新しい世界

お弁当の時間に





 どんなに夜更かしの夜でも、しっかりと明けて朝がやってくる。



 後桜川ごさくらかわ祈莉いのりは眠たい目をこすりながら、いつもの通学路を一人歩く。

 家からすぐの、ご近所の見慣れた道のはずなのに、こんなに眠たいのに、なのに、いつもとは違ってきらきらしているように見えた。




 ゆうべ仕事で帰ってきていなかった父母は、朝には帰宅していて、祈莉と一緒の朝ご飯だった。

 食事の席で、母は自分の兄――願生伯父さんのことをしきりに聞きたがっていたので、珍しく話が弾んだ。

 最近は母――後桜川ごさくらかわ誓子ちかこと一緒だと、心の一部がざわざわと落ち着かなくなっていた祈莉だったが、今朝はちゃんとお話が出来た気がする。これも伯父のお陰だ。その分、きっちりと頼まれた仕事をしようと改めて心に誓う。




「んーー……今日はいいお天気になりそうだなぁ」

「だなぁー」


 通学路で何気なく空を見上げながら呟いた言葉に、背後から相槌。

「よっ、おはよう。祈莉」

「あ。おはよう。巧海たくみ君」


 振り返れば、爽やかに笑いながら、片手を上げて挨拶してくれる巧海君。

「一緒に行こうぜ」

 と、一緒に登校しようとお誘いが。

「といっても、もう学校の門まできちゃってるけど……」

「なら教室まで! なんなら祈莉のカバンも持つし!」

「必死だねぇ」

 呆れたような声で、ため息交じりに祈莉は言う。

 彼が必死になっているのは、祈莉を気を惹こうとかそういうんじゃなく、プリ姫の話がしたくてたまらないといったところなのだろう。


「そりゃ必死だよ。昨日のメッセージの後は、写真は撮らなかったのか? あるなら供給を恵んでくれ……姫の供給を……」

「必死すぎないかな?」


 とはいえ、全力全霊で生きている彼は、祈莉にとって面白いし好ましい。

 昨日送っていなかった写真を送ると約束しながら、校内に入り、下足箱を通って、教室へ――


 ……教室のドアが開くと、明らかに皆がざわついた。


「んじゃ、頼んだぜ祈莉」

「う……うん。了解だよ。巧海君」


 そんなざわざわを気にした様子もなく、巧海は気分良さそうに自分の席に向かって、他の男子達とスポーツ番組か何かの話を始めてしまっている。


 祈莉はというと――女子達に遠巻きにされていた。


「まさかの急接近している……ほら、やっぱり祈莉はああいうタイプが好みだと思ったのよ」

「先の土日で一体何があったのだ……解せぬ……」

「というか祈莉……いつの間に名前で呼び合う仲になって……」


 いつも仲の良い――いや、仲良くするようつとめている女子達が、完全に祈莉に近寄らず、けれど祈莉のすぐ傍で、ひそひそざわざわと何があったのかと話し合っている。


「……ん」

 遠巻きにされている状況がなんとなくちくちくするけれど、思っていたよりも気になるものではなかった。痛くないし、不快感もそんなにない。

 だから彼女たちは放っておこう。

 多分、白都しらと巧海たくみという男子にそれなりに夢を見ているのだろう彼女たちに、『真実』を教えるのも酷だろうし。


 それよりも――


 祈莉は自分のスマホを操作して、画像フォルダの中から昨晩撮影したプリ姫シュゼットの写真を、メッセージSNSで巧海に送りつけるのだった。





 昼休み。

 巧海にお弁当を一緒に食べようとお誘いされた祈莉は、すぐにそれにのっかった。

 友人たちにこのまま遠巻きにされて一人でお弁当を食べるのも、逆に友人達に囲まれて問い詰められるのも針のむしろだろう。

 それなら、この誘いにのらない手はなかった。


 巧海が選んだ場所は、外壁にある非常階段。

 風ちょっとばかり強いがあまり人気はなくて静かに話ができそうだ。

 階段は、中庭に面していて、ほこりっぽさもなく緑が目に優しい。これはなかなかの穴場昼食スポットだろう。


