5.

 眼下の白色基地は地獄の根源だった。


 国境線を跨いだサウジアラビア国内、陸上戦闘機『蜘蛛』の整備施設。燦々と降り注ぐ日光を反射しているのは傷ひとつないコンクリートで、強烈な照り返しはまるで水面のようだった。今朝の天気予告を曰く、あと数分以内に雨を降らせるとのことだった。天気操作が成功していることは、乾燥しきった大地にも拘らず局所的に生い茂っている草木が証明していた。旧現代では地球上でもっとも過酷な環境のひとつ、と言われていたらしいが過去の話である。


「はぁ、目覚めのいい朝」

「黙れ猿」

「存在ばれてないっすよね?」

「このまま二度寝したい」


 しかしながら、四人が寝そべっている崖の上には潤いなど微塵も存在していなかった。粉末状で褐色、何の面白みのない砂が敷き詰められているのみである。金属光沢のある布、『可視光迷彩スペクトルジャマー』の一種を頭から被る一行。後方では意識を失った軍服の男二人が捨てられていた。


「二度寝もいいわねねね」


 ジャッジは心底鬱陶しそうに、


「いい目覚めだったんじゃねぇのかよ。存在はばれてねぇだろ、さすがに」

「にしては警備が薄過ぎじゃないっすか」


 口を真一文字に結んで、シャオが唸る。


「戦争屋が相手だってわかってるんすよね。なのにこれっすか」

「不自然? 罠?」

「だからわわ」


 ジャッジの眉が僅かに動く。

 それに気づいたのは雇い主で相棒の女性だけだった。


「それなら余裕っすね」

「左から四人に変更? 赤色見当たらないけど」

「そうだねねねね。一、二、一でいくくく。変更はなし。よろしくねねね」


 ノイズとシャオは下がり、遮蔽物を利用しながら人間離れした速さで駆けていく。通常であれば隠密性など皆無の行動だが、ノイズの案内であればその限りではなかった。数分で所定の位置に辿りつくだろう。

 すると、


「ジャッジ」

「わかってる」


 即答。表情は氷のように冷たく。


「『仲間以外は助けない』。わかってるよ。お前との最初の約束だ」

「あの子を勝手に仲間にするのも禁止。仲間かどうかは私が決める」

「……ああ」


 特徴的な語尾は消えていた。


「じゃあよろしくねねね」


眠姫ねむりひめ》は崖を飛び降り、そのまま白色の基地へ突っ込んだ。けたたましい警報が鳴り響く。


「ああ、わかってるよ」


 犯罪者はいつ死ぬかわからない。自分も、シャオも、ノイズも。《眠姫ねむりひめ》も例外ではない。

 ジャッジは右手の四つの指輪を眺める。

 正確にはその中のひとつ、一番に古いそれを。


「……わかってる」


 零した言葉は警報音に紛れて消えた。

 

* * *


 今回の作戦は《眠姫ねむりひめ》らしく至極単純だった。

 まず背景をおさらいしよう。サウジアラビアが抱えている犯罪者、《氷将ひょうしょう》と《切断屋》対UAE側についた《戦争屋》という構図である。UAEから報酬を得られない《戦争屋》は戦果を広げることによって副収入を得る算段だろうと推測され、大国エジプトがそれを望まないだろうことも予想できる。そこで《眠姫ねむりひめ》たちは介入、サウジ側の出鼻を挫くことにより《戦争屋》の出番を無くすことを狙いとしている。そして報酬はエジプト側から請求。これが全体像である。

 そこで《眠姫ねむりひめ》たちはサウジ側の重要機関のひとつ、陸上戦闘機『蜘蛛』の整備施設を潰しに来たわけである。これで戦局はUAEに傾くとともにサウジアラビアとしては《眠姫ねむりひめ》がUAEについたようにしか見えない。当然、動きは止まる。

 ではただの少女、ユムナーの役割は何か。

 それは――、


「西側から襲撃ですッ?」

「こいつが表れたのは東側だ! まだいるぞ、警戒しろッ!」

「さっさと電子自白剤ジャッカーをもってこいッ?」


 ただの囮だった。

 その部屋は完全な暗闇で、椅子に縛りつけられたユムナーがいくら視線を動かそうとも一筋の光も掴めなかった。自身の存在を保証してくれているのは周囲を飛び交っている兵士たちの怒号と、数回殴られて熱くなった頬だけだった。暗視ゴーグルでも付けているらしく、彼らが闇の中で戸惑っている様子はなかった。

