第17話 エッセイは究極の自分語りである


「それでは軽く自己紹介をしてみましょう」

 

 同じ服を着た初々しい見知らぬ少年少女たちは一人ずつ立ち上がり、名前、出身校、趣味、性格などを並べ上げて着席する。僕は破裂寸前の心臓を抑え、四方八方から飛んでくる女子の目線を飛び回るハエのように掻い潜りながら、周りに倣って自分の要素を羅列した。「無難であること」を求めて毒にも薬にもならない言葉を並べ、毎年クラスという溶媒に溶けてゆく。


「今年はあの子が可愛い。席替え頑張ろう」と、おぼろ月夜に思いを馳せる。運よく窓際の席で喜んでいたら風にはためくカーテンに往復ビンタをおみまいされ、教卓の前で頭を抱えていたら視力の良くない神が降臨し、想いは成就したりしなかったりして悶々としているうちに、気付くと朧月に再び思いを馳せている。


 朧が優しく揺蕩う度、箸にも棒にも掛からぬ紹介は研鑽され、ついには夏の夜の蚊の如く、耳に音を届けた瞬間姿をくらませるような自己紹介が完成してゆく。共同体に溶け込むにはそれが一番良かった。少なくとも僕にとっては。


 あれから幾ばくかの時間が流れ、自己紹介は文字になり、顔写真と共に不特定多数の異性に配信されて、良いか悪いかをポチっと押すだけで繋がりを生み出すようになった。その時分においては、自己紹介は無難であってはならず、かつ、尖りすぎてもいけず、目を引いてが分かるものが好ましいという。


 僕は途方に暮れた。


 自己紹介とはかくも難しいものなのか。そもそも自分を紹介とはなんだ。明るい性格とか落ち着いた雰囲気なんぞ他人から言われた都合の良い部分を名刺に落とし込んで配っているだけではないのか。それは自己紹介ではない。他己紹介の焼き回しである。僕はそんな一言で表現出来るような素直な性格ではないし、だからといって複雑な性格だというのも底の浅い幻想のような気もする。


 自分を表すのに何が必要なのか。それを考えて、僕は遂に思い至った。

「エッセイこそが究極の自己紹介である」


 そこに表されているものは全て主観の塊であり、他人の思考が介入する隙はない。名前、年齢、耳の形、目と眉毛の近さ、血管の浮き出方、鎖骨のくぼみ、メガネのフレームの太さ、お尻の引き締まり方など、人を描写するのに良く使われる記号は意味をなさない。

 

 このエッセイはとりとめのない思考の残滓である。素朴な気持ちを書き連ねているため、否が応にも内面が浮き出てくるのだ。ケーキを壁に叩きつけたように、甘くて粘度のある想いがこびりついてしまうのだ。だからこそ、エッセイは書くのも読むのも面白い。


 エッセイに自己紹介なんぞは必要ない。内容そのものが自己紹介なのだから。目を引き、自己を開示し、かつ、面白い自己紹介はエッセイなのだ。


 言葉は「生き別れの自分」である。


 僕はして携帯に向き直り、マッチングアプリを開いて文字を打つ。

「人間万事塞翁が馬。誰よりも普通でありたいと思っていたら、いつの間にか離島で妄想と一人遊びし、誰もいないことを良いことにお尻を叩いてダンスをするが如き青年へと育ちました。先祖は犬であり、今世の夢は犬になること。風が吹けば飛ぶような軽い男に憧れ、可愛い鼻毛を名残惜しみ、突如「おっぱい」と発言した時の反応を想像することで人に価値を見出します。座右の銘は「適当に」。ある時はウンコに経済理論を応用し、またある時は世界の隅っこで変態を叫びます。よろしくお願いします」


 ここまで書いて、全て消した。


 この世には自分語りをしない方が良い時もある。

 しかし、素の自分がみるに堪えないのはこれいかに。


 朧月夜の空の下、透明な雫がほろりほろりとこぼれ落ちて行った。

 理由は知らない。知りたくもない。





 


 以下、参考まで

 >先祖は犬

 第14話 ダイエットに向いている人とは

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054893700544/episodes/1177354054894406814


 >今世の夢は犬になること

 第37回 叶えたいこれからの夢 ― 金髪になる

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054888425664/episodes/1177354054888659789

 

 >風が吹けば飛ぶような軽い男に憧れ

 第62回 軽い男になりたい

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054888425664/episodes/1177354054889251026


 >可愛い鼻毛を名残惜しみ

 第18回 あそこの毛の処理

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054888425664/episodes/1177354054888490568


 >突如「おっぱい」と発言した時の反応を想像することで人に価値を見出す

 第102話 意味のないことに興趣を見出す

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054888425664/episodes/1177354054890606757


 >ある時はウンコに経済理論を応用する

 第13回 便意のゼロサムゲーム

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054888425664/episodes/1177354054888460755

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