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汚れた金は邪魔になる

 分配金に登録しないのは副業禁止規定に抵触する可能性を考えてのことでしたけれども今となってはそれがとても大きい意味を持っていたことが、大人としての責任ある判断だったと胸をなでおろしています

 汚れた金は邪魔になる、と神様のお示しにはっきりと告げられています

 汚れた金を使って稼ぎ口を得て汚れた金を得てその金を万が一受け取っていたのだとしたならば

 わたしは恩人を裏切ることとなったでしょう

 恩人は客人が手土産の菓子を持ってきた時でさえ

「その菓子はボウボウと燃えている 持って帰ってくだされ」

と、そのひとの性根まで見抜いて受け取らなかったそうです

 今わたしが書いていることが創作・執筆となんの関係があるかといぶかしく思われるかもしれませんけれども、根源のことです

 ワナビだろうとも右手たる芸術だからです

 人間のやったことと自覚するのであればこういうことを書くつもりもありませんでした

 けれどもなぜに『神様のせい』にするのですか

 わたしが子供の頃に千回と繰り返し読んだ小説の作者さんは芸術を裏切る出版社に抗議するためにわざわざ出版社を移籍したのにそのひと亡きあとその移籍の栄誉に預かった出版社が裏切るのですか

 ボウボウと燃える金をたらいまわしにして

 それをすら神様を言い逃れにして

 人為のお宮を奉ってまで

 ほんとうに神様にそのお宮にお越しいただくのであれば

 人間でしかないえらいひとたちから一心に反省懺悔し改心するのがほんとうです

2件のコメント

  • 大変考えさせられるお話をありがとうございます。私は南米で暮らしております。これらの国々では、不正、汚職、収賄、賄賂、その他様々な違法もしくはグレーゾーンの取引による利益も享受が当然であるという感覚が社会に受け入れられていると感じることが多いです。
    大人は勿論ですが、大学生や高校生の年頃にはそのような社会的な背景のようなものを受け入れ、その後の人生設計が始まるように見受けられます。
    そのような社会にいきるためには、汚れたお金を支払わざる得ない人たちもたくさんいるようです。そこで、支払わざる得ないものの、それにより享受する何らかの利益に関して最低限の責任をもち、付随する職務等を全うする姿勢を持つことも重要な気が致します。
    さらに、賄賂を受け取れる側に至った際に、いかに受け取らずその立場に含まれる責務を全うできる生物であって欲しいと感じることが多いです。
    実際にそのような人物だと感じることが出来る知人は片手で足りる程度しか知りませんが、、、

    そのような人たちもやはり汚い金により得た何かを、神様に言い逃れして誤魔化しているのでしょうか?

    違うと良いなと思いますが、お時間が許すようでしたら、ご一考下さると幸いです。
  • とても真摯なコメントをありがとうございます

    おそらく言い逃れて誤魔化しているのだろうと思います

    もしも小説が芸術を名乗れるのだとしたら

    まず書いているわたしたち自身が芸術家たらんと世の立て直しのための努力をせねばと感じています

    運営さんの煽りに流されrずに

    そういう小説を書き続けてこられたことに恩人のお陰を感じております

    ありがとうございます
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