 頭上ではけたたましい警報が鳴り響いていた。

 瞬間、


「――ッ」


 腹部を衝撃が襲った。後方では拷問用だろう、生理的嫌悪に塗れた刃物の回転音が鳴る。

 髪を掴まれ、


「お前の他に何人いる……ッ?」


 こうなることは予想できることだった。何せ彼らはと同じ犯罪者なのだ。決して不条理な世界から救ってくれる正義のヒーローではない。

 英雄は罪など犯さない。

 痛みと恐怖で身体が満ちる中、ユムナーは笑った。


「卑怯者」


 零れた言葉は兵士に対してか、それとも自身を囮とした卑劣な犯罪者にだろうか。

 どうでもいいか、と自嘲気味に笑う。自身はここで死ぬ。それを選んだのは紛れもない自分なのだ。後悔などない。もとはと言えば昨日死んだ身なのだ。こんな不条理な世界で生き続けることなど、こちらのほうから願い下げである。

 であるのにどうして涙が止まらないのだろうか。


「指を落とせ」


 髪を掴んでいた手が離れ、甲高い金属音が背後に迫る。

 脳裏過ったのは昨日のことだった。十四年生きたというのに、様々なことを経験したというのに死の瀬戸際で思い出すのはたった十数時間のことだけだった。

 そのとき初めて少女は気づいた。

 ああ、楽しかったんだと。

 不条理の世界も最後に粋なことをしてくれる。死ぬ前に貴重な体験をさせてくれたのだ。

 だから悲しく、死にたくないのだ。


「ひっぐ……っ!」


 ぼろぼろと、嗚咽とともに涙が零れる。


 光の洪水だった。

 扉が勢いよく開く。間髪いれず銃声が響き、土嚢の落ちるような音が三つ。甲高い金属音が停まり、別種の音色を地面と奏でる。何事かと少女は茫然と目の前の光景を眺めるのみだった。 

 思えば始まりもこうだったではないか。


「ひっでぇ顔だぜ。ティッシュやろうか?」


 光の軍勢を背に、狐目の彼はその特徴的な目を細めて笑った。


「ど、どうして……っ」


 すると照れくさそうにジャッジは頬を掻いて、


「いや、完璧な命令違反なんだけど、飯奢れば許してくれっかなって。違ぇな、答えになってねぇな。うーん、わかんねぇ。わかんねぇけど、また顔ぐちゃぐちゃにして泣いてんじゃねぇのかって思ってよ」


 彼は少女に近づくと、彼女を縛っている錠のうちのひとつを力づくで引き千切った、


「そしたら来ちまった」

「なんですかそれ」


 ユムナーは噴き出す。意味がわからなかった。ただ涙は止まった。


「誰にも言うな――」


 爆発四散したのは後方の壁だった。それよりも早く動いたのは殺気を捉えたゆえか。一瞬で覆い被さるようにジャッジがユムナーを回り込み、臨戦態勢をとる。殺気がなみなみと放出される姿は凄まじく、守られている側の少女ですら恐怖抱くほどだった。

 ただ結果として殺気はすぐさま収まった。


「助けに来た。ジャッジ恐い」

「助けに来たっす。おー、綺麗な栗色の髪っすね」


 現れたのはリュックを背負ったパーカー三つ編みの少女と、坊主でジャージの彼だった。

 首だけは自由のユムナーは振り返り、そして真っ赤に腫れた目をしばたたかせていた。


「お前らなんでここにいんだよ」

「だから助けに来たんですって」

「無銭飲食しない。けど、同じくらい食べ残ししない。大事。好き嫌い多いジャッジとは違う」


 シャオはユムナーに近づくとこれまた力づくで一本一本、鎖を引き千切っていった。人間離れした怪力はもう彼らにとっては標準装備なのだろう。驚くことはなかった。


「いや、いいけどよ、でもこれ、あいつにめちゃくちゃ怒られんぞ」


 呆れた表情のジャッジにノイズは首を横に振った。三つ編みが元気よく揺れる、


「怒られない。だって来てる」


 指差したのは上。

 木っ端微塵に天井が崩れたのは次の瞬間だった。


「あら、全員いるるるる?」


 瓦礫と砂埃の中現れたのは白ジャケットに高々としたヒールを履いた犯罪者である。手には霧吹きひとつ、腰回りでは円柱状のカートリッジのようなものが銀ベルトとチノパンの間に何本も挟み込まれていた。

