4.

 無事喧騒から逃れることができたユムナーを含めた五人は、世界有数の観光地へと繋がる歩行者専用通りWolk wayを歩いていた。


「あとどれくらいだっけけけ?」

「天気予告っすか? 二時間で降りますよ」

「いや、じゃなくて列車ののの」

「七時間」


 脇では一体いくら掛かったのか想像もしたくない動く歩道の束。頭上では|投影映像|マッピング》が躍り、覆い被さっている霧の層が日差しを緩和する。店頭では立体映像ホログラムと売り子が漫才を繰り広げ、人を掻き分けて地を泳ぐのは周辺でよく発見される深海魚を模した監視機械だった。

 色とりどりの肌と髪の色の中には生来のものだけでなく、遺伝子改造による鮮やかな色も含まれていた。自然と人為。分け隔ててなくそれらの色は道というキャンバスを埋めていた。


「長いわねね」

「あの」

「ん?」


 横を歩く女性が眉を上げて問い返す。ぼんやりとした表情には緊張感などなく、何か食べたいものでもあったのかと訊いてくる親戚のようだった。食後で眠いのか、垂れ下がった目尻といい、そこに犯罪者らしさは微塵も残っていなかった。長身の後ろで紺色の髪が揺れる。

 しかしながら遠慮をしている余裕もなかった。

 申し訳ないんですが、とユムナーは前置きしてから進言する。


「私、浮いてる気が……」


 間違いなかった。穴開きの迷彩服に、腰には拳銃のホルスター。ダメ押しは黒色の被り布だろう。これではどこからどう見ても現地のゲリラ少女兵である。立っているだけで料金の取られるような観光地にいる人間の格好ではない。視線のという針のむしろから脱したい少女だった。


「じゃあジャッジ」

「仕方ねぇな。おら行くぞ」

「え?」


 えじゃねぇよ、と彼は鼻で笑う。


「服を買いに行くんだよ。なんだ、俺が選んでいいのか?」

「「それはない」」

「ぶっ飛ばすぞ、チビとイガグリ」

「行ってららら」

「……はい」


 もはや自身の意思など関係ないと完全に悟ったユムナーだった。


* * *


 ジャッジとユムナーの二人が分かれてからすぐに、

「二人とも、殺気をしまいなさい」


眠姫ねむりひめ》は両脇を歩く仲間たちに告げた。


「それだと三流にしか見えないわよよよよ」


 犯罪者の実力を示す指標として殺気は扱われているが、『存在を強調する』という殺気そのものの性質により、ただ纏えばいいという訳ではなかった。陰と陽、ふたつの場合を使い分けてこそ殺気は効果的に働く。能ある鷹と犯罪者は爪を隠すとはよく言ったものである。

 事実、膨大な殺気を内包しているはずの《眠姫ねむりひめ》からは微塵も放出されていなかった。結果、横を子供が通り過ぎ、道行く男たちが下衆の視線を体躯へ向けているほどである。彼女が時速六十キロ超えで軽々走り、質量何百キロという陸上戦闘機を蹴り飛ばすことなど知る由はない。

 ただ、これはあくまで一般人レベルの話である。殺気を感知する能力は犯罪者にとっての生命線であるため、当然ながら何倍も敏感だった。中には殺気を自由自在に操ることのできる者や可視化することのできる者までいるくらいである。そのような者たちであれば彼女から漏れている微量な殺気ですら感じ取るだろう。

 

 だが、両脇を歩くノイズとシャオは明らかに殺気を放出していた。

 方向はユムナーの消えた先。


「でも」

「――消せと言った」


 ふっ、と二人から敵意が消える。同時、舌と空気圧を利用した音を犯罪者は二回鳴らす。意味は『尻拭い』。無駄に殺気を放出していたのだ、周囲の犯罪者及びそれ未満の血気盛んな連中の注意を惹いたことは間違いなかった。しかも殺気を消してまでいる。とりようによっては実力誇示になりかねない行動であり、警戒レベルをふたつほど上げる必要があった。

 すかさずノイズが僅かに下がり、シャオが前方へ上がる。斜線陣形。


「……申し訳ないっす」

「怒るつもりはないよよよ。あれはおかしいからねねね」


 二人の行動は充分理解できるものだった。

 というのもユムナーという少女はおかしいのだ。

 凶悪犯罪者に助けられ、拾われ、そして一緒に飯を食べる。

 そんなことができる一般人が何人いるだろうか。

 曲がりなりにも囮になれとさえ言ったのだ。逆らうことのできない状況は確かに作ったが、あそこまですんなり受け入れられるとは《眠姫ねむりひめ》すらも思っていなかった。

 駄目押しはノイズとシャオの殺気の無視である。僅かながらとはいえ、少女は二人からぶつけられている殺気を無視したのだ。それも意図的に。理由はともかく、そのような芸当は一般人にはできない。殺気をぶつけられれば震えるか固まるか、いずれにせよ怯えるのだ。


