#014 魔女の恩恵 Ontology Economics
7月27日。東京都江東区豊洲、シュタットトゥルム豊洲ツヴィリング。
豊洲運河を臨むマンション群。かつて節税対策の名目で売りに出されたタワーマンションは、団塊世代の相続ラッシュにより不動産価格の値下がったことで、多額の負債を返済するため、夢と共にメリットを失い、今は売りに出されている。
夢の残滓が漂う近日取り壊し予定のタワーマンションへセオリー達は足を踏み入れる。
暁は
「神藤。まず先行してドローンを放とう。レーツェル、そのデータで建物の見取り図の作成を」
『イエスっ! マムっ!』
凰華の肩に座っていた小さいレーツェルは敬礼し、携帯端末の画面へ飛び込んでいく。
暁の背後で凰華が昆虫型ドローンを放つ。数十匹の蚊が一斉に煩わしい羽音を立てて飛び散り、間もなくして凰華の手首の携帯端末にタワーマンション内部の映像が映し出された。
「目標は一人。取引相手はまだ来ていないようだな」
「感づかれたか?」
「そうかもしれないが、現状は目標を抑えて様子を伺うしかない」
地上48階地下1階のタワーマンションの20階で熱源反応を一つ確認すると、凰華はセオリーへ不安げな眼差しを向けてくる。
「しかし、セオリー殿。本当についてくるのですか?」
「ええ、もちろんですわ。レトロウイルスベクターはその気になれば人を怪物の様に変貌させるようなことも可能です。その場合
暁が『アンタの様にか?』と言いたげな目をしていたので、セオリーは睨みつける。
「確かにそうですが、でもセオリー殿は仮にも一般人なのですから巻き込むのは少々抵抗が――」
「如月、放っておけ、そいつは言い出したら聞かない奴だ」
「まぁっ! 暁ったら、人を暴走機関車みたいに言うなんて酷いですわ」
うんざりしたように暁は「同じようなものだろう」と言って重々しい溜息を付く。
『僕が傍にいて見張っておくよ。それなら凰華も少しは安心だろう?』
セオリーの背後から静かな足取りで現れる刹那。
彼の申出に凰華は安堵したようにゆっくりと微笑んで、
「分かったよ。それじゃあ刹那。彼女の護衛を頼む」
『了解』
「見張るって何ですの?」
刹那の腑に落ちない言葉に首を傾げつつセオリーは暁達の後に付いていった。
20階へ到達した一行。各部屋の壁の大半が取り壊され、開放的な空間に月光が差し込む。その厳かな雰囲気と異様な静けさは妙に恐怖心を駆り立てる。
暁と凰華はハンドサインで意思疎通し、周囲を警戒しつつ、熱源があった場所へ忍び寄る。
「どういうことだっ!」
少しくぐもった若い男の声が響き、静寂を奪った。
「約束が違うっ!」
興奮を露にしている。その間に暁と凰華は部屋の前で身を隠し、突入のタイミングを伺う。
「はぁっ!? なんだと?」
男の声色が突如変わる、次第に落ち着きを取り戻していく男。
「敵がいるだと?」
暁と凰華の脳裏に緊張感を走った。
直にその場を離れた二人。だが一足遅く男に回り込まれる。否、男の方が速すぎた。
「よう? あんたら公安部だってな? さっき運営からお前らを殺すと新しいスキルを貰えるって連絡があったぜ」
不自然に肥大化した筋肉の鎧を身に纏い、怪物へと変貌した男が薄気味悪い笑みを浮かべて現れる。
二人は驚愕の間も惜しむかの如く、男の腕や足に目掛けて二、三発と発砲。
「いってーなっ! 畜生っ!」
鮮血が飛び散り、弾丸の衝撃で仰け反りはしたが、男は撃たれたというのに心底痛がっている様子も垣間見れない。それどころか逆上して男の手が二人の顔面を握りつぶさんと迫ってきた。
暁の目に映る筋肉男の動きがスローモーションに変わる。鈍重な世界の中、暁は凰華を突き飛ばし、筋肉男の背後へと回り込み、肩に目掛けて発砲する。
やはり筋肉の鎧はそう易々と貫けない。皮膚を抉るだけで鈍重な世界が終わりを告げる。
「――っ!」
筋肉男の腕は空を切り、勢いそのまま転んで壁へと衝突し粉塵が巻き上がった。
粉塵が次第に晴れていくが、筋肉男の姿は無かった。
暁と凰華は示し合わせる訳でもなく、背中を付け合せ周囲を警戒する。
筋肉男の気配の消し方は完璧だった。張り詰めた暁達の神経の網に引っ掛からない。
「どこに行った?」
「なんだろう。これ……奴は――」
突如、左目に痛みを覚えた凰華が「下っ!?」という叫びを合図に、二人はその場から離れた。
(如月もあのマッドサイエンティストに何かされたな……)
凰華の機転で、床を突き破って出現した筋肉男から暁は難を逃れることが出来た。
「ちょこまかと!!」
筋肉男は舌打ちをして不満を露にしていたが、次の瞬間には言葉を呑み込んでいた。
暁達の周りに突如現れる狼の群れ。
その数は優に20頭は超える。
それは刹那の姿をレーツェルが昆虫型ドローンを使ってホログラム映像として映し出したものだった。
そうとは知らず筋肉男は一斉に飛び掛かってくる狼へ拳を叩きこんでいくが全て空を切っていき――
「くそっ! 何だこれはっ!」
暴れる筋肉男のがら空きの首筋に一匹の狼が噛みついて伸し掛かった。
それはホログラム映像の中、潜んでいた本物の刹那。
『暁、凰華っ! 今のうちに男を拘束してっ!』
ボイスチェンジャーの刹那の一声を口火に暁と凰華は男を取り押さえに掛かる。
「邪魔だぁっ!」
激昂した筋肉男の人間離れした力に振り回され、刹那は暁と凰華に目掛け振り飛ばされた。
80kgはある巨漢の衝撃に思わず倒れ伏せる二人。
「クソ舐めた真似してくれたなっ! ぶっ殺――」
「はいっ! どぉーんっ!」
ふざけた掛け声とともに突然、筋肉男の側頭部へ飛び膝蹴り突き刺さる。
顔がくの字に曲がり、筋肉男の身体は外壁付近まで吹っ飛んでいく。
粉塵が立ち込める中、セオリーが華麗に舞い降りる。
「折角の見せ場を取ってしまい申し訳ないのですが、ここは巻いていきましょう? 睡眠は最強の美容法なのですよ? ねぇ? 凰華」
「はぁ……」
淡々と乱れた髪を整えているセオリーの奇行に、振られた凰華も生返事をするしかなかった。
塵芥が充満するフロア内、男の立ち上がる様子は見受けられない。完全に伸びたようだった。
「貴女、本当に一体何者なんですか?」
「
「セオリーっ!!」
暁の突然の叫びには反応する間もなく、セオリーは背後から男の裏拳を受け、骨が砕ける音がフロア内へ響き渡った。
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