 少女の目をしばたたかせる行動に、口が伴う。


「てめぇッ? 俺に砂が掛かるようにしやがっただろッ?」


 瓦礫をもろに被った彼が怒鳴る。れきではなく瓦礫。普通ならそれだけで死にそうなものである。


「さすがにそこまでの嫌がらせはしないわわわ。あの子に当たらないようにしようと部屋の奥にしたのよよよ」

「ノイズも教えろよッ?」

「教えた」

「遅いんだよッ! お前はちゃっかり逃げきってんじゃねぇか」

「まあジャッジは元々汚れてるからいいじゃないっすか」

「いまなんつったッ?」


 パンパン、と手のひらを二回鳴らしたのは《眠姫ねむりひめ》。


「まだ終わってないわよよよよ、ノイズ報告」

「戦闘機が下。青から緑が多い。左から青の群れ。その奥に赤点、たぶん氷将ひょうしょう。まだ遠い」

「雨が降るまであと二十秒っす」

「戦争屋にはとっくにばれてるから気は抜かないことと。じゃあとりあえず氷将ひょうしょうから行くわよよよよ。ノイズは給仕専念、お釣りは私。シャオとジャッジで食べて」


 了解っす、とシャオとノイズが部屋から飛び出した。気が付くとユムナーを縛っていた鎖はすべて千切れており、ふらつきながらも立ち上がった。

 砂埃を払いながら、ジャッジが《眠姫ねむりひめ》を半開きの目で睨む。


「なーにが仲間は自分が決めるだよ」

「決めたもーん」

「きついぞババア」

「さっさと行かねぇとディープキスだ」


 皮肉にも一瞬でジャッジの姿が消える。相変わらず類をみない脅し文句に少女は苦笑を零していた。


「さて、私たちも行こうかかかか」

「いいんですか……?」

「よくなかったらここに来てないわわわ。これ付けてて」


 刻印を見る限り、手渡されたのは携帯酸素ボンベのようだった。


「それで大丈夫だと思うんだけどまあ、駄目だったら運ぶから気にしないしない」


 手を引かれ、廊下に出る。質素な内装は研究室ゆえか。慌てて酸素ボンベを口に咥え、呼吸を行った。切れた口の端に痛みが走り、顔が歪む。

 途端、《眠姫ねむりひめ》の世界が展開された。

 行動としては至極単純で、彼女が霧吹きを押したのだ。中に入っている液体が空気中に霧状になって放たれ、白色灯の光に反射する。殺気とはまた違う別種のソレに少女は目を奪われていた。


「戦争屋は私たちの情報をサウジ側に売ったたたた。氷将ひょうしょうと切断屋逃がせってねねねね。その情報代をせしめてるるるる。まあ、それが一番いいよよよ。戦争屋としての株も下がらないし。で、馬鹿な氷将ひょうしょうは逃げずに立ち向かってきたわけ、マジで馬鹿ね」

「この先、緑の群れ」

「ひっ」


 気配もなく横に立っていたのはノイズだった。彼女はマスク型の酸素ボンベを付けており、小さい顔の半分以上が隠れていた。


「雨は」

「降ってる。さっきシャオが外に出て確認した」

「あの――」

「何もしないで」

 ぴしゃり、と横を歩く犯罪者は言った。

「え?」

「ここまでは単なる誘拐拉致監禁されてただけ。ゲリラ兵だか少年少女兵だかのときも強制徴兵。個人的な殺しはしてないんでしょうううう」

「ならまだ間に合う」

「でも私もみなさんと……ッ?」


 とん、とユムナーが咥えている酸素ボンベを長身の女性は叩いた。


「我がまま言わない。特等席で眠姫ねむりひめを見せてあげるから」


 そう微笑んだ犯罪者は、とても綺麗だった。


 しばらく穴開きの壁や崩れた天井、弾痕の走る床、そして意識を失った兵士を見ながら進んでいく。襲撃は何回かあったものの、眠りを司る彼女の前では、一秒と持たず倒れてしまっていた。

 ただ歩くだけ。

 それだけで《眠姫》は制圧していた。

 すると整備場らしき扉を通路の先に見つける。その手前にいるシャオとジャッジの二人は時間潰しのつもりか腕を組み、何かを熱心に話していた。前者はノイズと同じマスクをしていたが、後者は付けていなかった。作戦などが関係しているのかもしれない。