「化姫の手下だと思うっす。もしくは戦争屋の間者スパイか」


 同じ《姫》の位をもつ犯罪者の登場に、自然と眉が動く。


「状況証拠だけみればそうねねねね。でも」

「ジャッジが何も言わないから、っすよね」

「わかってるならよきよききき」


 ユムナーの不気味さの正体について予想はあるものの、完全に理解したわけではない。だからこそ彼と二人きりにさせたのだ。化けの皮を剥がすには一晩で事足りる。剥がれなければそのときはそのときである。最悪、拷問でもすればいい。

 それよりも懸念すべきは《戦争屋》や《氷将ひょうしょう》など今回の件についてだろう。《殺人王》や《時鬼》等の居場所は把握しているものの、中東という地域柄、一筋縄でいくはずもない。


「はぁ」


 溜息が零れる。済ませておく仕事は多い。


「ノイズ」

「四人。色は緑から黄色」

「三本目の路地を右に入るるる。忘れ物はノイズ、お釣りはシャオ、チキンは私が食べるから。霧吹きどこだっけけけ」


 二十四番通り、ホテル街の目と鼻の先が熱狂に包まれたのはそれからすぐのことだった。

 

――――――


 夜風と同じく、心地よい微弱な振動が身体を包む。


「よかったぜ、まじで揺れない列車で。あんなん寝れねぇよ」


 同じコンテナ、離れたところに座っているジャッジが笑う。室内ならぬ室箱の中は空っぽで、彼と黒いドレスに着替えたユムナーがいるのみだった。

 生温い隙間風。肌を隠すために羽織っている黒布が波を打つ。


「まあ揺れないつっても先頭の車両で路線に防音材を塗ってるだか、詰めてるだかなだけで、前の方だと普通に揺れてんだけどな。で、後ろの方にいけばいくほど揺れないっつうわけだ。中にはその揺れが心地いとかで好き好んで前に座る奴がいるらしいぜ」

「はぁ」

「色んな奴がいるもんだな」


 ジャッジが話好きだと分かったのは服装選びの途中からだった。好きと言うより黙らないのだ。湯水のように溢れてくる話題に付き合うことなどできるわけもなく、諦めるのに時間は必要なかった。

 それよりも聞きたいことは山ほどあった。


「で、なんで私たちは警察列車に違法乗車してるんですか」

「今更かよ」


 二人もとい合流した三人を含めた五人が乗っているのは警察専用の夜行列車だった。自分の鼻下はよく見えないとは言うものの、治安組織とともに移動する犯罪者はそうそういないだろう。突拍子もないような作戦を思いつく発想力もさることながら、それを実行してしまう胆力たんりょくも凄まじいものである。

 ちなみに、夜行列車が向かっている先は、国境線沿いの紛争指定区域レッドゾーンの中でも最大の場所である。乗りたくなかったことは言うまでもない。


「というよりどうやったんですか?」


 彼は余裕綽々を絵にしたような笑みを浮かべると、


「犯罪者秘密だ」

「何が目的なんですか」

「犯罪者秘密だ」

「他の皆さんはどこにいるんですか」

「犯罪者秘密だ」

「何も教えてくれないんですね」


 距離にして三メートル。


「わかった。じゃあ先に答えてくれ。そうすれば俺も教える」

「質問によります」


「身内に犯罪者がいるな?」

 それは、地球と月よりも二人が離れた瞬間だった。

――『死にたきゃ死ね。ただ私に迷惑をかけるな』

 記憶再生フラッシュバック。いつまでも消えない声が耳を覆った。

 反射的に噛みしめ、奥歯が軋む。

 やめてくれ。

「……いません」

「おっと、嘘はなしだ」


 やめてくれ。


「私に家族はいません」

「おいおい」


 次の瞬間、ユムナーは拳銃を構えていた。

 銃口が捉えるは狐目の彼。安全装置セーフティは外した。


「次言ったら撃ちます」

「そしたら犯罪者の仲間入りだぞ。忌み嫌っていた家族の」

「あんたに何がわかるッッ?」


 その絶叫は少女のすべてだった。


「この不条理さの何が、何がわかる……ッ?」


 生まれながらに持っていたカードは血と憎悪によって穢れていた。

 犯罪者は娯楽。確かにそうだろう。《眠姫ねむりひめ》のような信念と不遜を兼ね備えた、魅力的な犯罪者は見ていて飽きない。面白おかしい服装や、想像を簡単に超えてくる行動は娯楽足り得るものである。

 けれども魅力的でないような犯罪者もいるのだ。

 卑怯で、卑屈で。それでいて弱い。ちりあくたのような犯罪者だっているのだ。

 そんな犯罪者の娘はどうやって生きればいい?


