1.

 の沈みきった夜だった。

 日付が変わるにはまだ早いが、既に街は死んだように静まり返っていた。時折吹く突風は今宵が満月だと騒ぎたてているようで、鬱陶うっとうしさだけがつのっていく。大小さまざまな雲が浮かぶ夜空は泥水を彷彿とさせるほど濁っており、かすかな星の輝きすらも見つけることは難しいだろう。

 そんな無音のとばりが下りる中、


「――ァァッ?」


 響くのは声にならない悲鳴だった。

 喉をさばかれた成人男性が非常階段を転がり落ちていく。


「……」


 無言でそのさまを見送るのは彼――紅蓮から明るさを取り除いたような赤髪をもつ彼だった。

 上下黒のラフな様相に重厚感のあるベルトとブーツ。全体を引き締めているのは腰回りのナイフストッカーだろう。六か所あるストックポジションのうちひとつだけが物寂しげに空いていて、それ以外には短剣とも形容できるナイフが納められていた。

 ぎしり、とナイフストッカーを軋ませて、


「残りはいくつだ」

『十三です』


 答えたのは優しげな少年声だった。


『一人を除いて全員屋上にいます。狙撃はありません。鋭い殺気も確認できず。仕掛けますか』

「必要ない。備えておけ」


 了解です、と通信機が骨を伝わせて声を届ける。

 非常用の移動路として設けられた階段は、高層ビルの内部ではなく屋外にせり出ていた。全体で三十ある階層のうちの二十三層目。途切れ途切れの非常階段は建物を縦に三分割して存在しているようで、言うなれば階段の乗り換えか。三度目の正直が如く、今上っている非常階段こそが屋上に繋がっているらしかった。

 音を響かせて彼は階段を上がっていく。ゆらり揺らめく白煙のように。


「奴隷の居場所は」

『屋上に一人だけ確認できますが、それ以外は不明です。尋問が必要かもしれません』


 踊り場に差し掛かる。

 隣接する壁が弾け飛んだのはそのときだった。


「うらぁッ?」


 壁の破片にまぎれて勢いよく飛び出してきたのは車でもなければ爆風でもない、ただの女性だった。肩紐つなぎオーバーオールに緑色の頭髪、そして普通の女性だった。

 鉄の腕が振り被られ、駆動音がうなる。


「ッ」


 咄嗟に屈む。鉄塊の腕は頭上を疾走し、連れて生じた風が赤髪を乱す。背後では飛び散った破片と鉄柵が大合唱を始め、開戦の事実を高らかに告げていた。

 蓄えた力を利用して、跳ねるように襲撃者へ近づく。奇襲に対する肉薄迎撃は愚者の一手。けれどもそれは、広い場所にいた場合のみである。脆く限られた場所――例えば、非常階段の踊り場などでは距離をとったところで有利点アドバンテージは得られない。

 伸びきった鉄の腕をくぐり、がら空きの腹部に拳を叩き込む――も反応は皆無。


「おらぁッ?」


 すると緑髪の女は、自身の鉄腕に反対の拳を上から、まるでれいしょか何かを押し潰すかのように叩きつけた。

 瞬間、完成したのは疑似的なあっさい


「――」


 足に力を籠め、女が開けた壁の穴へ逃げ込む。須臾の間もなく、莫大な衝撃がビルを縦に揺らす。翻って視線を戻せば、得物を失った鉄腕は床にめり込んでいた。

 身体からだの正面を向けたまま下がるのはまさしく臨戦態勢、女との距離をあけていく。

 逃げ込んだ部屋は会議室だったらしく予想よりも拓けており、戦闘を繰り広げるには充分だった。少なくとも足場が崩れてみちれ、などという悲惨な結果は招かないだろう。そして何より、夜空に浮かぶを見なくて済むというのが大きかった。

