File:4 真逆のウィードルダムとトウィードルディ




 部屋に入ってきた男・周防すおう耕作こうさくに、蕗二ふきじは冷汗が噴き出し、背筋を冷たく伝い落ちていく。

 動揺を悟られまいと、大げさに口角を上げて笑顔を作り、腰を折って挨拶する。

「どうも、初めまして。私は警視庁刑事課の三輪と申します。こちら鑑識課の芳乃ほうのです」

 指をそろえ、自分と芳乃を順番に差す。周防は無感情で光のない黒目を動かし、蕗二と芳乃を順番に見て、「どうも」と小さく呟いた。

 一瞬の間。慌てて「どうぞお掛けください」と蕗二が目の前の椅子へ促せば、ようやく周防が座った。

「お忙しい所、大変失礼いたします。周防耕作さん、あなたに少しお伺いしたいのですが」

 椅子に腰を下ろしながら、蕗二が胸ポケットから手帳を取り出した。

「あの」

 不意に遮られ、手帳のページをめくる指が跳ね上がる。もちろん隣に座った芳乃ではなく、周防の声だ。

 先ほどから緊張で冷汗が止まらない。ジャケットを着ていなければ、シャツが背中にぺったりと貼りついているのがバレてしまいそうだ。

 さてどうする。

 竹輔が言っていたように、被疑者に接触するのはリスクだ。

 だが、被疑者と鉢合わせることは、実はそこまで問題ではない。通常の殺人事件の捜査であれば、誰が犯人か分からない状態で聞き込みを行う。そのため偶然、犯人と知らないまま遭遇そうぐうしていることもある。そこで嘘をつかれたところで構わない。捜査を続けていれば、いずれ嘘だとわかる。そして証拠隠滅をはかられる前に素早く証拠を掻き集め、容疑が固まったところで取調室に引っ張り込み、矛盾点を指摘し、証拠を突きつけて追い込む。

 その準備として、トランプゲームのババ抜きで最初に手札から不要なカードを捨てるように、ある程度聞く内容を整える必要がある。そのために、先に職場の上司や同僚から聞き込みたかったが、予定はいきなり崩れた。

 手札として残った大量のトランプの中から、相手にジョーカーを引かすのは至難のわざだ。

 捜査に時間がかかればかかるほど、相手はこちらの手札に気がつき、証拠隠滅やアリバイ工作を行う時間を与えてしまうことになる。そうなれば最悪、真相は闇に葬られる。そうなれば相手の勝ちあがりだ。

 それだけは絶対に避けなければならない。

 この限られた時間の中、一体何を聞くべきか。

 指に力を込めすぎて握り潰しそうな手帳を閉じ、息を吸い、腹に力を込める。

「あなたの事は100%疑っているわけではありません、警察の規則でして」

 覚悟を決めて視線を上げると、いつの間にか帽子を脱いだ周防が真っ直ぐこちらを見つめていた。

「あのさ」

 先ほどよりも強い口調。高まる緊張感に生唾を飲み込む。

「耕作はオトウトだけど」

「え?」

 周防が言った言葉の意味が飲み込めず、強くまばたきを繰り返す。

 オトウト? おとうと? 下の兄弟の、弟?

 やっと意味を理解する。だが、そんなはずはない。慌ててジャケットのポケットから液晶端末を引っ張り出し、周防耕作の画像を表示する。

 手元の端末を見て、もう一度目の前の男の顔を見る。

 周防は落ち着いた様子で、わざわざ顔が見えやすいように背筋まで伸ばした。

 端末を目の前に掲げ、失礼なほど見比べる。

 右手の中、端末の画面に映る周防耕作は無表情でこちらを睨んでいる。視線だけを左に振れば、目尻に薄くしわが刻まれただけの、まったく同じ顔が存在していた。

 何度見比べても同じ顔だ。

 蕗二が口を開くよりも先に、周防は軽くまぶたを伏せ、細く息を吐き出した。

「刑事さん、双子は初めてか?」

「双子?」

「双子と言っても、ひとつの受精卵から分裂して生まれる一卵性いちらんせい双生児そうせいじと、ふたつの卵子が同時に受精して生まれる二卵性にらんせい双生児があるようだけど。俺たちはその一卵性の方で、DNAも血液型も顔も仕草も、全部同じだ。クラスメイトや職場で間違えられるのは毎日の恒例こうれい行事、生みの親でさえたまに間違える」

