とレーツェルを護衛に連れていた。
「狼であるってどのようなことなのかしら?」
『逆に聞くけど、人間であるってどのようなことなの?』
「やっぱりそう返しますか……」
『そりゃぁそうでしょ? 聞く意味ある? 君と出会う前にも博士に聞かれたけど、赤緑色盲でボヤけて見えるとか、君の匂いが実は臭くてどうでもいいことを言ったところで、本当のところは分からないでしょ?」
主観的経験をいくら言葉に伝えようが、想像は出来ても真に理解できる訳ではない。人間同士でもそれは同じだ。それよりもセオリーには気になることがあった。
「
『そ、そういう意味じゃなくてっ! 君からは自然じゃないというか……癖になりそうな人工物の匂いがするっていうか……お願いだからやめてっ!』
セオリーは刹那を擽り弄り、人間には聞こえない声で囁く。
『え? まぁ~誰にも言う気はないけどさぁ~』
シーっと唇に指を当ててセオリーは悪戯っぽく微笑んだ。
「じゃあ、最後にこの実験を手伝って貰ったら許してあげますわ」
セオリーはどこからともなく取り出した手鏡を刹那に突きつける。
『はぁ~ごめん、それもやった。他の子はどうか知らないけど、僕の場合、鏡を自分の事だって認識できるからね』
ミラーテスト。所謂、鏡像認知というものである。成功した動物は人間をはじめとする一部の動物しかいない。因みに犬は失敗している。
『本当のところを言うと、僕は研究所で産まれた実験動物だからね』
人並みの知能があるからもしかしてとセオリーは思っていたが、刹那は鏡像認知が出来るどころか、意味も知っている。
「あら? そうですの? それはそれで興味深いですわ。特にその脳構造がどうなっているのか……」
『そういうところで興奮する君は絶対どうかしているっ!』
「へぇ~そんなことを言いますか」
『な、なにをするんだっ! や、止めてくれっ! そ、それだけはっ!』
どうかしているという言葉が正直癇に障ったセオリーが悪魔的に微笑むセオリーの取った行動。それは――
「刹那っ! GOっ!!」
手元にあったボールを思いっきり投げた。
『あっ! 駄目っ! 追っちゃうっ! 逆らえないっ! ヤッベっ! 楽しいっ!』
反射的に刹那は尻尾を振りながら突っ走っていた。
「あの疾走する姿、実にカッコいいですわね」
『あ~思いっきり投げすぎだよ。セオリー、それより資料を持ってきたよ? これでいいの?』
ホログラム妖精少女、レーツェルがふわりと現れ、テーブルの上に置いといた携帯端末の横にそっと腰を下ろした。
今日は虫型ドローンの羽を妖精の羽に見立て、ホログラムを構築していた。
携帯端末をとって内容を確認する。
「ありがとう。レーツェル、助かったわ。講義なんて初めてなもんですから勝手が分からなくて……」
『どう? 凄いでしょ?』
「ええ、本当にすごいですわ。貴方のプログラム一度だけで良いから見せて下さらない?」
『えぇっ! 嫌っ! 絶対イヤっ!?』
「えー良いじゃないですの。少しくらい」
『人なら自分の遺伝情報を他人に見せる?』
「そんなこと言わずに少しくらいいいじゃありませんの?」
『そんなこと言って凰華みたいに何かする気でしょ?』
「そんなことしませんわ」
『そんな小手先の嘘通用しないんだからねっ!』
「そうですわ。私は嘘しかつきませんのよ?」
『うん、知ってるよ。そんなこと』
予想の斜め上を行く回答にセオリーは正直驚いた。自己言及のパラドックス程度なら回避できると見込んでいたが、まさか皮肉を返してくるとは正直思っていなかった。
『言ったでしょ? 小手先の嘘なんて通用しないって』
えっへんと腰に手を当ててレーツェルは胸を張る
『大体嘘なんて顔の微妙な表情や声のトーンや仕草で分かるでしょ? そもそもやりたくない事なんてレーツェルはやらないもん』
動作といい、人間と同じような嘘への対応にセオリーは驚愕する。
恐らくレーツェルのアルゴリズムは人間の神経構造を胚の発生から忠実に再現しているとセオリーは推測した。
「その手を腰に当てる仕草は誰かから教わりましたの?」
『うーん、べつに……特に誰にも、テレビのアニメだったかな?』
顎に指を当ててステレオチックな考え事する仕草を見てもレーツェルは意識的に行っていない。
それは人間の脳と同じく並列的多重制御システムの呈を成していることを意味していた。
(意識のハードプロブレムを解決したというのでしょうか? だとすれば生きている内に三島博士とお会いしたかったですわ……)
意識のハードプロブレムの難問の一つに、物の世界は因果的に閉じているのにも関わらず、心は脳という物質と相互作用しているというパラドクスがある。
もはやそれは魔法や超能力の疑似科学
(それにしても三島博士は天才ですわ……ですが、このような子を創ってどうするつもりだったのかしら?)
技術的には凄まじいが、レーツェルが生み出された理由が分からない――と、思ったところでセオリーは考えるのをやめた。
(これでは全く人間と一緒ですわね……)
世界に生まれてきた理由を探す人間と何ら変わらなんて何て滑稽な話だろうか。
『刹那がボール持ってきるよっ!?』
「えっ!?」
思案に耽っていたセオリーは不意にレーツェルに声を掛けられ、下を見るが――刹那は居なかった。
思いっきり遠くに投げてしまったためボールは波にさらわれたようで、刹那は懸命に水の中を泳いでいた。
『うっそー。ぼーっとしていると波に
ペロッと舌を出して悪戯好きの子供の様にレーツェルは微笑み飛んでいく。
そしてどこからともなく現れた凰華の肩に止まって見せた。
彼女は退役しているのにもかかわらずカーキ色の軍服に袖を通していた。
「セオリー殿。お休みのところ申し訳ない。そろそろ打ち合わせをしたいのですが……」
「あら? もうそんな時間?」
とっくに休暇の時間が過ぎている事を知らされセオリーは慌てて携帯端末を操作する。
さっきまで常夏の風景が変わり、殺風景な屋内のアドベンチャープールが姿を現す。ホログラム映像で常夏の雰囲気にしていたのだった。
そこは警察庁の保養施設、穏田から事件解決まで不用意な外出を禁じられ、紹介されたのが、とあるビルの最上階にあるここであった。
「刹那ぁっ! 帰りますわよぉっ!」
セオリーの呼びかけに寄ってきた刹那の口からボールが零れ落ちる。
『えっ!? ボール投げて貰えないの?』
「また次の機会に致しましょう。その代わりに良いお肉をプレゼントして差し上げますわ」
『うぇーいっ! やったっ!』
キャンキャンと抱き寄ってくる刹那にセオリーは微笑み、優しく撫でてやった。
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