ヴェリィ・ショート
naka-motoo
前略、さようなら
髪を短く切れば切るほど長生きできると聞いたの。
もう5年前のことよ。
その時わたしはまだ高校生でね。いじめに遭うのが怖かったから長くしたり綺麗に飾りつけたりはせずにね、ただ肩のあたりで切りそろえてたの。
そしたらね、同じクラスの、メコ、っていう子がね、褒めてくれたんだあ、わたしの髪を。
「ねえ。サキ」
「なに?メコ」
「サキの髪は綺麗だねえ」
「あ。ありがと」
「昨日アタシがフォローしてる預言者がね」
「え」
「え」
「今なんて」
「だから。預言者がね」
「う・・・ん」
「キミの髪は長すぎる、って」
「え」
「え」
「遭ったの?・・・その預言者に」
「まさかあ」
やだ。
「SNSのDMでアタシの写真送っただけだよ」
「・・・預言者が、なんて?」
「髪が長すぎるから切りなさい、って」
「切るの?」
「うん。付き合って」
「どこへ」
「美容室」
「・・・嫌」
「サキも切ればいいよ」
「・・・嫌」
でも結局わたしは髪を切った。
メコの話によると、それも預言者の言葉をそのまま言っただけだそうなのだけれども、髪の長さが寿命と反比例するのだそうだ。
以来、わたしはずっと髪はヴェリィ・ショートにしている。
メコは死んだけど。
「ねえ。サキ。どうしてキミの友達のメコさんは死んだんだい?」
「裏切ったの」
「キミを?」
「そう」
「意味が分からないな」
「メコはどういう訳か男子Aの嗜好情報を仕入れてね」
「なにA」
「いいから。男子Aは無類のロング好きだったそうな」
「へえ・・・で?メコさんはそのAを好きだったと」
「その通り。それでAはわたしのことが好きだったと」
「どうしてそれを」
「メコが言ってたの。『Aくんがサキのことを好きで、「サキさん、髪伸ばしてくれないかなあ」って言ってた』って」
「だから、キミを騙して髪を切らせた?」
「そう。美容室の順番待ちをわたしを先にしてね。終わったら『アタシやめた』とこうよ」
「じゃあその髪型は当時の美容師発案か」
「そんな大袈裟なものじゃないけどそうよ。うなじも刈り込んでもらってハイパーショートに」
「メコさんは」
「髪を伸ばしてたから死んだ」
「ぷっ」
そうよね。
冗談と思うよね、普通。
でも原宿の一本入った道に並ぶ雑居ビルの二階にあるそのドアを見たら彼も黙ったわ。
『God save miserable people』
「ようこそ」
「預言者、さん?」
「そう呼ぶのは私の5年以前の顧客だけになりましたが」
「預言をして欲しいのですけれども」
「彼は?」
「彼です」
「なるほど。ではお掛けください」
ずっと昔観たアメリカ映画の小説家の部屋みたいだった。
預言者は男で5年前には多分20代後半だったように見えるけど今の男は50代の坂を転げるような顔の皺・シミ・肌の弛緩を見せている。
小机を挟んだ、それが顧客応対時のスタイルなのだろう、肘を机に突きながら預言者はこげ茶のビジネスバッグから腕の先を抜き出して言った。
「彼氏さんはお控えください」
その言い回しと同じようにとても静かに預言者は黒く抑えたツヤの綺麗な調度品に人差し指をかけて、くっ、と動かした。ひゅう、という音とわたしの彼の右眉あたりの皮膚を削る、ふすっ、という音と、ペキ、という頭蓋を砕く音とが同時に聞こえた。
至近距離すぎて弾丸の熱で皮膚が焦がされ、血は出ずに、彼は目を開けたままゆっくりと上体を衣ずれのように膝の上に滑らせていって、最後には、トサ、と木張の床の上にうつ伏せになった。
「銃を」
「ええ。アナタのような方が何年かに一度来られるのでね」
銃を右手の指にかけたまま、預言者はコーヒーを淹れてくれた。
「彼はボディ・ガードのつもりだったのに」
「ふふ、恐ろしい
「どうして」
「盾だったんでしょうが」
