第5話 表舞台を動かす端緒
岩倉邸から戻る道の間、
(この国の方向を変えられる可能性が出てきた)
毅は福沢諭吉という存在を危険視していた。
「福沢諭吉ノ著書一タヒ出テテ、天下ノ少年、靡然トシテ之ニ従フ。其脳漿ニ感シ、肺腑ニ浸スニ当テ、父其子ヲ制御スルコト能ハズ、兄其弟ヲ禁スルコト能ハズ、是レ豈布告号令ノ能ク挽回スル所ナランヤ」
毅は明治十四年の政変の後『人心教導意見』でこう書いている。
福沢の書が広まり、儒教を重んじることのない思想が少年たちに植え付けられることになれば、明治の世が乱れる危険を感じていたのだ。
「教育ノ政治ニ於ケル、密接ノ関係ヲ有シ、人心ヲ冥々ノ間ニ誘導スルコト、形影相応スルカ如シ」
同時に毅は教育が政治に大きな影響力を有すると考えていた。
つまり福沢の考え方が世に広まり、その思想に教育が支配されていけば、政治にも影響すると心配していたのだ。
だが、一官吏である毅には何も出来なかった。
それがこの大隈の密奏によって、方向を転換できる目が出た。
福沢と大隈には深い関わりがある。
それは互いの行き来を見ても、大隈の腹心たちが慶応義塾出身であることからも明らかである。
大隈が今回の密奏で薩長藩閥を出し抜こうとしていたと知れば、普段は仲の悪い薩摩と長州も手を結び、対抗するはずだ。
そうなれば大隈と共に福沢を排除することが出来る。
毅は帰宅すると、すぐに福沢諭吉の書を紐解いた。
そして、岩倉に大隈案の問題点を伝えると同時に福沢の『民情一新』を添えて送った。
福沢の思想と大隈の憲法意見書が非常に似ていると伝えるためである。
大隈と福沢の考えが似ていることは、福沢自身が大隈宛ての書簡に書いている。
福沢が直接書いたものではなくても、大隈の憲法意見書は福沢の思想が大きく影響しているであろうことを、その文面から毅は感じていた。
「書いたのは矢野あたりか。だとしたらますます福沢の影響が濃くなるな」
毅は福沢の記したものと大隈案の類似点を探しつつ、同時にどうしたら大隈たちと薩長側の対立点を明確にできるか考えた。
「まず大隈さんの案が急進的すぎるという点は使えるな。後は英国流に倣っている点が我が国の実情に合わないという点か。交詢社憲法が統治は天皇ではなく議会が行うとしている所も重要だな」
そして、一番使えるのは『密奏』だったという点である。
『大隈が参議筆頭でありながら、他の参議に相談せず、天皇ではなく議会が統治する英国流の政府を作るため、急進的な憲法公布・国会開設を望み、密奏で政変を目論み、福沢がそれを後ろから指導した』
この方向性での薩長藩閥の説得を、毅は試みることにした。
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