 扉の奥からはひしひしと殺気が漏れ出していた。さすがの量に少女は足を止めそうになった。

 にも拘わらず、


「どうしたのの?」

「いや、こいつを連れてかないとして、どうすっかなって」


 自身の身の振り方を決めるほうが殺し合いよりも大事らしい。扉一枚隔てた奥にはいわば軍隊が控えており、場所も敵の基地。だというのに焦燥感は微塵もない。

 この二日間で疲れることに疲れたユムナーだった。


「で、とりあえず信用できる人に預けるのがいいんじゃないかってなったっす」

「正解。ここじゃ犯罪者じゃないとしても、色々と歪む」

「え?」


 ジャッジが真顔のまま首を振る。


「聞かなくていい」

「そしたらうってつけの親友がいるわわわ。親友の弟子もいるところ」

「それって――」


 途端、綺麗だった《眠姫ねむりひめ》顔が、一瞬で眉尻の垂らしたしょぼくれたものに変わる。

 咄嗟に顔を押さえた少女だったが時すでに遅し。


「まーた嬉しそうなんだけどと。私と一緒に来るときより嬉しそうなんだけどとどど」

「そんなことないですっ!」

「服探すとき指輪も買っときゃよかった」

「トルコでケバブ食べたい。本場、やばそう」

「じゃあさっさと終わらせましょうかかか。はい、シャオだけ入ってててて」

「死ぬっすよ? そういう役目はジャッジじゃないっすか!」

「今ここで殺してやろうかイガグリ」

「シャオ、アーメン」

「という冗談はここまで。行くよ」


 ユムナーは《眠姫》を見上げているとちょうと彼女もこちらに視線を向けた瞬間だった。


「あなたもね」


 夕陽のような笑顔で犯罪者は笑った。


 少女の日常は、とある犯罪者の笑顔で崩れ去った。

 運が悪かった。だって犯罪者に目を付けられてしまったんだから。

 でも、初めて――。


 ユムナーは大量の兵士と戦闘機、そして凶悪犯罪者がいる整備場へ入っていった。

 四人の一番後ろから。


* * *


「そうですね、眠姫ねむりひめはうまくやりましたよ。戦争屋も痛いところ押さえられましたからね。まさかUAEもろとも脅すとは。ちゃっかり稼いでるだけさすがですけど」


 修繕中との札が出ている高級料理店。道を挟んでその反対側にあるベンチにて声が響く。

 正面の道では普段の何倍もの人が行き交いしているように見えるが決して気のせいではない。

《眠姫》が暴れたらしい痕跡を一目見ようと観光客が集まってきているのである。そのため多少声が大きかろうが、他国の言語が混ざろうが気にする者はいない。

 半壊けれども一年分の稼ぎを得た店を見ながら、元店員の彼女は続ける。


「でも降水装置に自分の唾液混ぜます? UAEは観光地が人質。サウジに至っては全壊が一なだけで、いくつの基地が稼働停止したかわかりませんよこれ。今さっき雨が降った場所は全部眠姫ねむりひめの領域みたいなもんです。ああ、氷将ひょうしょうですか。確認するまでもなく死んだんじゃないっすか。興味ないですねー。これ、エジプトだけじゃなくて中東連合諸国MEU全域を脅してますよね。ええ、ほんとに極悪非道ですねー」


 はいはい、と相槌を打つ彼女の表情はその明るい声とは対照的に、無機物のようだった。

 それは、ソフトの入れられていない本体ハードのような。


「でも犯罪者なのに天敵の軍事組織に強いって、さすが葬王の代なだけありますね。……ですです。思ったんですけど、……はい、戦争屋と眠姫ねむりひめが組んだら最強じゃ……ですよねー。ありえないですよねー」


 身体を伸ばす。


「ん、次は日本ですか? ……ほー、殺人王との接触のために人身売買組織に売られる女に化けろってことですね。姉さん、そんなの私にしかできないじゃないですかやだー。まず掴んだ眠姫ねむりひめとその部下の要素を届けますね。はい、はーい。あ、UAEのお土産何がいいですか? おすすめ? そうですねー」


 ふと修繕途中の看板が目に入る。


「ケバブですかね」

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魔法も奇跡もない、この退屈な世界で/特別短編、連載開始! 渡風 夕/電撃文庫 @dengekibunko

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