言い返さずにいるとわたしのVネックから見える胸の辺りに視線を落としながら預言者は追加で言ってきた。
「預言して欲しいのですね」
「ええ。それよりどうしてここを知ったか訊かないの?」
「不要な事柄でしょう。それより、ずっとその髪型を」
「ええ。死にたくないから」
「くふっ」
「可笑しい?」
「可笑しいですね。死にたくないならどうしてここに来たのですか」
「髪を伸ばしたくなったからよ」
そう言うと預言者はテーブルの上のスマホをタップした。天井のふた隅にセットされているBOSEのスピーカーから音楽が流れ出した。
「ジャズが好きでしてね」
「どうして」
「仕事の時のBGMなんですよ。これでないといい預言ができない」
「良い預言をするとか悪い預言をするとかいう感覚が分からない」
「預言は神から授かりし言葉。あるいは悪魔から授かりし場合もある」
「じゃあ、アナタの場合は」
「後者だ」
預言者の言葉遣いがぞんざいになっていく。わたしは恐怖心をもともと持たずにここへ来たけれど、単純に男性とふたりきりの密室で向き合っているということだけでも恐怖ではある。オカルト的な恐ろしさを抜きにして。しかもこの預言者は5分前に人を殺したばかりだから。
「では、始めましょう。アナタが今一番して欲しくないことを言い当てましょう」
「それは預言なの?」
「わたしの主人がその預言を言いたがっている」
「主人て、悪魔?」
「まさしく」
「ファック」
わたしの言葉は無視され、預言者はわたしを椅子から立たせた。
立たせるために、銃を、わたしの左目の辺りに照準している。
「まず、私に殺されたくない」
「まあそうね」
半歩、わたしに近づく。わたしが半歩下がると一歩前に出る。
「それから私に殴られたくない」
「その通りだわ」
距離が縮まった。わたしの背中がドアだから。そしてプシコの病室のように中から開けられぬオートロックだから。
「そして・・・わたしにその短いうなじを指でかき上げられたくない」
ズッ!
預言者の顔がわたしの視界から消えた。
どこへ行ったかと思うと、片膝をついていた。
わたしの彼がうつ伏せのまま、預言者の右足首を引っ張っていた。
ズボラな動きで預言者は彼の手首を反対の足で踏んで外した。そしてなんでわざわざそうするのかはわからなかったけど、銃身からサイレンサーをきゅる、と外してから二発、彼のうなじのあたりに発砲した。
今度は、ゆっくりと、血が流れたわ。
「ふう。待たせたね。では、預言によってオマエのして欲しくないことが分かったから、やらせてもらうよ」
「アナタにメリットはあるの?」
「大アリだねえ。特にテメエのように一度生き延びた人間を地獄に堕とすと産油国の王よりも潤沢な資産を主人からもらえるんだよ、ビッチが」
「汚い言葉」
「うるせえ。汚え、メス犬が」
わたしは決してノープランで来たわけじゃないけど、預言者がここまで理性を失うとは思わなかった。魂を取る、とかいうステレオタイプの預言は無かったけど、して欲しくないことに順位をつけるとしたら、①うなじを指でかき上げられる②殴られる③殺される、かな。尊厳の問題だとしたら。悟られて①からやられたら堪らないから顔には出さないけど。
預言者は小さなリボルバーの銃の口を、わたしの上唇に軽くタッチさせた。わたしは口を開けなかったのでそういう格好になったのだけど、たまに見る口を開けて口腔に銃身を入れられているシーンというのは合意の上でないとできないわね、と冷静な思考が却って蘇ってきた。
「じゃあ、『うなじ』からだ」
わたしは、犬歯とその周辺の歯でもって、噛み切った。
「おや。自死かい?」
動きから舌を噛み切った動作だと断定したのだろう。預言者が致命にならない程度に癒そうと思ったらしく銃をわたしの口から離し、うなじにかけるはずだった指で唇をなぞろうとした。
ブブッ!
