2.

「だからクレープって最高の食べ物なんですよっ!」


 ポニーテールを揺らして力説する新米監督者――ヒナコの声が荒れたフロアに響く。


「あの豊富な選択性と追加力! 見た目どころか手触りすら可愛い食べ物が他にありますか? えぇ、ないでしょう! 私がこの新現代に来て唯一安心したことといえば、クレープという食べ物が絶滅していなかったことです! まあ、人の手で作るクレープは少なくなっているみたいですし、お店自体も多いわけではありませんが……。でも――」

「黙れ」


 言葉を遮ったのは紅蓮から明るさを奪ったような赤髪をもつ彼、《殺人王》フォルックだった。演説のように立って話すヒナコに対して、彼は脚を机へ投げ出して座っており、その表情は至極うんざりといった様子で歪みきっていた。


「その価値のない情報を垂れ流したければ排水溝に向かってやれ」

「私のクレープ愛は下水だって言うんですか!」

「下水未満だ」

『ちょちょ》落ち着いて』


 火花を散らす二人の、文字通り間に入って仲裁したのは純白二頭身の電脳少女だった。猫をモチーフにしたであろう透明感溢れる姿には愛らしさが詰まっていた。

 ちなみに持ち主かつ主人はヒナコである。


「アイちゃん、でも!」

「機械が人間様に指図すると言ったはずだ。人工知能のくせに学習能力がないのか」

『むむ》むかつく!』

「ちょっとアイちゃん落ち着いて。……あれ、なんか立場が逆転してるような」

「ヒナコさん元気ですね」


 苦笑気味に零したのは、フォルックの横に背を伸ばして座るキーツという金髪少年だった。物腰は柔らかく口調は丁寧、さらには棘のない雰囲気とどうみても犯罪者には見えない彼であるが、紛れもない《殺人王》の相棒であり、替えの利かない稀有な能力の持ち主だった。


「元気かな?」

「はい。少なくとも両手に穴の開いている人の振る舞いではないですね」


 キーツの言葉に対して若干の恥ずかしさをヒナコは覚える。彼の言う通り、薄皮が切れただけの首はともかくとして、包帯が巻かれている両手は旧現代であれば大怪我に分類される傷を負っていた。

 照れ隠しとばかりに頬を指で掻いて、


「実は痛み止めを打ったら全然痛くなくて」

「気にしないというのはいいことですが、あくまでも一時的な処置、それこそやっていることは痛覚麻痺と変わらないのであまり無理しないでくださいね」

「はい、ありがとうございます」

『ひなちゃんひなちゃん》また敬語消えてないよ』

「あっ」


 電脳少女の指摘にヒナコは思わず照れ笑いを浮かべた。というのも年下であるキーツから敬語抜きで接してくれと先日言われたばかりだったのだ。けれども新現代や犯罪学について色々と手ほどきを受けたからか、どうも気を抜くと敬語が出てしまうのである。頻度としては決して少なくなく、もう開き直って敬語のほうがいいんじゃないかと思うほどだったが、彼きっての希望ということもあってヒナコは努力を続けていた。


「えーと、言い直すね。ありがとう!」

「いえいえ」

「学習能力のない馬鹿がここにもいたか」


 ぽつりと悪態を零したのはフォルック。


「どうしてその口からは暴言しか出てこないんですかね……っ! 少しは礼儀とか思いやる気持ちとかが出てきてもいいと思うんですけど! 思いやるで今思い出しましたけど、昨日のことについて謝罪どころか心配もしてないじゃないですか、そういえばっ!」

「あ?」


 包帯に包まれた両手をヒナコは見せつけるように突き出して、


「この手のことです! ええまあ、毎日毎時間が暴言の嵐、言うなれば謝罪の火種ですよ。でも私も大人です。全部謝れとは言いません。ここは昨日のことについてだけで充分です。というわけで謝ってください!」

「……」


 返ってきたのは無言、つまり無視である。


「キーツくん、フォルックさんが苦手な食べ物とか知らない?」


 どうにかこう嫌がらせができないか、と考える新米監督者だった。


「そうですね、さっぱりです」

『検索検索》全力で探すねっ!』


 赤っ恥計画は人工知能に任せて、


「ところで本当にこうやって油を売っていて大丈夫なんですか?」

「砂糖の塊の食いすぎで脳まで砂糖になったか」

「私を馬鹿にするのは百歩譲っていいですけどクレープを馬鹿にするのは許せませんからッ?」

「えーとですね、大丈夫です。というより油を売るのが僕たちの仕事です」


 もはや慣れたと言わんばかりにキーツが割って解説を始める。


「可能であれば戦闘機でも出して動き回りたいところですが、間違いなく奴らに勘づかれます。情報屋の協力の元で目立たないように動いても構いませんが、苦労に対して効果を考えるとあまりするべきではありません」

「なるほど……」


 戦闘機、という言葉には絶対に触れたくなかった。


「あと最も手間のかかる作業はやってもらってますしね」

「油を売るのが仕事、っていうのは油断を誘うためですか?」

「そうなればぎょうこうといった形ですが、何よりも優先すべきは現状維持です。この状況を保てなければせっかくの計画ももともくですから。まずは普段通りにしましょう」

「わかりました……っ!」


 軽く握った両手を小刻みに振ってヒナコは自身を鼓舞する。現状はまだ何も解決していない。

 打倒打破いずれも為せず、何とか掴んだ一縷の望み。真に集中すべきはここからである。

 精神的圧力プレッシャーがのしかかる中、やはり気になることがただひとつ。


「あの、ちょっといいですか」


 冷酷無慈悲な瞳がヒナコを捉え、続きを促す。


「ひとつだけ違和感があるんです。矛盾とかそういうのではなくて、小さいことなんですけど」

「……」


 暴言や叱責の類は飛んでこない。その事実に驚きはなかった。犯罪者の王であるフォルックは粗暴ながらも決して愚かではない。むしろその対極に位置する存在であると、この数日数時間でヒナコは理解していた。

 であれば、


「どこだ」

「最初の前提です」


 思考や論理が馬鹿げていない限り――自身が愚かでない限りまともに扱ってくれるのだ。

 

「どこかと訊いている。抽象的な答えは求めていない」


 そう、愚かでなければ。

 溜息交じり、


「お前は本当に馬鹿だな」


 ぴき、と鳴ったのは亀裂音。


「お前としか呼べないフォルックさんに言われたくないですよッ!」


 崩れ落ちたのはヒナコの感情の堰だった。

 手遅れとキーツは再び苦く笑う。すぐ近くでは電脳少女が《殺人王》の嫌いなもの情報を必死に検索し続けていたが、かんばしい結果は得られていないようだった。

 そんな二人を放って、


「いい加減名前で呼んでくださいっ! いいですか、名前で呼ぶという行動自体にですね、信頼関係を構築するという効果があると何かの本で読んだ覚えがあります。つまりですよ、フォルックさんが私のことをお前って呼んでると信頼関係がいつまでも――」

「どうでもいい、本題に戻せ」

「い、いつか目にもの見せてやりますからね……っ!」


 程なくして至極真面目な作戦会議が始まる。

 犯罪者の王と新米監督者が出会ってから三日目のことだった。

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