バルーンフェスタ
ドクソ
バルーンフェスタ
放課後のチャイムが鳴る、六年三組と表記された札の教室には三人の生徒が残っていた。
自身の席に座る八雲を取り囲むようにして集まり、そのうちの一人、七海が言った。
「ねえねえ、知ってる藍ちゃん?明日の夏祭りはね、やっくんのお父さんが風船を飛ばすんだよ!」
藍は首を傾げて聞き返す。
「お祭りに風船を飛ばすの?」
「うん、いつからそんな風になったのかは分かんないけど、やっくんのお父さんの風船屋台が祭りのはじまりに一斉に風船を飛ばすの。虹が出たみたいで綺麗なんだよ」
天を仰ぐように、七海が大げさなジェスチャーをする。
「そうなんだ、私、見てみたいな!」
三人のうち、八雲と七海は幼馴染だが、藍は母親が転勤族で、去年の冬にこの町に引越してきたため、まだ夏祭りに行ったことがなかった。
「でもなんで風船を飛ばすのかしら?そんなお祭り他に聞いたことがないわよね」
八雲は七海の問いに答える。
「ウチのお父さんがお祭り好きで、ある年に自分でも屋台を出したいと思ったんだけど、不器用で料理が下手だから、たこ焼きも上手く作れなくて。だから子供が喜ぶように風船の屋台にしたんだって言ってた。あと近所でコンプレッサーを持ってるのもウチだけだから、昔から何かある度に風船づくりは頼まれてるんだって」
「不器用で石工が出来るのかしら?あと、コンプレッサーってなに?」
「あのね、空気を溜めてそれを勢いよく吹き出す銃みたいな機械なんだ。それをガスボンベにくっつけて風船用のヘリウムガスを入れるんだって」
「よく分からないけど、それで沢山風船が作れるのね?」
「うん、今年のお祭りのはじめにもいつも通り飛ばすって言ってたよ」
藍が八雲と七海の話に口を挟む。
「ねえ、空に飛んでった風船って、どこに行くのかな?」
二人は腕組みをして首を傾げる。
「うーん、分かんない」
「じゃあ、先生に聞いてみる?」
「そうだね、先生に聞いてみようよ!」
三人は教室を出て職員室を訪ねた。
「失礼しまーす」
そう言いながら三人は入室し、担任のよしこ先生の席に向かった。
「あら?八雲君達どうしたの?」
こちらを向き、ずれた眼鏡を直す。
「よしこ先生、飛んでった風船ってどこにいくのかな?」
「ん?風船?」
「お祭りでやっくんが飛ばす風船のことなんです」
よしこ先生は「あぁ!」と言って、胸の前で両手を合わせた。
「お祭りのはじまりを告げる『バルーンリリース』のことね、あの風船はご先祖様に私達が元気ですよって気持ちを伝える為に飛ばすって聞いたことがあるわ。だからきっと天国に届くんじゃないかしら」
「ご先祖様に?」
「ええ、それに結婚式でも同じような催しをすることがあるわね。だから風船を飛ばすのは普段は恥ずかしくて言えない『大好き』って気持ちを伝えてくれるような気がして先生は好きよ。そっか、あれは八雲君の家で飛ばしてるんだっけ」
八雲は不思議そうな顔をして、先生に尋ねた。
「大好きって、なんで言えないの?」
「うーん、本当はいつも言えたら良いのにね。言葉っていうのは毎日同じように言ってても、その本当の気持ちが伝わりづらくなっちゃうからかな?ごめんね、先生もよくわからないや」
でもね、そう言葉を付け足すよしこ先生。
「きっと直接大好きって言えない人に、勇気をくれる意味であの催しがあると先生は思うな」
「そうなんだ、ありがとう先生!」
「はい、じゃあ気を付けて帰るのよ」
三人は職員室を後にして帰路についた。
帰宅途中の大きな十字路で七海に別れを告げ、八雲と藍は二人並んで家に向かう。
八雲の家に到着する二人。
八雲の家は石材店を営んでおり、その店先には小さく不格好な猫の石像が飾ってある。
「ただいま、猫ちゃん」
そう言って藍は猫の頭を撫でる。
「耳には触らないでね、一回折れちゃってボンドでくっつけてあるだけだから」
八雲がそう言うと、藍は「わかってるわかってる」と言いながら優しく猫を撫で続ける。
「バルーンって言うんだよ」
「うん、知ってるよ。八雲君のお母さんが付けたんだよね、可愛い名前だよね」
