嵐③
彼が出ていってから1週間、悔しさと悲しさと怒りでめちゃくちゃだった。
何度も彼に電話をしたが繋がることは無く、もちろん、折り返しもなかった。
仕事に身が入らず、上司や同僚に迷惑をかけ、帰宅すると怒りに任せて思い出の物を壊した。
彼との思い出の物を1つ壊すたびに、怒りが薄れ、悲しみがこみ上げた。涙が止まらなかった。
精神的に回復する頃には、食器棚から食器が半分消え、写真や装飾品にいたっては、ほとんどと言っていいほど無くなっていた。
以前よりかなり物が無くなった部屋をみて、自分が何をしたのか、はっきりと分かった。
普段、自他ともに「落ち着いてる」「冷静」と認めている自分に、こんなにも激しい一面があるとは思わなかった。
よく、心の中に嵐が吹き荒れるというが、私は自分の存在自体が嵐みたいなものなのではないのだろうかと思った。
実際にその時の私は、ストレスという雲をどんよりと蓄え、家の中や職場に大雨や大風をもたらしたのだ。
……カタリ
「お待たせ致しました。ブレンド珈琲でございます。」
食器とテーブルがぶつかる小さな音と、穏やかな男性の声で私は思考の世界から、現実に戻った。
ふわりと香ばしい香りがして、視線を窓からテーブルに戻す。
目の前に置かれた、湯気の立つティーカップと、テーブルの上に差し出された、白いシャツからのぞく手の持ち主を見る。
視線と視線が一瞬ぶつかって、男性はにっこりと微笑んだ。
「熱いのでお気をつけてお召し上がりください。」
優しく包み込むような笑顔と、どこか温かさを感じる声。
特別な意味など微塵もない言葉なのに、彼の表情と声色とが相まって、ほんの少し、私の心は温かくなったような気がした。
「……ありがとうございます。」
思いがけなく口をついて出た感謝の言葉だったが、それは自分でも驚くほどに掠れていた。
気づくと私の瞳から、一筋の温かいものが頬を伝った。
ウエイトレスの彼は、そんな私を見て、ハッとしたように一瞬目を見開き、ほんの少し困った顔になった。
私は思った。
……最悪だ。
いい歳をした大人の女が、公共の場で泣くなんて。
「あはは、すみません。なんでしょうね、これ…。」
恥ずかしくて、惨めで、作り笑いを浮かべて必死で涙を誤魔化すことしかできない私に、しばらく困ったように黙っていた彼が、声をかけた。
「あの……、お客様。」
それから、私と同じ目線まで腰を落とすと、そっとハンカチを差し出し、一言こう言った。
「苦しい時は、ここで泣いていいんですよ。」
そうしてすくっと立ち上がると、窓際に寄せてあったメニューを自然な仕草で通路側へ置き、ふわりと立ち去ったのだった。
「うぅ……。」
優しさが心にしみて、涙が止まらなかった。
その日私は、恥ずかしながらメニュー表の影に隠れて、声を殺してひっそり泣いたのだった。
窓の外では、さっきよりも随分弱くなった雨がシトシトと静かに降っていた。
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