「祈莉の弁当、なんていうか……思っていたより渋くて格好良いな……」

「あぁ、家庭のお弁当ぽくはないよね……」

 祈莉のお弁当箱は、女子高生には似つかわしくなく漆塗りで、隅に金で月とうさぎの模様が描かれているのがまだ可愛らしい要素だろうか……という代物。これでも随分改善されたのだ。お正月の重箱みたいなお弁当箱よりはかなり進化した、と思う。

 中身も渋く、照り照りの煮物やら、何かのすり身が入った卵焼きやらだ。


「いいなぁ、格好良いぜ。俺なんてこれだからな」

 そう言って巧海が見せてくれたお弁当箱は白いプラスチック製。ドカ弁というのだろうか、一段だけのとにかく大きなお弁当箱。

 中身は、ケチャップがかかったミニハンバーグに、コーンが入ったほうれん草のソテー、ふりかけでカラフルなおにぎりなど。

「お子様ぽいだろ?」

「ううん、むしろこういうお弁当の方が好きだな。憧れる」


 どっちが学生のお弁当として好ましいか。

 そういわれたら間違いなく、十人中九人は巧海のお弁当を支持することだろう。

 祈莉のお弁当は、いい食べ物ではあるのかもしれないが、女子学生である自分には似合わない。



「でな、俺のいちごのお姫様――ミルフィーユのデフォルトウィッグはあの通りいちごを思わせるピンクのふんわりしたのなんだが、しかし、黒髪ストレートなんかもよさそうで」

「ウィッグかぁ。そういえば伯父さん、なんかウィッグも持たせてくれたみたいだけど。まだ確認してないなぁ……」

「なんだと……」

「だって、まずはシュゼットの玉座つくってあげなきゃってなって、それから写真とってたらあっという間に夜中なんだもの」


 それぞれのお弁当を食べながら、プリ姫の話で盛り上がる。

 さわさわと吹く涼しい風、影になっている場所なので直接降り注ぐことはないが日差しは明るくて、緑の匂いが心地よい。


「あ」

 巧海が、カラフルなおにぎりをもぐもぐしながら、中庭をみつめている。

「どうかした?」

「いや、あそこにお弁当食べてる二年生、いるじゃん?」

「……あの人のこと?」


 中庭のベンチには、いかにも一人の時間を楽しんでいるといった雰囲気の、二年生の女子。どこかで見たことがあると思ったら、例の作家先生だとか言う――


若葉わかば冬萌ともえ先輩、だっけ」

「そうそう、その若葉先輩のことなんだけどさ」

 巧海は、まるで極秘情報のやりとりでもするように、声を低くする。


「俺さ。若葉先輩らしき人を、何回かドールショップで見かけてるんだよ。あの店でもみかけたことがあるんだ」

「……他のものを買いに来た、とかじゃなくて?」

 首を傾げながら、伯父の店の様子を思い出す。

 あの店はホビーショップなので、同じフロアの中にはプリ姫のための売り場もあれば、キーホルダーやら、有名キャラモチーフのぬいぐるみなどもあった。それならお目当てはそっちということもあるだろう。


「いや、見つけたときは大抵ドール専門店だとか、ドール売り場だから――きっと、若葉先輩もドールオーナーに違いないだろう……!」

「た、巧海君……?」


 なんだか巧海の目がめらめらと燃えているようにみえるのは、祈莉の気のせいなのか。


「祈莉」

「な、なんだろう」

「放課後は、時間あるか?」

 その問いかけに、祈莉はこくこくと頷くより他にない。



「それならよかった」

 巧海は一呼吸して、それから宣言した。



「放課後に若葉先輩を尾行するぞ! きっとドール店に向かうに違いない!!」



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人形姫は祈らない 冬村蜜柑 @fuyumikan

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