 何度も説明しきているのだろう、説明書を読み上げているかと思うほど、周防は淡々と言葉を並べた。

 思わず隣の芳乃を盗み見る。芳乃は帽子の下、頷くようにゆっくりと瞬く。嘘ではないようだ。

「少しだけ失礼いたします」

 蕗二は芳乃の足元に置いてあった鑑識の道具箱から機械を取り出す。ひとつは鑑識が使う液晶タブレット、もうひとつは15センチ物差し型の白い端末、そして最後は手のひらサイズのカードを読み取る機械だ。

 それぞれを起動させ、タブレット端末とワイヤレスで接続する。

 物差し型の白い端末は≪リーダーシステム≫の簡易版だ。

 ≪ブルーマーク≫は犯罪者予備軍と目視で判別するための目印でもあるが、≪ブルーマーク≫自体は常に電波を発信している訳ではなく、≪リーダーシステム≫から発信される微弱な電波を≪ブルーマーク≫が受信し、応答することで役割を果たす。

 その≪リーダーシステム≫は町中に設置されているが、監視カメラや警察隠語でネズミ捕り器と呼ばれる速度違反自動取締装置のような取り締まり機器は、設置してある場所を把握し、ちょっと注意さえすれば避けて歩くこともできる。実際、幼児誘拐殺人の百日ももくさくれないや無差別殺人鬼の畦見あぜみ聖人きよとなども≪リーダーシステム≫を避けて行動していた。

 しかし警察も馬鹿ではない。ダミーを仕掛けたり、一目で分からないようにカモフラージュしたり、ゲリラ検問けんもんなどの対策を行っている。

 この機械は、ゲリラ検問時に使う時の物だ。

 鑑識のふりをするなら手ぶらでは松葉に怪しまれるため、芳乃に本格的な鑑識の道具一式を持たせただけだったが、これがまさか役に立つとは思わなかった。

 液晶タブレットに接続完了と表示されたのを確認し、物差し状の端末を握る。蕗二が言うよりも先に、周防は頭を倒して自ら≪ブルーマーク≫を差し出した。

「失礼します」と物差し型の機械を周防の左耳、正確には耳たぶに装着されている青いサージカルステンレス製のフープピアスである≪ブルーマーク≫へと近づける。

 すぐにタブレットに読取中の文字がされ、瞬く間に顔写真とともに≪マーク情報≫に切り替わった。

 一番上に書かれた名前を読み上げる。

「スオウ、ユウジさん?」

「ああ、免許証も確認してくれていい」

 周防は作業服の胸ポケットから銀色のカードを取り出す。カードを受け取り、蕗二が読み取り機にかざすと、タブレットに顔写真と免許情報が表示された。もちろん≪マーク情報≫と同じ名前が表示されている。

 カードを周防に返し、タブレットの表面を指で下から上にスライドさせ、内容を確認していく。

 周防すおう遊冶ゆうじ、40歳。備考欄にはご丁寧に「一卵性双生児:母子健康記録データ要確認」と記載されていた。

 そして判定理由には、『依存的で執着心が強く、執着のあまり反社会的に逸脱いつだつした行動を起こす可能性が高い。また動植物の死骸への興味について、いちじるしい異常値を検出。将来、動植物や対人に殺傷危害を加える可能性が高い』と記されていた。

 反対の手で液晶端末を操作して周防耕作の判定理由を確認する。

『自己顕示欲が高く、他人の目を引こうと反社会的に逸脱した行動を起こす可能性が高い。また動植物の死骸への興味について、異常値を検出。将来、動植物や対人に殺傷危害を加える可能性が高い』

 蕗二は眉をひそめる。

 耕作と似たような判定理由だ。双子だからなのか、それにしても酷似こくじしすぎじゃないか。

「周防遊冶さん」

 不意の声。芳乃の小さな声は、なぜか真っ直ぐ鼓膜へ届く。

「弟さんとあなた、≪ブルーマーク≫が付いたのは同じ時期ですか」

 帽子の下、前髪に埋もれる眼が黒く深いうろに変わっている。

 周防は手持無沙汰に下げていた視線を上げ、芳乃を見た。だが、すぐに視線をそらした。

「あんたらの方がよく知ってるだろう」

「念のため、確認です」

「弟は10年前に。俺はこの前の8月に判定がついた」

 芳乃はわざとらしく蕗二が持つタブレットを見る。タブレットの表面には覗き見防止のフィルターが張られていて、芳乃の角度からは一文字も読めるわけがない。だが芳乃はいかにも読んでいるとばかりに頷いた。

