分配金に登録しないのは副業禁止規定に抵触する可能性を考えてのことでしたけれども今となってはそれがとても大きい意味を持っていたことが、大人としての責任ある判断だったと胸をなでおろしています
汚れた金は邪魔になる、と神様のお示しにはっきりと告げられています
汚れた金を使って稼ぎ口を得て汚れた金を得てその金を万が一受け取っていたのだとしたならば
わたしは恩人を裏切ることとなったでしょう
恩人は客人が手土産の菓子を持ってきた時でさえ
「その菓子はボウボウと燃えている 持って帰ってくだされ」
と、そのひとの性根まで見抜いて受け取らなかったそうです
今わたしが書いていることが創作・執筆となんの関係があるかといぶかしく思われるかもしれませんけれども、根源のことです
ワナビだろうとも右手たる芸術だからです
人間のやったことと自覚するのであればこういうことを書くつもりもありませんでした
けれどもなぜに『神様のせい』にするのですか
わたしが子供の頃に千回と繰り返し読んだ小説の作者さんは芸術を裏切る出版社に抗議するためにわざわざ出版社を移籍したのにそのひと亡きあとその移籍の栄誉に預かった出版社が裏切るのですか
ボウボウと燃える金をたらいまわしにして
それをすら神様を言い逃れにして
人為のお宮を奉ってまで
ほんとうに神様にそのお宮にお越しいただくのであれば
人間でしかないえらいひとたちから一心に反省懺悔し改心するのがほんとうです