「可愛いのは名前だけだけどね。これは僕が一年生の時に作った石像だから下手くそなんだ」
「そう?上手だと思うし、私はこの猫ちゃんとっても可愛いと思うよ?」
「そう言ってくれるのは、お母さんと藍ちゃんだけだよ」
藍はひとしきりバルーンを撫でた後、立ち上がり八雲に聞いた。
「お母さん、死んじゃったの今でも悲しい?」
八雲は履いているズボンをぎゅっと握って頷いた。
「うん、悲しいし寂しいよ。でも今日よしこ先生の話でもあったでしょ?ご先祖様に元気ですって気持ちを伝えることが出来るって。だから今年のお祭りの時にいっぱい風船を飛ばして、お母さんに元気ですって伝えるんだ」
そうだねと言いながら藍は八雲に言葉を返す。
「ウチもむかしお父さんとお母さんが離婚しちゃってて、今はお母さんしかいないからちょっと似てるよね」
「藍ちゃんも寂しいの?」
藍は首を横に振って笑顔で答える。
「ううん、だってお母さん優しいし。それに今は八雲君と七海ちゃんに毎日会えるもん」
「そうだよね、僕も藍ちゃんと七海に会えるから、毎日楽しいよ」
「じゃあ、また明日ね」
そう言って、藍は自分の家に帰って行った。
八雲は亡くなった母親の瑞樹に想いを馳せる。
瑞樹は病院のベッドに横たわり、八雲はベッドに備えつけられた簡易な机で宿題をしている。
「八雲は毎日お見舞いに来てくれるけど、友達とは遊ばなくていいの?ここにいても退屈でしょう?」
「お母さんがいるから退屈じゃないよ。それに七海が言ってくれたんだ、お母さんのお見舞いに行かなきゃでしょって」
「相変わらず七海ちゃんはしっかり者ねえ、でもお母さんも八雲が来てくれると嬉しいから良いんだけどね」
そう言って瑞樹は優しく八雲の頭を撫でる。
八雲はえへへと笑って、瑞樹に聞いた。
「お母さん、いつ家に帰って来れる?僕もうお父さんのカレー食べ飽きちゃったよ」
驚く瑞樹。
「もしかして、私が入院してから毎日カレーを食べてる訳じゃないわよね?もう三か月も経つのに?」
「ううん、毎日じゃないよ。でも僕、お母さんのカレーが食べたいんだ」
「そうね、お医者さんが帰っていいよって言うまでここにいねくちゃいけないの、私も病院に飽きちゃった。早く家に帰ってお父さんと八雲と一緒にカレーが食べたいな」
「僕、ひき肉のやつがいい」
「お母さん特製のキーマカレーよね、分かってる」
「でもピーマンは入れないで欲しいな」
「だーめ、好き嫌いしてると、お化けが出てきて食べられちゃうんだから」
そう言って瑞樹は八雲の頭に噛み付く振りをする。
頭を抱えながらしゃがみ込む八雲、二人は楽しく笑い合った。
「お母さん元気になってすぐ退院するから、元気に待っててね八雲」
「うん、わかった、絶対だよ!」
しかし、その約束が守られることはなかった。
その日の夜、瑞樹の容態は急変し、そのまま帰らぬ人となった。
葬式が済み、お棺を火葬場に入れる時になっても、八雲は瑞樹の顔を見ないようにした。
「八雲、お母さんとお別れだよ。ばいばいしなきゃ」
そんな父親の言葉を決して聞くまいと、両手で強く耳を塞いだ。
その後も八雲は瑞樹が亡くなった事を認めようとせずに日々を過ごした。
そうすることで、いつか瑞樹がひょっこりと帰ってくる気がしていたからだ。
日々は過ぎ、ある授業参観の日。いつもは瑞樹が見に来てくれていたのに、その日は父親の康介が学校にやってきた。
それに対して、八雲は康介に質問した。
「ねえ、お母さんはいつ見に来る?」
その八雲の発言に、康介は険しい表情を見せた。そして、しゃがみ込み、八雲と目線を合わせながら言った。
「お母さんなぁ、もう授業参観に来られないんだ」
八雲はこの時やっと事態を飲み込んで泣き叫んだ。
「やだ、お母さんがいい、お母さんがいい!」
康介は暴れる八雲を抱き寄せた。
「うん、そうだよな…お母さんがいいよな…」
大声で泣く八雲を、康介は抱きしめることしか出来なかった。
あの時は悲しかったが、一年以上経過した今はそれを受け止めて生きている。
八雲は頬に流れた涙を拭い、家である石材店に入る。
康介が祭りの準備に取り掛かっていた。
「おう、お帰り八雲、明日は盛大に飛ばすぜ!」
「うん、お母さんに元気だって知らせてあげるんだよね」
「お、お前良く知ってるなぁ。そうそう、俺と八雲は元気いっぱいだって伝えてあげようぜ!」
その日の夜、八雲と康介は明日の祭に備えて境内にガスボンベとコンプレッサーを運び入れた。
「午前中には、もう風船にガスを入れ終えておくようにするから、時間になったら一緒に飛ばすのを手伝ってくれ」
「分かった、明日学校から帰ったら荷物を置いてすぐにここに来るようにするね」
「それにしても重かった。自分へのご褒美に、帰りにコンビニに寄ってアイス買っていこうぜ」
「お父さんいつもご褒美ばっかりだね、また太っちゃうよ?」
「ぐぬぬ…じゃあ今日はカロリーオフのやつにしとこう…」
「やっぱり食べるのは食べるんだ」
そう言いながら二人は帰路についた。
翌日、夏祭りが行われる日の朝。
八雲が学校に行くと、教室内に藍の姿はなかった。
朝礼のチャイムが鳴る。よしこ先生と、その後に続いて藍が教室に入ってきた。
「えー、今日は大切なお知らせがあります。去年の冬にこのクラスに転校してきた水野藍さんが、ご家庭の都合で今日また引越しすることになりました。
クラスに「えー!」という声が響き渡る。
八雲は混乱していた、昨日までそんな話を少しも聞いていなかったからだ。
先生に促されて、藍は教壇の前に立った。
そして、クラスメイトに別れの挨拶を告げる。
「皆さん、今までありがとう。そしてさようなら」
挨拶は非常に簡素なものだった。
そのまま朝礼を終えると、八雲と七海は一番に藍のもとに駆け寄り、声をかけた。
「藍ちゃん、引越しってどういうこと?なんで言ってくれなかったの?」
藍は八雲と視線を合わせようともしない。
「私も昨日知ったんだもん。それに八雲君には関係ないでしょ」
「関係ないって…」
「そんな言い方ないじゃない、私達友達でしょ!」
「いつものことなの、それに仲良くしたって、どうせ私のことすぐに忘れちゃうんだから…」
「絶対に忘れないよ、どうしてそんなことを言うの?もう決まっちゃったの?もうこの町にはいられないの?」
八雲が藍の顔を覗きこむとその目は腫れぼったい。つい先ほどまで泣いていたようだ。
「この町にいられる方法、一つあるよ」
「それはなに?僕に出来ることなの?」
藍はこの日、はじめて八雲の顔を見る。
「ねぇ、八雲君のお父さん、私のお母さんのこと好きかな?」
「え?どういうこと?」
「八雲君のお父さんと私のお母さんが結婚すれば、私ずっとここにいられるじゃん」
そう言って、藍は両手で顔を覆う。
「私だって嫌だもん!八雲君と離れたくないもん!」
いやだ、いやだ、いやだ、そう言いながら藍は机に突っ伏してしまった。
そんな藍の姿に動揺した八雲は、つい口をついて言ってしまう。
「大丈夫、ずっといられるよ。だって藍ちゃんのお母さんのこと、僕のお父さん美人だって言ってたもん。きっと結婚してくれるよ!」
藍は「本当?」と言いながら顔を上げた。
「うん、僕、今からお父さんに聞いてくる!」
「ちょっとやっくん、もう授業始まるよ!」
そんな七海の静止を振り切って、八雲は教室を後にした。
八雲が家に到着すると、すでに祭りの準備を終え、店番をしている康介の姿があった。
「あれ?八雲、お前学校はどうした?」
そんな声を無視して八雲は康介に言葉を投げかける。
「お父さん、藍ちゃんのお母さんと結婚してよ!」
「はぁ?なんだよそれ、なんでそんな話になってんだ?」
「そうすれば藍ちゃん、引越しせずに済むんだ、だから結婚してよ!」
康介は事情を理解したようで、八雲の前まで歩を進める。
そしてしゃがみ込み、八雲と目線を合わせながら言った。
「お父さんな、お母さんの事をちゃんと幸せにしてあげられたかまだ分からないんだ。お母さんは多分、お父さんが再婚する事を喜んでくれる人なんだけどな。でもこんな気持ちでお嫁さんを貰っても、その人のことを一番に想ってあげられないと思うんだよ。だからお父さんは今はまだ再婚をしたくないんだ」