「判定理由は動植物の死骸への興味、ですね。お心当たりは?」

 周防は机の上に視線を落としたまま、もごりと口を動かす。

「昆虫の収集を、ちょっと」

 芳乃が目を細める。その眼の端にしもが降りる気配がした。

「昆虫を収集して、どうするんですか」

 気配が変わったのを感じるのか、周防は居心地が悪そうに肩をすくめて縮こまる。

「集めて、それから飼ったり、標本を作ったり」

「標本を作るんですか? どんな?」

 芳乃の瞬きもしない黒い眼が、周防を見詰める。伏せられた黒目が小刻みに揺れる。

 ふと、周防が身じろぎ、腕を上げた。

 膝の上に置いていたのだろう帽子を、なぜかきっちりと被る。

 そして顔を上げた。

 すると、先ほどまでの動揺が嘘のように、背筋を伸ばして芳乃へと向き直った。

「クワガタやアゲハチョウとか、ピンで留める奴だ。博物館とかで見た事ないか?」

 芳乃が目を見開く。

「もちろん、あります。出来栄えは製作者の腕が試されますね」

「いやそんな大層なもんじゃない。俺のは本当にただの趣味だ。ちゃんとした綺麗な標本を作るんだったら、新鮮な状態の昆虫が必要で……つまり、昆虫を殺さないといけない。俺は昆虫が好きなんだ。大好きなものは殺せないよ」

 悲し気に瞼を伏せる周防に、芳乃が鋭い視線を向ける。

「では、なぜ標本を作るんですか?」

「飼って大切に育てるけど、やっぱり寿命が短いから……。動物なら骨になるけど、昆虫を火葬なんてしたら灰になって何も残らない。どうにかして生きていた証を手元に残したくて、標本にしてるんだ」

 はにかむように薄く微笑む周防から、何か見落とすまいと芳乃は瞬きもせず凝視する。だが、ひと呼吸もしないうちに芳乃は口の端を上げた。

「そうでしたか。それはなかなか理解されないでしょうね。昆虫が嫌いな人の方が多いでしょうし」

 顎に拳を当てて大げさに頷く芳乃に、周防は共感するように頷いた。

「そう。だから内緒の趣味だった。でも、まさかそれで判定されるなんて……しかも、判定理由に死骸とか書かれてて、なんだか自分でも怖くなってしまって、最近は土にかえしているよ」

「ああ、それはお気の毒ですね。すみません、判定基準については警察庁が管理していて、ぼくらのような下っ端の鑑識はまったく知らないんです。こちらも疑うのが仕事ゆえ、個人的な趣味をまるで悪い事のように聞いてしまい、申し訳ございませんでした」

 芳乃はそう言って膝の上に手を置くと深く頭を下げた。周防は驚いたように、手を振って謝らないでくださいと慌てる。

「こちらこそ、すみません。弟の件で、警察に何度か間違われたことがあったりして、ちょっと……今回もまた弟が何かしたのかと思って、つい苛立ちが先に来てしまいました」

「そうでしたか。警察が突然やってきたら緊張しますよね。実は今日の朝、10年前に起きた事件と非常に似ている事件が起きまして、無いとは思うんですが念のため確認で参りました。ちなみに、弟さんは今お仕事中ですよね」

 芳乃の問いに、周防は眉尻をわずかに下げ、首を振った。

「いいや、今は休んでる」

「ご連絡はつきますか?」

「それが……実は連絡がつかなく。元々、無視される方が多いんですけど。電話しても出ない。メールにだって既読すらつかない。家に行っても出ない……一体何やってんだか」

 周防は大きな溜息をつくと、背もたれに深くもたれかかる。

 突然ピピピと電子音がした。音の出所を探していると、周防の左手首に巻きつけられていたデジタル時計がチカチカと点滅していた。

 それを確認した周防は急に立ち上がり、帽子の位置を確かめるようにつばを握る。

「すみません。仕事が立て込んでて」

 蕗二が口を開くのをさえぎるように、芳乃が「どうぞ、ご協力ありがとうございました」と言ってしまった。

「ご安全に」と言って周防は部屋を出ていく。

 追いかけようと腰を浮かしたところで、ドアが開き、松葉まつばが顔を覗かせた。

「終わったかな?」

「ああ、いえ。周防さんご兄弟について、他に詳しい方はおられますか?」

「それならたぶん人事の担当者なら分かると思うが……ちょっと呼んでくる」

 ドアが閉まり、蕗二は中途半端に浮かせていた腰を下ろした。すかさず問い詰めようと体の向きを変えたところで、鬱陶うっとうしいと言わんばかりに芳乃が深い溜息を吐き出した。

