#030 マインドハザード Hameln

日比谷共同溝。GADSサーバー区画――


 首都のライフラインの密集する日比谷共同溝、その区画の一つ、堅固なコンクリート擁壁に囲まれ、厳重な金属扉の先にGADSのサーバールームがある。


 巨大なホログラムモニターには都心の通信状況が可視化されて、あらゆる情報が一度はGADSのサーバーを経由している事がはっきりとわかる。


 白髪の男、且又は唯一人護衛も付けず、GADSに備え付けられたホログラム表示されたキーボードを叩いている。


「さて、これで君は僕のものだ」


 且又がエンターキーを押すとGADSがアクセスを受け付け、システム管理権限が且又に委譲される。


 システム開発者である三笠教授に仲介人を介して接触したのは、彼の指紋や網膜データ。そしてDNAデータを入手するためだった。


「うーん……」


 自分の顔写真と名前がモニターに大きく表示されたのをみて且又は唸る。


「この且又という名前ももう使う事はないだろうね」


 何を思ったのか自分の名前を『&・&』と書き換え、満足そうに大きく頷いた。


 元々自分には名前などはない。データ上どの国にも自分の出生記録はない。与えられたものは『&・&アンパサンズ』という記号なまえだけだった。


 同じ境遇の組織なかまがくれたものであり彼はこの記号なまえを気に入っていた。


「さあ、審判の時間だ。真に強きものよ。君の輝きを僕に見せてくれ」


 訳の分からない言葉を呟き『&・&アンパサンズ』はエンターキーを押した。


 接種者リストがホログラムモニターに赤く表示され、都心が次第に塗りつぶされていく。


 それは男の悪意がウイルスの様に蔓延していく首都の姿だった。




日比谷共同溝虎ノ門立坑付近――


「あの実験体ヒトと通信が切れましたわ……まぁ、良いですわ……」


 敵に遭遇した暁に突然連絡を切られ、少々不満なセオリーは空腹でむしゃくしゃしていたこともあり凰華がコンビニで買ってきてくれたフランクフルトをかぶりつく。


「待ち伏せしていた内通者と接触したのでしょう。恐らくその人物がエブリンと考えると諸々の妨害の説明が付きます」


「そうですわね。予想はしていたことではありますが、そうなると現状は思っていたより深刻だったようですわね」


 雪原に突っ伏していたセオリーを回収していったのは凰華だった。


 彼女のお陰で命拾いをしたセオリーは、彼女の運転するステーションワゴンの後部座席で、彼女の買ってきた食事にあり付いている。


「高速降りたらびっくりしましたよ。いきなり雪原が現れて、セオリー殿が倒れているんですから、一体何があったのですか?」


 串焼きを一口で頬張り呑み込むセオリーは、次の串焼きを凰華に付きつけて説明し始める。


「……わたくしの右手には量子サーキットという装置を埋め込んでいますの」


 量子サーキット。それはセオリーとその姉妹が発明したシステム。エネルギー質量保存の法則である『イーイコールMC2エムシースクエアド』を基礎としたシステムであり、要はエネルギーを使用して物理現象を起こすシステムである。


わたくしは大気中の分子達の振動をレーザー光で止めて、一瞬のうちに凍らせたのですわ、理論上気体分子を絶対零度近くまで冷却することが出来ます」


 セオリーはレーザー冷却のうちドップラー冷却という方法を用いた事を淡々と語る。要は熱とは原子が激しく運動している状態で、その運動とは反対方向のレーザー光を当てることで物体を冷やすことが出来ると説明する。


「はぁ~全ての原子の運動を測定してって、それには膨大な計算が必要になるのでは?」


 セオリーは凰華の純粋な疑問に、ハンバーガーを頬張りながら大きく頷く。


 彼女の言う通り大気中の全ての分子に対する吸収波長などを全て計算しなければならない。


「量子コンピュータに接続すれば計算は容易ですわ」


「……確かに」


 2020年、量子コンピュータの開発当初でも当時のスーパーコンピュータが1万年かかる計算を3分20秒で行っていたことは高校の時の授業で少しやったので凰華の記憶に新しい。


 セオリーはこの一連のシステムを共同研究の論文並びに卒業論文として尊敬する教授へと提出した。


 しかし論文の内容に頭を抱えた教授から『商用された場合に、悪用される可能性が非常に高いから他のにしなさい』という理由でお蔵入りすることになり、この技術を知る人間は非常に少ない。


