明治を超解説 ③
いよいよカクヨムコン5、今日で終了です。
参加された方々お疲れさまでした。宣伝できるのも今日まで。最後の宣伝いきますよ。
この宣伝企画もありがたいことに、みなさまに読んでいただいてうれしいかぎりなのですが……なぜか、昨日は肝心の「あまねく」よりもこちらのPVの方が上だった……
ちゃんと宣伝になってないような、本末転倒な事に……
お願いです、これ読んだら「あまねく」も読んで!!
そしてちょっとでもおもしろかったら、★つけてください!!
第一章は自分でも、かなりな完成度だと思います。そこまででもいいから!!
ぜーぜーよし全力でお願いした。きっとみなさんの心に響いてるはず。きっと!!
お見苦しい姿を見せてしまいました……でも、今日が最後だから許して。
さあ気を取り直して、明治を超解説していきます。
私歴史好きですが、大学では民俗学を専攻してました。史料に書かれた歴史よりも、文字に残らない民衆の間に脈々とうけ継がれてきた歴史に、興味をひかれたからです。
なので「あまねく」の中にも、当時の風習なんかを入れ込んでます。その解説をしていきたいと思います。
ちょっとネタバレ感あります。ネタバレが嫌って方はここでやめて「あまねく」を読んで、それからもどってきていただければ、より作品を深く理解できると思います。
まず、男の子に女の子の衣装を着せて育てる事(本作にこの風習が出てきます)
これ、主に上流のご家庭であったことのようです。
男の子は小さい頃本当に病気がち(丈夫な子もいますが、一般論として)私も男の子を育てた経験があるので、身に染みます。
医療の発達していない時代では、すこしでも丈夫な女の子にあやかろうという親の思いから始まった風習かと思います。
昔は、病気イコール魔ですから、女は魔に強いってことです。
「あまねく」の執筆にあたって古写真をたくさんみたのですが、そこに衝撃的な写真が!
皇族の方の古写真を集めた本にのっていた昭和天皇の幼少期の写真。たぶん五歳ぐらいかな。
くりくり丸坊主頭に、ふりふりドレスを着て、木馬(たぶん)にのった写真。(今心にずきゅんときた方、お主しょただな)
めちゃくちゃかわいい!! なんじゃこらですよ。
明治天皇も京にいた時は、紅をさして女の子の衣装を着ていたそうです。宮中の風習だったのでしょうね。
私が小さい頃、昭和天皇はおじいちゃんでした(あたりまえだ)あの独特の手をふるお姿を覚えています。その頃このおじいちゃんなんて品があって素敵なんだ(めっちゃ失礼ですが、なんせ子供だったんで)と思っていたのですが、その感覚は外れてはいなかった。
同じ本にのっていた、昭和天皇二十歳前後のお写真。めっちゃイケメンです。
みなさんも、機会があれば見てみてください。写真でみると、歴史というものがぐっと身近に感じられます。
双子の話(これかなりネタバレです)
古来より、双子は忌むべきものと言われてきました。これを読んでいる双子の方本当に申し訳ない。でもこういう歴史があったのです。
昔の人の感覚で、普通でないことは吉凶の表れです。
吉はたとえば、白へびさん。アルビノのめったにいない白蛇は神の使いとされました。
反対に双子は凶です。
出産という物は命がけで、命を落とす母親も多数いました。それが、双子ならなおさらですよね。現代でも双子出産はリスクが大きい。なので、双子イコール死のイメージだったんでしょうね。
面白いことに現代では、先に生まれた方が長子ですが、昔は後に生まれた方が長子でした。なんでかっていうと、人を押しのけて先に生まれるなんて悪い(すごい考え方だ。たぶん儒教あたりからくる倫理観でしょうか)とか、長子の露払いとして下の子が先に出てくる、とか。
現代人には、ちょっと理解できない感覚です。まさに異世界。
最後に風習というか、当時の死亡率の話。
明治に入り、近代的医療が普及するまで乳幼児の死亡率は大変なものでした。
「あまねく」の中でも大名家の子どもたちが次々なくなります。
最先端の医療を受けられる、大名家でも死亡率が高いので、庶民はもっとすごかったでしょう。
しかし、上流階級の乳幼児死亡率が高い原因は、なにも医療のせいではなかったのです。それは、おしろいに含まれる水銀が原因だったのではないかと言われています。
上流のお子様には乳母がつきます。その乳母に始終抱っこされるわけですが、その乳母は水銀を含むおしろいをたっぷりぬっています。
赤ちゃんは、乳母の顔をペタペタさわり、その手もべろべろなめる。自然と水銀中毒となるわけです。こ、こわい……
水銀以外にも、跡目争いによる毒殺、これも死亡率を上げていたかも(「あまねく」にも、この辺の話が)
ひえー現代人庶民でよかったって思う瞬間です。
絶倫将軍として有名な徳川家斉には、子供が55人もいました。しかし成人したのは、その半分ぐらいだったといわれてます。いかに死亡率が高いかわかりますね。
この家斉さんのお子さんたちは、みんな美形だったと当時日本に訪れた外国人の証言があります(若に会えても、どうやって姫に会ったのかちょっと怪しい証言ですが)
大奥美女3000人の中から、選びたい放題だったんだから、子供もそりゃあ美形よね。
以上、当時の風習がわかっていただけたでしょうか?
歴史ものっていっても、そこには人の暮らしがあります。感覚や考え方は異なっても人間ドラマがあるのは現代といっしょです。
少しでも、興味が出たら読んでやってください。
「あまねく空を~明治旧大名家ものがたり」
URL: https://kakuyomu.jp/works/1177354054891442616
(宣伝企画用)歴史・時代・伝奇・『あまねく空を~明治旧大名家ものがたり』・125,978文字・コメント38・★24 澄田こころ(伊勢村朱音) @tyumei
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