第6話 井上毅と伊藤博文

 毅は薩長藩閥の説得について考えると同時に、岩倉に頼まれた憲法案の作成に精力を注いだ。


 いわゆる『岩倉大綱領いわくらだいこうりょう』である。


 岩倉の国家構想を箇条書きとして表すものだが、とにかく形にして、この国の憲法はこの形で行くと他の参議たちに示す必要があった。


 憲法案をまとめるのに忙しいため、井上毅は伊藤たちの周辺情報は他から集めることにした。


巳代みよ、伊藤さんはどうしてる?」


 巳代とは伊東巳代治の呼び名である。

 伊藤博文と名字の読みが被るため、巳代治は周囲に巳代と呼ばれていた。


「この間、三条さんに呼ばれて大隈さんの憲法意見書を見せられて、色々考えこんでいるみたいです」


 六月末に伊藤は太政大臣である三条実美に呼ばれ、初めて大隈重信の意見書を見た。


「考え込んでいるって、どんな感じだ?」

「伊藤さんは大隈さん案の内容より、大隈さんが自分に内緒で意見書を出していたのが気に入らないみたいです。俺は大隈に相談したのに、とぶつぶついじけていました」


 元々、伊藤と大隈は築地にある大隈の家を溜まり場にするほど仲が良かった。


 伊藤は大隈に裏切られたという思いと、信じたいという気持ちで揺れてるのかもしれない。


 翌日、毅が伊藤に会いに行くと、伊藤は少し疲れた顔をしていた。


「岩倉卿から井上に取り調べを頼んでいると聞いた。何かわかったか?」

「はい。こちらをご覧ください」

 

 毅は伊藤の前に福沢諭吉の著書を並べ、大隈案と福沢の思想の類似点を話した。


 どれだけ酷似しているかを説き、福沢が大隈と組んで、藩閥政治家を追い出す政変を目論んでいるのだと警告した。


「大隈さんの後ろで福沢が糸を引いているものと思われます」

「それはそうかもしれないが、だが、大隈の根回しが不十分だっただけかもしれないぞ」

「大隈さんほどの人が根回しをしないと思いますか? もし、開明的な人たちだけを集めて政府を変えようとしているならば、岩倉卿や薩派はともかく、伊藤さんたちに言わないはずはないでしょう」


 大隈を信じたいらしい伊藤は言葉に詰まる。


「お気持ちはわかります。大隈さんは福沢との交流で変わってしまったのでしょう。しかし福沢の思想に染まった大隈さんをこのまま参議筆頭に置けば、明治政府に歪みが起きます」


 福沢が原因で大隈はこうなってしまったという形で説得し、迷う伊藤に毅はこう願い出た。


「手を打つなら今です。今なら事態を一度に好転できます。伊藤さん、どうか貴方の手で憲法制定を進めてください。私も体が弱いと誹りを受ける身ですが尽力します」


 毅は岩倉の依頼で『岩倉大綱領』という憲法草案を作っていることを話した。

 これを元に憲法制定に向かって欲しかったのである。


「もし、貴方が憲法制定をしないならば、私はもう何の望みもないので、故郷に帰ります」

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