 結局セオリーは二人の姉と一人の妹共々、別の論文で卒業することになり大学院へと進んだと懐かしむようにセオリーは語る。


わたくし達四姉妹はこの技術の事、『オブジェクト』と呼んでいます」


「オブジェクトですか……ふんわりとした感じが情報用語の『オブジェクト』と似ていますね」


 立坑入口付近に車を止めた凰華は徐にトランクからアサルトライフルを取り出し、装備の確認及び突入の準備を始める。


「白状しますと、実はそこから取りました」


 オブジェクトとは事象や概念をモデルとして再現したもの・・の、そのもの・・自体を指す。物理法則を順に追って物理現象を再現するという意味を関連付けてセオリー達は名を付けた。


「魔法のようなものだと考えて貰えば結構ですけど、その実態は魔法マジック魔法マジックでも手品のマジックですわね」


「その方が分かりやすいですね」


 セオリーは『種があるという意味でも』と微笑んで見せる。


 凰華のタクティカルスーツに次々とオートマチック拳銃の弾倉マガジンや手榴弾を入れていく。


 メインの獲物であるM4A1カービンのアサルトライフルには赤外線レザーサイト、アンダーバレルにM203グレネードランチャーなどのアクセサリーを次々と取り付けていく。


「それにしても凄い装備ですわね」


「それはまぁ、敵陣へ乗り込むゲリラ戦ですから」


 重くないのかと心配なセオリーを他所よそに淡々と凰華はアサルトライフル用の弾倉二つを粘着テープで繋ぎ合わせている。


「凰華、暁達の事、お任せ致しますわ」


「ええ、セオリー殿。レーツェルの事、頼みます」


 暗視ゴーグル付きのヘルメットを装着し、セオリーに微笑みながら敬礼を送ると、凰華は足早に立坑へと向かった。


「さて、私達も始めるとしましょうか」


 オレンジジュースを飲み干しセオリーは携帯端末のホログラムを展開する。車内にホログラムのモニターが並び、手元にホログラムキーボードが現れる。


「レーツェル、準備はよろしいかしら?」


『準備オッケーだよ。それにしてもよくこんなこと思いつくね。やられる前に嘘を先に流すなんて』


「結構わたくしもひねくれているでしょう?」


 セオリーの作戦はこうだった。先に大量に噂を流すことで、且又が露呈する真実性を薄召させるという。


 セオリーもデマ事態を正当化させるようで、全く持って不本意であり、一歩間違えば拡散を助長させることになり、間違っているとも思っている。


「秋葉原の様子はどうかしら?」


『ちょっと待って、コレだよ』


 レーツェルより秋葉原の様子がリアルタイムに送られてくる。現在はセオリーの思惑通り、騒ぎを聞きつけた警察の鎮圧部隊とイベント参加者達と衝突している。


『隠しボスがこっちに行ったぞっ!』『うわっ! なんでこんなところに警察がっ!』『何なんだっ! この連中はっ! イベント主催者に問い合わせろっ!』『警察なんかぶっ潰せっ!』などと、隠しボスセオリーを追いかけるプレイヤー側と警察双方混乱を極めている。


 しかしセオリーの顔は晴れやかではない。プレイヤー達が次々と拿捕されていく様子からの罪悪感もあったのだが、且又との心理戦は現状かなりセオリーの方が追い詰められており、幾つかの手を考えていたが、時間との兼ね合いを考えると一つしか思いつかなかった。


「そうですわね……ここまで追い詰められると手段を選んでいられません、まずは突拍子も無い一発で分かる嘘を付きましょう」


 マインドウイルスへの治療には「意識的に選択」することが重要になる。何が自分にとってマイナスで、何がプラスなのか選択し行動しなければならない。


 マインドウイルスは個人にとって何が大切な事柄から注意を反らし、他の事を指せるように仕向けるとはよく言ったもので、セオリーは人が明らかに嘘だと分かる情報を流し炎上させることで冷静さを呼び起こし、意識的に選択させるように仕向ける。


「それから疑似科学的な信憑性・・・を持たせましょう。噂が広がらないのも困りますので、加減はレーツェルにお任せするしかありませんわね」


『レーツェルに任せて、この都市の人達の趣向性は全部記憶領域に保管したから、どんと来いっ!』


 ホログラムの悪戯好きの妖精ピクシー、レーツェルが胸を張って見せる。準備も整った後は全力を尽くすのみ、セオリーは高らかに作戦開始を宣言する。


「それじゃぁ、行きますわよっ! 名づけてハーメルンのほら吹き――じゃなかった、ハーメルンの笛吹き作戦開始ですわっ!」




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