「逃げられた訳ではありませんよ。腕時計のタイマーは最初からセットされていました」

「タッチパネル式だったろ、ちょっとした動作でも起動させられる」

「残念ですが、タイマーが鳴った直後、かなり具体的に仕事内容が視えましたので、本当に忙しいんだと思います」

「……そうか」

 芳乃に飛びかからんばかりに前のめりになっていた体を、椅子の背もたれに押しつける。緊張感が抜けたせいか、額から汗が噴き出した。盛大な溜息とともに頭を抱え込む。

「それにしても、双子なんて捜査資料のどこにも書いてなかったじゃねぇか。しかも、≪ブルーマーク≫だったとか、あり得ねぇ」

 爪を立てて頭を掻き回しながら、いやあり得なくはないだろうと冷静な自分もいる。

 10年前、双子とはいえ周防遊冶にはちゃんとしたアリバイが存在し、事件の早い段階で捜査対象から外されたのだろう。≪ブルーマーク≫の判定も、たった2か月前に下されたのだから、10年も前の捜査資料に記載されていないのは当然だ。

 芳乃の視える能力と、咄嗟とっさの機転で命拾いした。

 噴き出した汗をハンカチで拭い取り、軽くネクタイを緩める。

「で、他には何か視えたのか?」

 寡黙かもくな芳乃にしては、よくしゃべっていたような気がする。最初は尋問じんもんのような刺刺とげとげしい質問を投げていたが、途中から態度が軟化していた。普段から世間話を好むタイプでもなければ、愛想よく話に同調するイメージもない。

 芳乃は帽子を取って机に落とすと、前髪を掻き上げ、天井を仰ぎ見る。

 氷の気配がした眼を、右手で目を覆い隠した。

「視えませんでした」

「え?」

「質問には、すべて正直に答えていました。ですが、標本についての質問な時、突然視えなくなってしまいました。揺さぶりもかけましたが、感情も乱れません。あえて言うなら、心を閉ざしている、とでも言えば分かりやすいですか?」

 乱れた髪を手でざっくり整えて帽子を被り直し、見えてないですかと耳を指差した。頷くと、芳乃は机に肘をついて目の前で組んだ両手に口を押し当てる。

「でもなんで急に視えなくなったんだ……思考が止まるというか……でもあれは……」

 ぶつぶつと呟く芳乃の眼に一体何が視えたのかは分からない。だが、深く考え込み始めたのなら邪魔はしない方がいいだろう。

 鑑識のタブレットだけを残し、机の上に散らかした機器を片付けていると、控えめなノックが三回部屋に響いた。

 椅子から立ち上がりながらどうぞと返事をすれば、髪を後ろに流しカッターシャツの上に作業服を羽織った男と、顎に濃いひげを生やした作業服の男が入ってくる。

「忙しいところ申し訳ありません。警視庁刑事課の三輪と申します、こちら鑑識課の芳乃です」

 カッターシャツの男が脇に抱えていた分厚いファイルを机に置き、人当たりの良さそうな笑顔で丁寧に名刺を差し出した。

「初めまして、人事の草野くさのです」

 蕗二が受け取ると、律儀に芳乃にも名刺を差し出している。その後ろ、顎髭の男が倣うように名刺を差し出してきた。

「工場長の森下もりしたです」

 初めから名刺ケースごと握り込んでいたのだろう、指のあとがついている名刺を受け取る。分かりやすいよう、机の端に並べて席に着く。全員が腰を下ろしたところで、正面に座る草野に向き合った。

「さっそくですが、周防さんご兄弟はいつから勤務されていますか?」

「確か去年の……」

 草野が分厚いファイルを開き、パラパラと1枚ずつページをめくり始める。指サックがはまった中指が6枚目で止まった。

「弟の耕作さんは、去年の12月からですね。えーっと、兄の遊冶さんは10年経ってないから……」

 一度ファイルを閉じると、3分の1くらいで開く。数ページ捲って止まると、もう一度頷く。

「9年前の2033年2月に就活で面接に来てますね」

 紙の上に指を滑らせ、草野は何度も頷く。

「ああ、そうそう、遊冶さんは祖父の介護で前の会社を辞めてしまって、その祖父が亡くなって落ち着いたから……と面接で言ってましたね。で、去年の12月に当然弟さんを紹介してきて、どうしても就職させてほしいって兄弟そろって頭下げに来ました。ちょうど年末の繁忙期はんぼうきで人手も足りない時期でしたので即日採用しました」

