第2話 政変の前夜

 明治十四年三月上旬。

 井上毅いのうえこわしは久しぶりに日本の地を踏んだ。


「おかえりなさい。長い清国出張お疲れ様です」

 

 久しぶりに毅に会った伊東巳代治いとうみよじは毅にそう声をかけた。


 伊東巳代治はまだ二十代前半の伊藤博文の子飼いの部下であるが、この数年、毅たちと共に『琉球問題りゅうきゅうもんだい』を担当していた。


 『琉球問題』とは琉球を日本の版図であると認めさせるための政治活動である。

 毅の明治十三年四月からの長きにわたる清国出張はこのためのものだった。


「こちらでは何かあったか?」


 毅の問いに巳代治は伊藤博文とその親友である井上馨いのうえかおるが正月に大隈重信おおくましげのぶと熱海で会っていたこと、天皇陛下が各参議に憲法意見書を求めていたのをみんなが順次提出しているということを話した。


「でも、ほとんどの参議が憲法意見書を提出しているのに、大隈さんだけはいつまでも出さなくて伊藤さんがれてましたよ」

「正月に熱海で会った時は大隈さんは何も言ってなかったのか?」

「いま少し待って欲しいと頼まれたって」


 巳代治は余り疑っていないようだったが、毅はきな臭さを感じた。


「何かあるな……」


 人の動きが普段と違うときは裏に何かがある。

 毅はそれが何であるのか考えようとしたが、巳代治に止められた。


「帰国したばかりなんですから、少し休んで下さい」

「そうだな。あまり動かず、できるだけ休むとしよう」


 答えてすぐ毅は軽く咳をした。


「ほら。毅さん、病弱なんだからあまり無理しないでくださいね。気持ちに引きずられて無理してしまうと後で大きく体調を崩しますよ」


 毅は高い見識けんしきと炎がほとばしるような情熱を身に秘めていたが、それに反して、身体が弱かった。


「そうだ。もう一つ変わったことがありました。大隈さんが『郵便報知新聞』を買収する動きがあるみたいですよ。矢野さんを社長にするらしいとか」


 矢野とは大隈重信の腹心、矢野文雄のことである。


「元々、矢野は郵便報知に寄稿をしていたから、社長になるのは、おかしくはないが……」


 毅と矢野は立場は違うが友人であり、お互いのことを良く知っていた。


 郵便報知新聞は数年前から国会論を展開して、国会開設論戦を起こしている。

 

 ただ、国会開設を求めたいだけなら、いつも通り寄稿すればいいだけだから、わざわざ大隈が新聞を買収するということは何かしら裏がある。


 毅がそれを推測しようとすると、また休んでくださいと巳代治に思考を止められた。


「寝る時間を惜しんで何かしたら駄目ですからね。ちゃんと寝て下さいよ」


 巳代治が行動を先読みするように念を押す。

 読まれてしまうということは明日も寝ていないと気づかれそうなので、毅は珍しく素直に頷いた。

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