「おわ!舌じゃねえのか!?」
わたしは古の女性武士がするような自決の、舌を噛み切るなどという潔い行動を取ることはできなかった。代わりにわたしが噛み切ったのは、口腔の頬の内側あたりの柔らかな肉だ。
肉片と一緒に血しぶきを預言者の目に吐きかけた。
思考する時間などないので後は①、②、③をされたくないという本能と反射でもって体を動かした。一度自分の肉を抉ったことで躊躇がなくなっていたので、預言者の銃を持つ手の指を、誤射か意思を持って発砲される危険もあったろうが体の反応のままに、噛み抉った。
「おお・・・おおう!」
もともと『悪魔』の部類なのならば、わたしにビッチと言うがごとく自らも獣なのだろう。彼は喉がやや鳴るような呻きを上げながら、わたしが2本目の指の肉を抉ったところでようやく銃のグリップが弛緩した。わたしは預言者の指の肉片を飲み込んだ。
飲み込みながら嘔吐を催したがそのまま、えっ、と吐瀉するままにわたし自身の右の手で銃を握り直してみる。
彼の体温でぬるかったけど、そのままもっと強く握り込み、持ち方が合っているのかどうかは分からなかったが、預言者のシルエットの方向へ向けて、薬指を痙攣するように引いた。
「うっ、うっ」
部位は全て致命の箇所を外れたようだが、二発とも体のどこかには当たったようだ。だから二回、預言者は呻いたんだろう。
わたしは初弾を右手だけで撃ってしまったために右手首に激痛と鈍痛が両方とも走っている。2発目に左手を添えなかったら骨折していたかもしれない。
リボルバーに何発銃弾が装填可能かなど知らぬわたしは薬指が空振ったことで弾切れに気づいた。
そのまま銃を床に、ド、と落として両膝をついて上体は起こしている預言者の体をそのまま、左手のひらで、とん、と押して仰向けに倒れさせた。
きれいに漂白された彼のシャツの、鳩尾のあたりに血が広がっていたので、そのあたりをヒールで踏んだ。
「おぉぉぉ・・・くふぅぅぅう」
預言者はわたしの顔など観ずに、天井のLEDの白い光を真上に見上げながら息を吐くことに専念していたようだ。そういう呼吸の方がラクなのだろう。
10秒ほど踏み続けると、彼は息を吐くことをしなくなった。
死んだようだ。
遠くから救急ではないサイレンが近づいてきた。この建物はこの部屋以外すべてテナント募集中となっていたので、近隣の住人が4発の、パン、という玩具のクラッカーのような軽い音を聞いて、それでも通報したのだろう。むしろ、通報したのはホンモノの銃の発砲音を聞いたことのある人間かもしれない。
オートロックを開けることはできなかったので、窓から出た。
雨が降っていたし、外付けの鉄骨剥き出しの階段に移るために、軽く、跳んだ。着地と同時に接地した方のヒールが折れたけれども、とりあえずそういう普段ならばこの世の終わりのように不機嫌になる事象など羽毛が肩に触れるほどの些末なことだと割り切って階段を前のめるように駆け下りた。
ここは二階だし、安全地帯はすぐそこだ。
「あ」
・・・・・・痛みも何もなかった。
無い方のヒールを空振って前のめりに転落したはずなのに、わたしはアスファルトに後頭部をくっつけていた。
曇天で雨さえ目に点眼のように降り注いでいるのに、明らかに預言者の部屋のLEDよりは明るい日の光が真上にあった。
ほとんど無い後ろ髪を浸す水は温かいので、それは雨の水ではないのだろう。湧水のようにわたしの後ろ髪の付け根あたりから優しく溢れているようだ。
あ。
まさか指よりは太くはないだろうけど、長いような形状の何かをうなじの下に感じる。
なんだろうな、これ。
百足だろうか。
ゲジゲジだろうか。
たくさんの足を持つような、虫、なんだろうな。
それが、わたしのヴェリィ・ショートのうなじを、サワサワとブラッシングしてる。
ああ・・・・・・
気持ちいい・・・・・・
ヴェリィ・ショート naka-motoo @naka-motoo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます