嵐②

雨足はどんどん強くなっているようだった。


傘を忘れたサラリーマン数人が、せめてもの抵抗のように、鞄を頭の上に掲げ、急ぎ足で通り過ぎている。


そういえば……。


ちょうど半年ほど前だろうか。


今日のように雨が強く降る日の夜。


いつも21時には帰宅する和哉が、1時間ほど遅く帰ってきたことがあった。


スーツから雫を滴らせた彼は、不機嫌そうに傘を乱暴に傘立てに入れると、急ぎ足でバスルームへ消えていった。


私の「おかえりなさい」の言葉に、珍しく何も返さなかった彼。


あの時は、たんに雨に濡れて機嫌が悪くなっているだけだと思っていた。


しかし……、今考えるとあの日から何かが変わっていった気がする。


残業だといって帰りが遅くなる日が増え、急な飲み会があったといってお酒の臭いをさせながら帰宅することも増えた。


そして決まって家に帰ってくると、不機嫌そうに押し黙り、自室へと消えていく。


違和感がなかったのか、と訊かれたらそんなことは無い。むしろ違和感しかなかった。


問いただそうとしたことも何度もある。


しかし、私自身、疲れているとイライラするし、そんな時に尋問されるなどうんざりするタイプだったので、何も聞かなかった。


そのうち元に戻るだろう。そう思って放っておいた。


それが良くなかったのかもしれない。


次第に会話がなくなり、私が作った朝食やお弁当すら食べなくなった。


食事をする暇もないくらいに忙しいんだろうと無理やり自分を納得させる日が増え、次第にストレスが溜まっていった。


そして1週間前。


私のストレスはついに限界に達した。


朝、いつものようにテーブルに並んだ朝食を一瞥し、身支度をし始めた和哉に、「せめて、ありがとうくらい言えない訳!?」と、怒鳴り散らした。


一瞬、ビクッと肩を揺らした彼は、私を振り返ると、面倒くさそうに溜息をついた。


そして、何事も無かったかのように身支度の続きを開始しながら、「朝からうるさいな」と冷たく言い放った。


ああ。この人は話し合う気もないのか。


諦めに似た感情と、怒りと、悲しみで、涙が溢れた。


その後のことは、よく覚えていない。


気づいたら自分の会社の女子トイレにいて、ボロボロに泣き崩れていた。


その日の記憶で鮮明に残っているのは、朝の彼との喧嘩、仕事でミスをしまくった挙句、上司に早退しろと言われたこと、割れた食器と食べ物でめちゃくちゃになったリビング、半分空っぽになったクローゼット、それくらいだ。


そう、彼は家から出ていったのだった。




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