#002 盲目的な社会 Dystopia

 幼い時からガラパゴス諸島の神秘に魅せられていたセオリーはイギリスの大学院を修了後、念願だったチャールズダーウィン研究所に勤めることが出来た。


 更にセオリーは他の三人の姉妹の影響もあり量子力学や機械工学などの知識もあるがそれはまた別の話。


 沈みゆく太陽の残照を浴びて、朱金色に染まっていく大空と大海原の中、穏やかなさざなみをBGMに、砂浜の上にセオリーは腰を下ろし徐に封筒を開く。


 座るとすぐセオリーの傍らにウミイグアナやアオアシカツオドリ達が寄り添ってくる。


「ナオアキ……これはまた、どういう風の吹き回しかしら?」


 手紙は同じイギリスの大学に通っていた友人、松浦修彰まつうらなおあきからのものだった。


「エアチケットダウンロード用QRコードと電子ビザ用QRコードまで、どういうことかしら?」


 彼は卒業後、母親と同じ政治家を目指した。現在は内閣総理大臣補佐官を担っている。


 その手紙はありきたりな書き出しから始まっていた。



『~親愛なる友人、セオリー・S・マクダウェルへ~』



「それほど親愛でもないのだけれど?」


 大学時代の事を思い出し、露骨に嫌ってはいなかったが女性遍歴を重ねていた彼に、セオリーは茶々を入れたい気分をぐっと堪え取り敢えず引き続き読み進める事にする。



『~君は元気にやっているかい? 僕は蛇にでも締め付けられているような気分だよ。


 君とみんなで過ごした金曜の夜の茶会での討論会を今でも昨日のことのように思える。


 手紙を送ったのは他でもない遺伝学の権威である君に意見を聞きたいことがあってのことだ。


 もちろん他にも積もる話もあるんだ。どうだろう? 観光がてらに日本へ来ないか?


 こちらで航空券とビザを用意しておいた。


 君に会えるのを楽しみにしている――尊敬を込めて ナオアキ・マツウラ~』



「参りましたわ。これはただ事じゃありませんわ」


 ナオアキの手紙には人物達との間でしか分からない符牒に気付きセオリーは当惑する。


「蛇にでも締め付けられたような気分と言うのは、監視されているようで身動きが取れないという意味ですわね」


 具体的な内容を記されていないことが、深刻な状況であることを裏打ちしている。


「メールではなく、わざわざ手紙を送ってきたところからして、恐らく盗聴されているのでしょう」


 ビザと航空券を同封してくるところから見て事態は急を要している事が伝わってくる。


 電子ビザ用QRコードをセオリーは携帯端末を使って読み取ると、情報がホログラムとして映し出される。


 中身は就労ビザかと思いきや、外交・公用のビザだった。


「まぁ、一応ナオアキも金曜の夜の茶会フライデイナイトティーパーティーよしみなのは確か、放っておくわけにもいきませんわね」


 潮騒のように騒めく心の赴くままセオリーは立ち上がると、一斉にアオアシカツオドリ達が飛び立っていく。


 太陽に向かって跳んでいく一匹のアオアシカツオドリを背にセオリーは名残惜しいガラパゴス諸島の砂浜を後にする。


「実に興味深いですわ」

 

 残照を背にするセオリーの顔には友人の危機にも関わらず、無邪気な微笑みが浮かんでいた。



 2034年7月14日、成田空港――


 友人であるナオアキの依頼により、セオリーは休暇がてら日本へと訪れる。


 お気に入りの真紅のシャツワンピースを羽織って、インナー別のオールホワイトコーデでというセオリーの目が覚めるような出立ちはゲートを過ぎる人々の目を惹いていた。


「まぁ、大丈夫ですわよね。ドローンも増やしたし、局長も任せろって言っていたし、新しい子も入ったし……」


 人の視線よりもガラパゴス諸島の動植物たちがセオリーは気がかりではならない。


 GPSジャマーを一旦中止し、前々から計画していた飛行ドローンの増量を行い、監視体制を強化しておいたので当分の間は大丈夫だろう。

 

 局長もまた『最近ずっと休んでいなかったから、たまには息抜きして来い』と言って送り出してくれて、セオリーは少し嬉しい気もした。


「それにしても、何故かみんなほっとしたような顔をしてましたわね……なぜかしら?」


 セオリーは税関のタッチパネルに手の平を当て、指紋を機械に読み取らせている間、研究所と管理局の同僚たちの誰しもが安堵の表情を浮かべていたのが無性に気になった。


 実はセオリーの知らない裏側で同僚達は、穏便に事を済ませたいエクアドル当局に度々注意を受けていた。


 顔認証システムの照合が完了し、進入LEDが赤の進入禁止から緑の誘導サインへと変わる。


「DNAデータまで寄越せなんて、日本のプライバシーは一体どちらへお出かけなのかしら?」


 2034年において世界でも有数の犯罪が少ない国の一つとして留まっていられた理由が分かり、セオリーは感心しつつも過度な措置に愚痴をこぼす。


 ターミナルを出ると一台の車が不自然に止まっていることに気付く。


『内閣総理大臣補佐官の命により、お迎えに上がりました。セオリー・S・マクダウェル様』


「ああ、なるほど……」


 その車はナオアキが手配したAI搭載型自動運転車だと分かり、セオリーが近づくと後部ドアとトランクが開かれる。


 少し戸惑ったセオリーだったが直に慣れ、スーツケースを詰め込み、車両へと乗り込む。


『このまま官邸までご案内いたします』


「あらそう、じゃあよろしくお願いいたしますわ」


『畏まりました。到着は凡そ1時間後を予定しております』


 人間のように緩急のある音声だったので、ついセオリーもAIである事を忘れて普通に接してしまう。


 車内で何もしていないのも退屈なので、セオリーは携帯端末を使ってニュースでも確認しようとネットにアクセスするや否や、公告が飛び込んでくる。


「何ですの? これ? うわぁ……」


 それはDNAシーケンス。所謂いわゆるDNA解析を利用した結婚相手のマッチングサービスの公告だった。


 自分の遺伝情報から理想の結婚相手を紹介するというもので、セオリーに見合った人物の顔写真が贈られてくる。


 残念ながらどれもこれもセオリーの好みには程遠い。その不快さに思わず口を押える。


「気持ち悪いですわね……」


『お休みになりますか?』


「いいえ、酔ったのではありませんわ。どうぞそのまま向かって下さい」


『了解いたしました。ご気分が悪くなりましたら気兼ねなくお申し付けください』


(ウザいですわね)


 セオリーは全ての公告をオフにする。


 無粋な公告とは正反対の気遣いの出来るAIに勘違いされてしまった。


 そしてDNAデータを要求された理由にセオリーはようやく納得がいく。


 ゲノムシーケンスのビックデータとAIを組み合わせたシステム『Genomeゲノム sequenceシーケンス databaseデータベース aptitude適応 diagnosis診断 systemシステム』――通称GADSガディス


 日本はそのシステム用いて、職業適性を始めとした、健康、教育、福祉政策及び政治的判断などの材料として利用することで低ストレス社会の実現及び国際的利権を獲得している。


(日本人は自ら考え、自主的に協力し合って何かを成し遂げるというのは難しいですからね。これはこれで日本人の気質に合っているのかもしれませんわ……)


 全てAI任せになっているという側面はあったものの、現在ではAIと事務官が政策を審議する体制になりつつある。


(以前のように国会で不毛な会話をしていた時に比べれば大分マシにですわね……)


 凡そ1時間程でセオリーを乗せた車は官邸へと到着した。

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