明治十四年の政変と井上毅

井上みなと

第1話 福沢諭吉の暗躍

 明治十四年の政変は、ただの勢力争いではなく、明治の教育の在り方まで変えた事件である。


 事件の主人公は井上毅いのうえこわし

 

 一般的には伊藤博文三羽烏いとうひろぶみさんばがらすといわれる伊藤の部下の一人であり、大日本帝国憲法を作った官僚である。


 この事件に出てくる主要な人物たちよりも無名だ。


 だが、井上毅こそが明治日本の精神、教育の方向性を決めたと言っても過言ではない。


 明治というのは開明的かいめいてきな時代である。


 維新側の大名や士族の中には、昔の権利意識から抜けられない者たちもいたが、それらを押し流すように海外から新しい知識や文化がもたらされた。


 いささか開明的すぎて、英語を公用語にしようとする者やなんでも洋風にしてしまおうとする者まで現れた。


 そこまで極端ではないが、開明派であり、明治を代表する随一ずいいちの知識人、教育者といえば福沢諭吉だろう。


 福沢は自らは政府に出仕せず、慶応義塾の経営に専念したが、たくさんの自分の教え子たちを政府に送り込み、影響力を持った。


 後に早稲田を作る大隈重信とも大変仲が良く、大隈の腹心である矢野文雄や尾崎行雄は福沢門下の慶応義塾生徒である。


 維新三傑が亡き後、富国開明ふこくかいめいを掲げた大久保利通の跡を継いだのは大隈重信、井上馨、伊藤博文の三人だった。


 彼らが大久保亡き後、日本を導こうとする中、自由民権運動が大いに盛り上がり、国会開設の気運きうんが高まってきた。


 三人は話し合い、明治十四年一月に福沢諭吉を迎えて政府系機関紙を発行することを決め、福沢も了承し、四人は国会開設の同志となった。


 しかし、その協力関係を壊す動きが起きる。


 明治十四年三月末。大隈が国会開設に関する意見書を、伊藤たちには内緒で皇族である有栖川宮熾仁親王ありすがわのみやたるひとしんのうを通じて天皇陛下に提出したのである。


 井上毅はこの裏に福沢諭吉が暗躍していると考えた。

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