 視線の先、叩き付けた鉄塊の腕を軽々と持ち上げて、


「怯えるなよッ! 犯罪者の王サマだろッ?」


 女のあざけるような笑みを前にしようと、彼の無表情が崩れることはなかった。

 常軌を逸した怪力は体内に組み込まれた人工筋肉アクチュエーターによるものであり、打撃の通らなかった腹部には衝撃吸収膜もしくは可変抵抗ダイラタンシー液体でも仕込んでいたのだろう。つまるところ、いずれも生来のものではないのだ。重機のような腕に至っては言わずもがなである。注視すれば電動機モーターやゴムベルト、その他部品が駆動している様子を確認でき、まさに起重機クレーン掘削機エクスカベーターのようであった。

 ゆえにその容姿はひどくいびつで、生物とはかけ離れたものになっていた。


人工メイド』。


 それは、己の命より欲望を優先した者たちの総称だった。

 駆動音を伴いながら人工メイドの女は構えると、


「来いよ化け物ッ!」

「……」


 紅蓮の髪をもつ彼は反応を示すことなく、ただ小さく息を吐いた。

 合図はなかった。

 数メートルの距離が一瞬で蒸発する。足運びによる視線誘導は左へ。四歩目に回転、正面に躍り出た彼は右肘を胸へ叩き込んだ。声なき悲鳴があがる。

 肘打ちの体勢は、自然と手がストッカーに収まっているナイフの柄に触れる。そうすればあとは抜き取りざまに振り下ろせばれっきとした――、


「ぁぁぁッ?」


 攻撃となる。

 狙い通り刃は女の左腕を一刀両断した。床へ落ちた肉片は完全に生を失っており、それは右腕と同じ異物に成り下がったことと同義だった。

 だが、これで終わりではなかった。


「くそ野郎ッッ?」


 大振りの鉄腕が迫る――前に彼はナイフを流れるように女の太腿ふとももに突き刺した。


「うぐぅッッ?」


 痛みによって右腕の軌道が逸れる。深々と差したままの刃を跳ね上げると、肘打ちで重心が後ろに残っていたことも相まって、女の身体からだは難なく後方へと倒れていった。

 間髪入れず右腕の付け根にナイフを投擲とうてきし、柄を踏みつけくさびとする。くどい悲鳴に彼は顔を歪ませた。

 

 腹部に防御系の仕込みをしているのであれば、別の部分を狙えばいい。

 右腕を改造しているのであれば、左腕を切り落とせばいい。

 たったそれだけで対処されてしまうというのに、なぜ命を失う危険まで冒して人工メイドになるのだろうか。

 人間であることを、捨ててしまうのだろうか。


 ――『私は世界を変えるぞ、フォル』

 遠い記憶が脳裏をよぎる。四年か五年か、はたまた拾われた頃か。正確な時を覚えていないことよりも、より前の出来事を思い出せたこと自体が驚きだった。

 何せ自分はあの日――、


「くそッ? くそがッ?」


 悪態とともに足元の女が足掻あがく。嘆息たんそくとともに思考を中断し、彼は右腕に突き刺さしたままのナイフの柄を容赦なくブーツで踏み抜いた。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」

「奴隷の場所はどこだ」

「わかったッッ! 教えるッ? 隣だ、奴隷は隣の部屋だッッ?」

「そうか」


 柄からブーツをどける。安堵したのか、足元の女の表情が途端に柔らかいものに変わる。

 けれども、それは間違いだった。


「お前は今から死ぬ」


 一瞬にして表情が絶望に染まる。言い放った彼の右手では刃が躍っていた。


「助っ、助け、たすけ……っ!」


 無様な懇願こんがんを、殺人を司る犯罪者の王は鼻で笑った。


「怯えるなよ、犯罪者だろう」


 一閃。血飛沫とともに女の身体からだから力が抜ける。生き死には確かめるまでもなかった。

 顔に掛かった血液を腕で拭いつつ、彼は突き刺さしたままのナイフを抜き取った。特注がゆえに安易な使い捨てはしていなかった。紅の液体を振り払い、服で簡単に拭ってからストッカーへと戻す。

