一章 邂逅。そして問題発生。 その3

「――」

 紅蓮の髪を掴んで、彼は声なく叫んだ。

 瞳が紅く染まり、周囲の肌に血管が浮き出る。それだけに留まらず、紅い液体が眼から溢れ、頬を伝った。その様は一輪の紅花が咲き誇り、朽ちていくようであった。

ばたりばたり、とフードの女を除いた全員が意識を失って崩れ落ちていく。叫び声とともに展開された殺気に耐えきれなかったのだ。

《殺人王》は首裏に着けていた通信機を力任せに掴むと、そのまま握り潰した。簡素な音とともに生じた破片は手のひらに突き刺さり、出血を伴った鋭い痛みに変わる。

それは冷静への足掛かりだった。

「はっ、はっ、はっ」

 荒れた呼吸を整えつつ、彼は血の滴る手で髪を掻き上げた。

 今すべきことは激昂することではない。そんなことをしていても状況は好転しないのだから。

 あーあ、と落胆の声をあげたのは女だった。

「落ち着いちゃったの、つまらない。そういえば、まだ犯罪名を名乗ってなかったわね」

 彼女は躊躇いなくフードを脱ぐ。

 現れたのは、肩にかかる程度の黒髪と金属の左眼だった

「私は罠師。あなたのすべてを奪う者よ」

「……俺をAVCATアヴキャットに引き合わせるのが狙いか」 

《罠師》は小気味良く口笛を鳴らした。

 

《罠師》という犯罪名のもつ情報量は少ない。というのも『罠』というのはあくまでも彼女を犯罪者として特徴づけるための要素のひとつに過ぎず、それ以上の意味を持たないからである。罠の使い手であるから《罠師》なのではない。犯罪者としての代名詞、つまりは娯楽エンターテイメント性を当てはめられた結果だった。

 それよりも重要なのは後ろの部分、《師》である。三段階に分かれている犯罪名の区分であり、《将》や《屋》とともに最下層に位置する位である。犯罪名が与えられている時点で実力者であることは間違いないが、犯罪名持ちの中では実力が劣る。

 そんな彼女が唯一無二の最高位である《殺人王》に勝てるだろうか。

 否。結果は火を見るよりも明らかである。

 ならばどうするか。答えは単純、第三者を利用すればいい。

 今回における第三者は、日本。


「まあ、これくらいは気づいて当然よね。でも」

 見計らったように不協和音が街を包む。

『治安維持活動省より警告。東地区四丁目にて大規模な犯罪者制圧活動を行います。市民の皆様は決して屋外に出ないでください。命の保証は致しません。繰り返します。警告――』

「もう遅いわね。いつもの万全の状態ならなんてことはないでしょうけど、これだけ体力を消耗して相棒もいない状況ならどうかしら!」

《罠師》は高らかに言い放った。

「……必ずお前を見つけ出す」

「ふふふ、アハハハッ!」

 彼女は腹を抱えて笑うと、

「葬王の死体でも抱いて寝ているわ。国際会議でまた会いましょう」

 忽然と姿を消した。残されたのは意識を失った数体の人間と、《殺人王》だけだった。

 固く握りしめられた拳から絶えず血液が失われ、足元にはヒビ割れたナイフ。

 そして、頭上には満月。

 すべてがあの日と重なって、嫌悪感が増幅する。 

「だから嫌いなんだ」

 音の死んだ世界に、彼の声は溶けて消えた。


――――――


「狸寝入りはもうやめろ」

 一拍の間を空けて、

「いつお気づきになりました?」

 言葉を返したのは絶命したはずの首輪のついた女性だった。

 声は一変して低く落ち着き、顔は感情など一切合切が消えて鉄仮面のようになっていた。恐怖に打ち震える姿は微塵も見られない。

 彼女はすくりと立ち上がると 躊躇なく首輪を引き千切った。

「最初からここにいたこと、そしてここに戻ってくること、どう考えても俺に用がある。そもそもその首輪をとやらを使われて、悲鳴のひとつも上がってねぇのもおかしい」

 紅く点滅することで非常事態を告げている建造物群を眺めながら彼は言った。

 実を言えば、自身の相棒の索敵報告も大きな理由のひとつだが、口にはしなかった。顔馴染みのとはいえ、そこまで話す義理はない。

「詳細な返答ありがとうございます。次から気を付けます。他に何か気になる点はございましたか?」

「それだけだ」

 立ち振る舞い、容姿、反応、殺気など様々な観点において彼女の変装は完璧であった。このレベルで捨て駒同然の手下。相変わらずの練度の高さに《殺人王》は心の内で称賛を送った。

「なるほど。やはり髪型や服装と言った外見は大事ですね。内面は二の次です」

「罠師と繋がっているのか」

 彼女はすぐさま首を横に振った。

「いえ、これはわたしが化姫の使いとして殺人王様に接触するためのものなので、罠師は関係ありません。さすがに人工と協力したら姉さんに地獄まで追いかけまわされます」

 殺人王様が手加減せずに殺しに来た場合、化けるのをやめなければいけなかったので助かりました、と人身売買の商品に化けていた彼女は笑いもせずに続ける。

罠師やつのことは警戒してるんです。罠と化かすって毛色が似てるじゃないですか。それもあってちょっと潜伏していたんですけどね。思ったより骨が折れました」

 彼女が初めて出した人間的表情は、疲労に塗れた苦笑だった。

「で、俺にあいつは何だと」

「姉さんと

 彼女は二本の指でのどを抑え、そしてずらした。

 空気が一変する。

「やあ、数か月振りね。化け姫だけどどど」

 聞こえてきた声は微塵も知らない声だった。格もなければ威厳もない。道端に捨てられてさえいそうな声。けれども《殺人王》は邪険に扱わなかった。状況証拠はある。そして何より、《化姫》を相手にして直感的感覚ほど役に立たないものはない。

「要件を言え。やることが回りくどいんだよ」

「早漏は可愛いけどほどほどにねねね。私も日本にいるし、挨拶ついでに仕事の話をしとこうと思ってねねね。偉大な殺人王様へのご機嫌取りよ、ご機嫌取り」

「ならそのむかつく話し方を今すぐやめろ」

「今はこれに化けているから仕方ないのよねねね」

「自分の言葉で喋れねぇ異常者が」

 録音や映像と違う点は、彼女が化姫に化けているということである。

 つまり、本人が眼前にいるのと同じことだった。

「異常者ねぇ。そういえば何か私たち化け姫の猿真似をしている異常者がでてきたわわわ」

「畑が違う。興味がねぇ」

「でしょうねねね。何かあったら声かけて。じゃあまたどこかで殺し合いましょう」

 喉から指が離れる。同時に張り詰めた空気がいくらか和らいだ。

「録音や本隊との通信はしておりません。従って、先の殺人王様と罠師の会話の内容も漏出しておりません。ご安心ください」

「逃げない、か」

 目を細めて問う彼に対して、彼女は当然とばかりに頷いた。

「さすがに重要なことを聞き過ぎた気がします。姉さんとて殺人王と敵対したくないはずです。なので、

「ああ」

 棒立ちの彼女へと《殺人王》はゆっくり近づく。

「重ね重ね恐縮ですが、をお願いしていいですか、私も天然ですので」

「言われずともする」

「ありがとうございます」

 足が止まる。目と鼻の先。軋む音はナイフホルダーのから。

「我らが主、化姫に幸あれ」

 フルタングのナイフが女性の首を切り裂いた。

 血飛沫の中、僅かに笑っている女性を彼はただただ見つめていた。

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