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群像新人文学賞に応募いたしました

カクヨムさんに書かなくなって少し経ちます
『捨てないんだ』も更新ごとの投稿でなくてどこかのタイミングでまとめて載せさせていただこうと思っています
理由は極めて単純で、タイプした原稿をカクヨムさんの分をペーストするひと手間すら負担になってきていたからです

実家の両親だけでなく姑の介護も始まりました

夫婦手分けして対応していますが時間的にも気持ちの面でも金銭面でも段々と余裕がなくなってきています

おそらく日本の大半の家庭がこのような状況と思います

もはやわたしの感性の部分の話でしかないのですけれども、こういう状況下において応募するならば群像新人文学賞だろう、と素直に直感して書いて応募しました

そして書く内容も設定や状況はともかくとしてわたしが現実の娑婆において直面する問題をストレートに書かざるを得ませんでした

神仏
介護
殺生
仕事
義務
自然
野生
戦争
恩人の歌
神様のお示し

そしてこれらを「ストレートに」書く方法は、恩人の「自動筆記」です

これは『日月(にちげつ)の交わり』のあの感覚が今度は更に自然な流れとなって、恩人がわたしに、かかっている、という意識すら抱かないぐらいに考えずにタイピングできました

ほんとうは仕事の夏季休暇の間にでも両親をショートステイに数日預けてまるまる朝から晩まで執筆に充てる日を作りたいと思ったのですけれども両親は固辞したのでそれも叶わず細切れに書きました

細切れながら推敲する段になって読み直すと冒頭からほぼ修正しようのないような歌のごとくに流れていて、到底わたしの我心で書けたものではないなと改めて得心しました

わたしの尊敬する歴史書の著者がこんなことを言っていました

「我が執筆は艱難辛苦を旨とす」

それは単なる創作上の産みの苦しみというものでなく、まさしく焚書のようなことすら経験した方ですので、書けるかどうかの瀬戸際の中でものを書いてきたということです

わたしはそこまでいっているでしょうか

そこまでの障壁や臥薪嘗胆の思いでいたでしょうか

介護と仕事の併存から自分で自分のココロを苦しめてうつ病となった時に恩人に縁の深いおばあさんから

『あんたのココロに緑の綺麗な地平線が観える 景色を写真に撮りなさい」

その言葉を貰ったときから再び這うようにして書き始めてそうしてなんとかして応募することができました

我が執筆は艱難辛苦を旨とす

それは決して嘆きの言葉ではなかったろうと思います

むしろ艱難辛苦を楽しむ境地

遣唐船に乗って嵐に遭遇した弘法大師さまが、嵐すら神仏の息吹、と受け止めて密教灌頂をなし遂げたごとく、波の高さに・風の強さにむしろ喜び勇む境地

わたしもそうありたいんです

なぜならばわたしが小説に求めるものは

艱難辛苦にある世を捨てないココロだからです

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