好きの違いがわからない

M・A・J・O

好きってなに?

「さ、沙友理ちゃん……!」

「ん? どうしたのですか?」

「あ、あのさ……」


 まだ寒さが残る春の青空の下。

 中学校の屋上に、二人の少女の姿があった。

 一人は小さくて、中学の制服が似合っていない。


 その一人の少女の名は、篠宮沙友理しのみやさゆり

 沙友理はどこか遠くを見ているようで、不思議な雰囲気を纏っている。


「……す、好き……なの……」


 同性を好きになるというのは、世間から見たらおかしなことなのだろう。

 だけど、異性を好きになるのと、同性を好きになるのと……何が違うと言うのか。

 その“好き”に、違いなんてあるのだろうか。


 沙友理に告白した少女は、ぎゅっと目を瞑って返事を待つ。

 だけど、沙友理はその意味を理解していないのか、軽く言い放ってしまう。


「わたしも、あなたのことは好きなのですよ?」


 ――そんな、ベクトルの違う“好き”を。

 沙友理は、それをわざとやっているのではない。

 それをわかっているからか、少女はたいして落ち込まなかった。

 ただ、少しだけ悲しそうにしていた。


「そんなんじゃない……」

「え……じゃあ、どんな“好き”なのですか?」


 とぼけているわけでもなく、ふざけているわけでもない。

 沙友理はあまりにも、“好き”という感情を知らなさすぎたのだ。


「どんなって……そりゃ、その人のことを考えると胸が苦しくなったり、幸せな気持ちになったり……とにかく、その人だけへの想いみたいな感じだよ」


 身振り手振りを付け加え、少女は自分の感情を出来るだけ分かりやすく伝えようとしている。

 だけど、沙友理には伝わらない。

 それどころか、余計に混乱している。


「それって、わたしの“好き”と何が違うのでしょう?」

「――え?」

「だって、わたしもそのような気持ちになったことはあるのです。何が違うというのですか?」


 ――なぜ伝わらないのだろう。

 沙友理も少女も、同じことを感じていた。

 そんな時、最初に動いたのは……


「なんでっ! なんでわからないのっ!? 私は沙友理ちゃんのことしか見えないのに! 沙友理ちゃんのことばっかり考えて、沙友理ちゃんしか頭になくて……苦しくて辛いのにっ、なんで……!」


 一言発するたび、少女は沙友理に近づいていく。

 沙友理を責め立てるようにして、自分の感情を吐き出す。

 ずっと大切にしまっていた、かけがえのない想いを猛スピードで口にする。


 ひとしきり吐き出した後。

 少女は沙友理の顔面すれすれのところまで来ていることに気づき、慌てて飛び退く。


「あ、あの……私……」


 何か取り返しのつかないことをしてしまったように思えて、少女は顔面蒼白になる。

 これでは、好かれるどころか嫌われてしまう。


 ――気持ち悪いと思われるかもしれない。

 ――めんどくさいと思われるかもしれない。

 見限られたら、たまったものではない。


 好きな人に嫌われてしまったら、どうやって生きていけばいいのだろう。

 その悩みは、結果として杞憂に終わる。

 だが、それよりも深い絶望が、少女を襲うことになる。


「わ、わたしにはわからないのです。わたしの好きとあなたの好きが違うことはわかったのです。でも、あなたの好きが……わたしには……」


 沙友理は混乱していて、“好き”のゲシュタルト崩壊が起こっている。

 沙友理の“好き”は友情で、少女の“好き”は愛情。

 その違いについてはわかった。

 だけど、その愛情が、沙友理には理解できない。


「……そう。わかった。じゃあ、わかるまで待っててもいいかな?」

「え、い、いいのですか? ものすごくかかるかもしれないのですよ?」

「いい。待つ。待っててあげる。それが、“好き”ってことだから――」


 少女は精一杯の笑顔でそう言うと、この場から離れていく。

 沙友理はなぜか置いていかれたような気分になって、焦ってしまう。


 でも、沙友理は少女を追いかけられなかった。

 少女は「待つ」と言ってくれたのだ。焦る必要はないだろう。

 それでも、悲しい気持ちになるのはどうしてだろうか。


 ――風が肌寒いからだろうか。

 ――少女がいなくなって、一人になったからだろうか。


 それとも、沙友理の持っていないものを、あの子が持っていたからだろうか。


「……よくわかんないのです」


 自分の気持ちすらわからないのに、それを推し量ることは到底出来なかった。

 わからないものはわからない、それでいいはずなのに。

 どうしてこんなにも、胸が痛いのだろう……


 ☆ ☆ ☆


「お母さん、お父さん。おはようなのです」

「沙友理。おはよう」

「ほら、沙友理。入学早々遅刻するぞ」

「ほんとなのです! 急がないと……!」


 あれから、もうすぐ一年が経とうとしていた。

 沙友理は相変わらず、忙しい毎日を送っている。

 あの時のことは、今でもたまに思い出す。

 思い出すと、決まって胸が痛くなる。


「行ってくるのですー!」

「はーい、行ってらっしゃい」

「気をつけろよ〜」


 新品のローファーを履き、前に向かって進む。

 ドアを開くと、新鮮な空気が沙友理の肺を満たす。

 ここから何かが変わっていくように思えた。

 実際に変わるかどうかは、沙友理次第だが。


「よし、頑張るのです……!」


 ぎゅっと拳を握りしめ、ふんすっと息巻く。

 今日から高校生なのだ。

 期待と不安が入り交じって、感情が忙しない。


「……あの人……」


 少し遠くから沙友理の様子を見ていた人影が、意味深にそう呟く。

 沙友理のことを知っているらしいが、沙友理に声をかけることはなかった。

 だが、建物の影に隠れ、こっそりと沙友理の動向を監視しているように見える。


「……ん?」


 その視線を感じてか、沙友理が振り向く。

 だけど、そこには誰もいない。


「気のせい、なのですかね……?」


 少し気になったが、遅刻しそうなのでそれを確かめている余裕はない。

 自分が三年間通うことになる『星花女子学園』へ、いざ――!

 そして、“好き”という感情もそこで学ぶことが出来ればいいと、沙友理は思う。


「はじめまして、篠宮沙友理なのです! これからよろしくなのです!」


 そう言って、沙友理はとてもいい笑顔を浮かべたのだった。

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好きの違いがわからない M・A・J・O @miku_kura

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