 後処理を終えた彼は隣の部屋へ歩き出した。鮮血のように濁った髪がゆさゆさと揺れる。


「キーツ」

『はい、まずは奴隷の確認をお願いします。生存人数に合わせて救出から運搬、支援元を決めたいと思います』


 会議室の中を長机や椅子を蹴り飛ばしながら進む。警報や自動迎撃装置レッドホールが反応しないのは事前工作のおかげだった。とはいえその工作を施したのは彼らではないのだが。

 乱雑に扉を蹴破る。

 視界に入ってきたのは一本の通路と、その両側に並ぶ箱の形をした牢屋だった。

 途端に彼の眼が細められる。

 立ち込めていたのは嗅ぎ慣れた匂い――死臭だった。

 最も近い箱に視線を向ける。仰向けにも拘わらず胸部の上下は確認できず、顔色からも生気を感じとることはできなかった。身体からだの損失箇所は両腕で、その断面から顔を覗かせているのはネジやコード。加えて、爛れた皮膚や水膨れはあったものの、一方でさっしょうもなければげきこんもなかった。

 導き出される死因はただひとつ、


「強制改造の残骸だ」

『少し遅かったみたいですね。となると屋上だけです』

「すぐに向かう。何か変わればすぐに知らせろ」

『了解です』


 耳裏を二度叩いて通信を切る。歩を進めるは部屋の奥、屋上へ繋がる道を探さねばならなかった。もし仮に階段等がなければ工夫する必要があるだろう。今現在ある選択肢としては天井を崩しながら上がるか、先の非常階段に戻るかである。いずれにせよ、面倒なことには変わりない。


「……」


 多種多様な死体を鉄格子越しに観察しながら進む。やけに明るく思えるのは壁の上部に備え付けられたままの窓から月光が差し込んでいたせいだった。

 運搬用に軽量化されたそれらは、牢屋というよりかは一面を鉄格子に変えたコンテナと表すべきか。奴隷たちの身体からだ欠損は共通しておらず、腕や足だけではなく腹部に臀部、場合によっては頭がないものすらも存在していた。

 ――ざり、と。

 足を止め、たった今通り過ぎた牢屋へ瞳を向ける。

 するとそこには、両の太腿ふとももを失った人間らしき生物が入っていた。

 椅子に縛り付けられた身体からだには幾つもの管が繋がり、医療用のマスクがすっぽりと頭部を覆う。先のない太腿ふとももには幾重にも包帯が巻かれ、牢屋の端には義足と思わしき鉄の塊が鎮座していた。荒れた呼吸が痛々しさを助長する。

 今までの放置された者たちとは明らかに違う待遇。理由は考えるまでもなかった。

 成功したのだろう、人工メイドになるための改造が。

 そのために自身の意思とは関係なしに生かされているのだ。


「……ぃて」


 彼の眉が僅かに動く。どうやら意識があるらしい。虫の羽音ほどの声を聞きとるべく、犯罪者の王は鉄格子の前に立った。

「殺してっ」

 それは救済を願う、最悪の懇願こんがんだった。

「ああ」

 彼は鉄格子を掴むと力づくで折り曲げ、中へ片足を踏み入れた。

 刹那、命の水が勢いよく吹き上がる。

 血の滴るナイフを片手に、《殺人王》は牢屋から離れた。大量の出血は既に命を奪い去ったようで力なく頭を垂れていた。荒れた呼吸はぱたりと止み、無機質な静けさだけがその場に残る。

 差し込む月光を背に、犯罪者の王は数秒だけ立ち尽くした。


「……」


 零れる吐息は呆れか哀しみか、それとも――。


 淀んだ夜、煌々と輝く月が窓越しに嗤った。

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