 引き金に添えた人差し指が震える。


「犯罪者は憧れで、理想で、自由だってみんなが言う。好き勝手出来ていいなって、みんな思ってる。そんなことないっ。私は自由なんて要らない、何も要らないっ。ただ、普通に生きたかったっ! 犯罪者の家族になんてなりたくなかったッッ?」 


 砂埃に塗れながら戦場を歩き、日銭を稼ぐような生き方なんて――。


「あははっ」

「っ」


 箱中に響いた垢抜けた笑い声は、少女の予想の外だった。

 慰めるわけでも、同情するわけでもなく、ただ笑う。そんなことをされたのは初めてだった。


「すまん、笑っちまって。あまりにも似てっからさ」

「似てる……?」

「実は俺も、そうだったんだ」


 最初ユムナーは意味を理解できなかった。そして次に耳を疑った。


「だから一目見た瞬間わかったんだよ。昔の俺とそっくりの匂いがしたんだ。俺も元少年兵だし」


 親指で自身を差してジャッジは妙に誇らしげに言った。


「俺の場合は親父だ。名前も知らない父親だけど、しょうもないことやって死んだのは知ってる。途端に色々と納得したよ。それで犯罪者になることを決めた。今思うと親父を超えたかったのかもな。弱いよなぁ」


 自嘲気味は一瞬だけ。すぐさま彼の声は張りを取り戻す。


「でもまあ、空っぽなんだよ。目的がねぇんだ。そりゃ限界も来る。二年前、いやもう三年前か。そんなとき拾われたんだ。……いや違うな。あいつも拾い手を探してた。姫なんて大層な犯罪名はもってたけど、馬鹿みたいに傷ついてた。お互いぼろぼろで、何もなくて、だから手を取った」


 もうすぐ三年と聞いて思い出されるのは、


「葬王の死、ですか」

「かもしれないし、じゃないかもしれない。訊くのは野暮だろ。あいつあれで泣き虫なんだよ。二年前なんて毎晩泣いてたんだぞ。泣き過ぎで脱水症状起こす犯罪者なんてあいつくらいだぜ。付き合うこっちの身にもなれってんだ」


 舌打ち交じりに話すジャッジは態度とは裏腹に、やけに楽しそうだった。

 それは、家族の愚痴を零すかのような。


「あんたを拾ったのは作戦のためだ。眠姫《ねむりひめ》に打算はねぇ。ただ、一人の馬鹿としては打算ばっかりだ。ノイズとシャオのときもそうだったしな」

「他のお二人も何か」


 彼は首を横に振る。


「それは本人たちから聞くってのが筋だろ。他人の俺が話していいことじゃない。だから俺は俺の思ってることだけを言う。

「……」


 言葉が出ない。ユムナーは何と言っていいかわからなかった。価値観が変わったわけでも、人生の指針を見つけたわけでもない。笑われて、勝手に自分語りをされて、犯罪者になるなと忠告されただけだった。

 でも、全部初めてだった。


「あれ」


 泣いていると気づいたのは涙が頬を伝ってからだった。

 悲しくなかった。

 でも止まらなかった。


「あれっ」


 手の甲で目を擦り、鼻を啜る。視界のぼやけ具合がさらに増す。 


「いいんじゃねぇの、出しときゃ。おら、ティッシュやるよ」


 ジャッジは何かをこちらに投げようとしていて。

 それを受け取るのには握った拳銃が邪魔で。


「ひっでぇ顔だぜ。あははっ!」

「うるさいっ」


 気が付けば少女は笑っていた。

 ティッシュで涙を拭い、鼻をかむ。女らしくないと弄られ、拳銃を向けるとジャッジは先程までとは打って変わって慌てて、そして怒られた。安全装置セーフティは外していない。

 コンコンと丁寧に扉がノックされたのはそのときだった。


「いいぞー」


 スライド式の扉を開けて入ってきたのは半分目が開いていないノイズだった。

 深々と溜息を吐くなり、


「シャオと交代してきた。こっちで寝ていい? あっちうるさすぎ」

「お疲れ。いいぞ」


 とぼとぼと歩き、彼女は箱の隅に座る。そして、ユムナーと目が合うなり首を傾げた。


「ん、泣いてる?」

「大丈夫ですっ」


 心配かけまいと必死に笑顔で答える。いや本当に何もないのだ。正確にはなくなったというべきか。

 しかし、それは逆効果だったらしく、


「ジャッジに襲われた……?」


 眉間に皺を寄せたノイズが呟いたのは問題発言だった。

 空気が凍る。


「……え?」

「エロガキお前馬鹿じゃねぇの」

「使用済みティッシュある。ドン引き。えぇぇ……」

「俺がドン引きだわ」

「だってほら、この子、顔真っ赤」

「お前のせいだろッ?」

「あっちみたいに何回もやらないよね?」


 頭上に疑問符を浮かべる純情少女ユムナー。


「いや、知らなくていい。――おい、ノイズ、そいつと一緒にどこに行くつもりだ」

「社会勉強」

「させんなッ! 戻ってこいッ!」


 鳴らない指音を鳴らして、パーカー姿のミニマム少女はカードを何かに通すようなジェスチャーをする。

 訳は金を払え。


「なんでこう俺の周りには馬鹿ばっかりなんだろな」

「はは……」


 日付が変わる少し前。目的地はまだ遠い。

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