「一番じゃないと、結婚は出来ないの?」
「いいや、そんなことは無いと思う。世の中には沢山のお嫁さんを貰っている人もいるし、お見合いだってある。でも少なくとも、お父さんは一番好きな人じゃないと結婚は出来ないんだ。分かるか八雲?」
「そっか…」
そう言いながら俯く八雲を見て、康介が優しく声をかける。
「八雲、お母さんに会えなくて寂しいな…」
そんなつもりで結婚できるか聞いたのでは無かったが、八雲は母親の事を思い出すと涙を堪えることが出来なかった。
気が付くと八雲は拳を強く握りしめながら「うん…寂しい…」と答えていた。
涙がとめどなく溢れてくる。
八雲を抱き寄せる康介。
「そうだよなぁ、お父さんだって寂しいんだもんなぁ」
八雲が康介の腕の中でひとしきり泣いたあと、康介は言った。
「藍ちゃんに、ちゃんとお別れの挨拶をしてきなさい」
「うん、分かった」
そう言って玄関に向き返ると、そこには七海の姿があった。
「やっくん…ここにいた…」
「七海?どうして?」
学校から全力で走ってきたようで、息切れしている。
「藍ちゃん…今日のお昼頃に…引越すんだって。もう…学校から帰っていっちゃった…」
八雲が店の掛け時計を確認すると、すでに時刻は十二時を回っていた。
八雲は康介と七海に言った。
「僕、このまま藍ちゃんとお別れするのは嫌だ、お母さんの時みたいに後で泣くのは嫌だ!」
「でも藍ちゃんは、多分もう車に乗って行っちゃったと思うよ、どうするの?」
「僕に考えがあるんだ、お父さんと七海はついてきて!」
そう言うと、八雲は祭りの準備をしている神社に向かって走り出した。
走り疲れた七海をおぶって、その後を追いかける康介。
八雲は風船屋台の前で足を止める。
そこにはすでに康介が準備していたガス入りの風船が柱に括りつけてあった。
八雲はその風船の糸を乱暴に引きちぎりはじめた。
そんな八雲の行動に驚く康介。
「おい八雲、それは夕方に飛ばす予定の風船だぞ!今飛ばしたら皆が祭りがはじまったって勘違いしちゃうだろ!」
「お父さんごめん、でも僕、藍ちゃんに大好きって伝えなきゃいけないんだ、だからこの風船を飛ばさなきゃいけないんだ!」
七海が「そっか、バルーンリリースをするのね!」と言うと、八雲は大きく頷いた。
「なんだかよく分かんねえが…」
そう言いながら康介は八雲と一緒になって風船を外し始める。
「大切な事なんだな?今やらなきゃいけない事なんだな?じゃあお父さんも手伝ってやる!」
「うん、ありがとうお父さん!」
三人じゃらちがあかねえな。そう言って康介は、周囲の祭りの準備をしている人々に声をかける。
「おい!皆ちょっと手伝ってくれ。息子の一大事なんだ!」
藍は母親の運転する車の助手席に乗り、俯いている。
「藍、今度引越す場所は海が綺麗なのよ」
「ふーん…」
「新しい場所に着いたら、まずは美味しいお寿司を食べましょうよ」
「…………」
「大丈夫よ、次の場所でもお友達はきっと出来るわ」
その言葉に藍は反応し、癇癪を起した。
「海なんか見ない!お寿司なんか食べない!お友達なんかいらない!」
そう言いながら母親に向かって腕を振り回す。
「そう…いつもごめんね」
そう言いながら、母親がバックミラーを確認すると、空に何かが大量に浮いているのを目にする。
「藍、見てごらんなさいよ!うしろ、うしろ、何か飛んでるわ!」
藍が窓を開けて空を見合上げると、そこには無数の風船が宙を舞っていた。
母親は驚いて、付近のコンビニに車を駐車した。
「なんなのこれ、すっごい綺麗ね藍!」
「八雲君だ……」
「え……藍のお友達の…?」
「お母さん、八雲君が、藍に大好きって言ってるんだよ!」
晴れ渡った青空を彩るように、そこには虹がかかったようだった。
バルーンフェスタ ドクソ @dokuso0317
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