 草野の隣で静かに聞いていた森下が、ふと胸の前で腕を組んだ。

「でも耕作はちょっと我儘わがままと言うか、だらしない奴なんだよなぁ。遅刻はしょっちゅうするし、いい加減な仕事っぷりだし、この前はお客さんからクレームが入っちゃって、困ったもんだよ」

 やれやれと頭を振る森下に、草野が困ったように笑う。

「片親でもあるようですし、今までかなり苦労もしてたんでしょう。介護もずいぶん若い頃からやってて、遊びたかったのかもしれないですけどね?」

「だけど、遊冶だって同じだろ? あいつはずっと真面目だったぞ。今だって人一倍働いてて、客からの評判だっていいし、リピーターも多い。あんまりにも働くから、こっちが心配になる。ここ1か月くらいは疲れてるのか、らしくないミスが多かったし、口数も少なくて心配なんだよ」

 二人の会話を横耳に、手元の鑑識のタブレットを盗み見る。

 画面を指で下から上にスライドさせ、性質や傾向についての項目に目を通す。

『性質や傾向:内向的な性格で、集団行動は苦手である。意見があっても主張することが苦手な傾向が強く、人に指示するよりも指示を受けて忠実にこなすことを好む。』

 東検視官によれば、周防耕作の≪マーク情報≫は我慢ができない、目立ちたがりで自己主張が激しいとあずまが言っていた。判定理由に反社会的とも書かれていたことや、松葉が言うように粗暴が荒い。

 双子とはどういったものか、同級生や同僚にいたことがないため比較のしようがないが、顔や判定理由もまるで鏡に映したようにそっくりだ。しかし草野と森下の意見を聞くと、遊冶の性格は耕作とは正反対らしい。

 なのに≪ブルーマーク≫の判定が付いている。

 妙な違和感を軽く頭を振って追い払い、改めて草野と森下に質問する。

「遊冶さんから、耕作さんは会社に来ていないとお伺いましたが、理由はご存知ですか?」

「今は介護休業中だよ」

「介護休業?」

 蕗二がオウム返しをすると、草野が小さく笑った。

「育児休業と似たようなもので、介護でも休業を申請できます。年間最大93日取れるものなんですが、周防さんの場合はお父様が通勤途中で事故を起こして下半身不随ふずいになったそうで、今年7月から休んでますね。診断書も提出済みなので、間違いないですよ」

 ファイルから周防耕作のページを抜き取ると、よく見えるように机の上に置いて蕗二の目の前までスライドさせた。体を倒して書類に目を通す。診断書には『雨の中バイクで通勤中にスリップ。脊椎損傷による下半身不随。頸椎にも損傷があり、手足にも麻痺が見られる。歩行と排泄には介護が必要である。』と書かれていた。

「もうすぐ最大日数が終わるんで、10月末には復帰予定ですけど」

 蕗二が草野へ書類を返していると、森下が椅子の背もたれにもたれる。

「うち的にはあんな奴でもできたら早く戻って来てくれると助かるな。仕事は待ってくれないから」

「そしたら今度、交代で遊冶さんが介護休業を取るかもしれないですけどね?」

「あー、そうはあり得るよな。でも、親父さんも真面目な遊冶に世話される方が助かるんじゃないか?」

「耕作さんは確かに雑なところはありますが、さすがに父親の世話はちゃんとすると思いますけどね?」

 うなりながら森下が仰け反り、草野が困ったように笑う。ふと隣で手が上がる気配がした。

「耕作さんとの連絡は、ちゃんとついていますか?」

 左手を上げた芳乃が問うと、草野が頷く。

「ええ、もちろん。忙しいのか手が離せないことが多いのか、電話はすぐに出られないらしくて繋がりませんが、メールには必ず返信があるので」

 蕗二は眉間に皺を寄せそうになって、太腿をつねって気を散らす。

 遊冶との会話と食い違う。だが、芳乃は事実だと言った。それなら意図して兄だけを無視しているのだろうか。

 芳乃に目配せし、他に何か聞くことがあるか心の中で問えば、小さく首が振られた。その仕草を確認し、蕗二はタブレットをスリープモードにして立ち上がる。

「本日は忙しいところお時間を頂き、ありがとうございました」

 背筋を伸ばし、機敏な動きで頭を下げる。芳乃も同じ仕草を取ると、草野と森下は恐縮した様子で立ち上がって深く頭を下げた。退出する二人を見送り、机の上に並べていた名刺を手帳に挟む。ジャケットの内側にしまい込んだと同時に、強いノックが三回。松葉が再び顔を出した。

