第二章 屋根の上から 3
二人は畦道を歩いて行った。
稲は刈り取られ、案山子だけが田んぼにポツンと取り残されている。この様子を小太郎はじっと見つめていた。
「どうしたんだ?さっきから考え事するように…」
弥次郎に言われ小太郎は我に返ったかのような振る舞いをした。
「いや。何でもない。気にしないでくれ…」
「そうか…」
弥次郎は溜息をついた。そして田んぼを見て呟いた。
「あの案山子俺たちみたいだな…」
「えっ?」
小太郎は目を丸くした。
「案山子は俺たち。田んぼは山。稲はいなくなった皆だ。あの田んぼは最近まで稲が実っていたけど。それが刈り取られると何も無いように見えて寂しく見えるだろ。そこに案山子だけが今も立っていて。皆いなくなっても山に残り続ける俺たちみたいじゃないか。」
そう言われて小太郎も納得したのか眉尻を下げ寂しそうな顔をした。
「そうだな…。」
二人は顔を田んぼから道に戻し、そのまま山へ帰って行った。
―その日の夜。
吾平は家を出ると隣の小太郎の家に向かった。その近くに幹のしっかりした木が生えている。吾平は幹を両手で掴むと登って行った。
やがて屋根の高さまで辿り着いた。事前に確認した屋根の破損部分は木の近くにある。屋根に置かれた石も側だ。ここから手が届きそうだ。おまけに屋根に空いた穴を通して横たわる人影が見える。
吾平の口元が緩み笑いがこぼれそうになる。
彼は迷うことなく石を一つ手に取った。そして勢いよく穴の中へ投げ落とした。
砕けるような鈍い音が暗闇の中に響いた。
吾平はくすくす笑いながら、ゆっくりと木から降り始めた。
「でも、儂は助かった。どうしてだと思う?」
老主人は藤吉に尋ねた。
「それは本人に当たらなかったからでしょう。」
「しかしなあ。石が何かに当たったような音がしたんだぞ。」
主人は意地悪そうに言う。藤吉がどう答えるのか見物するために。
「もちろん石は当たりはしたでしょう。本人の身代わりとなった物にでも。」
「身代わり?」
主人はどきっとさせられた。答えを見破られたと感じた。
「ええ。日頃吾平に用心されていたのでしょう。夜中は戸が開かないようにしたりと。それなのに屋根に空いた穴の下で寝るなんて不用心じゃありませんか。吾平が見たという人影は案山子だったのでしょう。」
「そうじゃ…」
主人は目を見開いて驚いている。
「炭を売りに行ったという話を旦那様がされたのは田んぼの話をしたいため。案山子をじっくりと眺めていたとね。そして木を拾い集める。これは身を守るための得物にするためでなく案山子の材料にするため。以前から身代わり用の案山子を作っており、田んぼで見つけた案山子を思わず自分の作った案山子と見比べてしまったのでしょう」
「…当たりだ…」
主人はそれしか言えなかった。藤吉はどれだけ鋭い子なのかと驚き、ただの風呂焚きにしておくのをもったいなく感じられた。
「ところで旦那様のお話では『山に残りたい』『長者になる気はない』と仰っていたのに今は里で炭焼き長者として暮らされている。それは奥様と一緒になられるためですか?」
藤吉が尋ねる。
「ああ。何せ石原長者の娘御。石原長者は都の公家や武家にも顔が利く近郷一の長者様だからな。」
「権助という商人は今どうされていますか?」
主人は眉をひそめ肩をすくめた。
「とうの昔に亡くなられた。酒に酔って川で溺れてしまった。」
翌日。朝日の眩しい光に起こされた。吾平は瞼をこすりながら家を出た。いつものように炭焼き窯まで面倒な仕事をしに行く。だが今日は気分は違った。
昨夜は小太郎の頭に石を叩きつけてやった。今頃、奴は家の中で冷たく転がったままだろう。吾平は想定している。
炭焼き窯に近づくにつれ誰かが薪を運んでいるのが見えた。
弥次郎だろうと吾平は目星をつけた。
声を掛けようと「弥次…」と言いかけた所で足が止まった。全身に震えが走った。意識が飛んだ状態で目の前の相手を眺めることしか出来なかった。
「どうしたんだよ。」
小太郎がそこに立っていた。
小太郎は吾平を見るなりぶっきらぼうに問いかけた。ふてぶてしく嫌そうな顔を浮かべている。
「おはよう。何かあったのか。」
後ろから弥次郎がやって来るなり二人の不穏な様子を感じ取った。
「…おいっ…お前…」
吾平はガクガクしながら声を絞り出した。小太郎はそんな様子を冷たく見つめた。
「何言おうとしてるんだよ。それより夜中危なかったんだ。屋根に壊れかけで穴開いてる所あるんだけど。そこから石が落っこちてな。ほら屋根が飛ばされないように置いている奴。あれが落っこちて来たんだ。」
吾平の震えはまだ続いている。
「泥棒除けにとでも案山子を作って転がして置いたんだけど。それに石がぶつかってぺっしゃんこになっちまった。しかし何で石が落っこちてきたんだろうなあ。」
小太郎はとぼけるような物言いで吾平をちらりと見てくる。吾平はその視線から逃げ出せなかった。
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