「どうだ、まだ聞きたい人はいるか?」

「いえ、充分です。ありがとうございます」

「じゃあ戻ろうか。向こうも業務中だ、無駄に長居するのは良くない」

 来た時よりはやや早足に道を戻り、パトカーに乗り込む。

 運転席に乗り込んだ松葉は、起動したナビの上、自宅へと書かれたボタンに触れる。道順が表示された目的地はもちろん綾瀬あやせ署だ。松葉が決定ボタンを押すと、パトカーは静かに発進した。

 敷地内からゆっくりと前進し、道路に入ると法定速度まで穏やかに加速する。

「しかし、びっくりしました。まさか双子だとは」

 蕗二が堪らず愚痴をこぼす。運転席の松葉が、ちらりと蕗二を見てハッハッハッと軽快に笑う。

「いやぁ、俺も初めは驚いたよ。遊冶と耕作と二人並んで会うまでは、耕作は二重人格かと思ったくらいだ。前は≪ブルーマーク≫の方が耕作だって見分けがついたが、もう確認しながらじゃないと駄目だな」

 困った困ったと溜息交じりに松葉は 呟く。いや双子って知ってたんなら初めからそう言ってくれと、半分八つ当たりのような感情が湧き上がる。口を突いて出る前に鼻から静かに息を吐き出していると、蕗二のジャケットのポケットが震えた。

 松葉に断って、ポケットから液晶端末を取り出し操作する。菊田からメールの返信が入ったようだ。急いで打ちこんでいるのだろう、簡素かつ警察隠語の混じった文面を丁寧に読み込む。


『第一帳場終。現在、ロク身元不明、損壊・肋骨剣状突起下から恥骨まで切開有、胸腹部内臓喪失、ただし刺殺薄。頸部皮下及び頸椎・頭部に損傷無、引き続き検視。3件目現場、管理人確認、契約者周防耕作。マルヒ周辺地取り中。』


 ご遺体の身元は依然として不明だが、帳場は本格的に周防耕作を捜査するようだ。極秘部署である【特殊殺人対策捜査班】には≪ブルーマーク≫である三人がいる以上、他の刑事たちと鉢合わせることは避けたい。先に仕事場に行ったのは正解だったようだ。

 警察無線をBGMに、菊田へ周防耕作の勤め先と、双子の兄の話、介護休業の話をメールで打ち、送信ボタンをタップしたところで綾瀬署に到着した。

 駐車場でパトカーを降りると、守衛室から制服を着た若い警察官が駆け寄ってくる。

 松葉がパトカーのキーを渡すと、すぐに警察官はパトカーに乗り込んだ。どうやら彼がパトカーを管理しているらしい。

 ゆっくりと移動するパトカーを横目に、背筋を伸ばす松葉に頭を下げる。

「本日はありがとうございました」

「いやいや、これくらいは構わないよ。事件が早く解決するのを祈ってる」

 ひろひらと手を振った松葉が綾瀬署に入っていくのを見送る。その背がドアの向こうに完全に消えたところで、芳乃が不機嫌をあらわにする。

「これもう下ろしていいですか? 重いんですけど」

「おっと悪い、お疲れ」

 芳乃から鑑識の道具箱を受け取り、肩に引っ掛ける。不慣れな物を持ったせいか、芳乃は痛みを和らげるように肩を軽く回し、帽子を脱ぎ取ってぺしゃんこになった髪を掻き混ぜた。元の髪形に戻ると、埋もれていた≪ブルーマーク≫が顔を出す。

 松葉が言うように、周防すおう兄弟を見分ける目印のように≪ブルーマーク≫が付けられていた。しかし今は鏡に映したように同じ状態になった。まるで違うことを許さないと言わんばかりだ。なんだか気味が悪い。

 自ら発光はしないはずなのに、チカチカと光る小さな青色が眼の奥を刺そうとしてくる。

 肩にかけたショルダーベルトを意味もなく肩にかけ直し、深く息を吸い込んで鼻から吐き出した。

 見上げた空、右側が欠けた月が薄く上がり始めていた。





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ルナティック・ブレイン【ー特殊殺人対策捜査班ー】後編 橋依 直宏 @meganeinu

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