第7話  大隈重信と北海道官物払下げ事件

 その翌日、大隈が伊藤の家を訪ねて謝罪すると、伊藤は不機嫌そうに答えた。


「君は参議という重職にありながら、福沢如き者の代理を務めているのか」


 不審そうな目で自分を見上げる伊藤の視線を受け、大隈は謝罪した。


「いや、そのように勘違いするのは仕方ない面もあるが、我輩の奏したる案はただ見込を奏しただけであるのであって……」


 なんとか伊藤に許してもらおうと自分が粗暴であったなど繰り返し謝罪するものの、一度、芽生えた不信の種はなかなか消えない。

 

 毅は事の顛末を岩倉に報告した。


「翌日も伊藤さんと大隈さんは会いましたが、うまくいっていないようです」


 そのまま、伊藤は大隈排除に乗り出すかと思ったが、大隈が密奏などするようでは共にいられないと出仕をやめていた伊藤が、数日後に出仕した。

 

 もしかするとこのまま和解もあるのではと思い、毅は伊藤に手紙を書いた。


「昨年から国会請願の声が聞こえなくなったのは、落ち着いたのではなく、各地で福沢の私擬憲法を根本とした憲法研究が始まっているからです。交詢社は全国の多数の人たちを丸め込み、その勢力は十万の精兵を率いて無人の野を行くがごときです」


 いかにこのまま大隈の裏にいる福沢を野放しにしたら危険かを説いたが、伊藤は書記官ごときが口を出すなと聞いてくれない。


 伊藤は大隈の密奏に怒っていたが、毅と岩倉が『岩倉大綱領』を作り、伊藤抜きで憲法の話を進めていたのも気に入らないようだった。


 毅が状況を話すと、巳代治が溜息まじりに笑った。


「伊藤さんは慎重なところがあるし、すぐに排除には動かないかもしれません。いつも何かするという時は井上さんが主導することが多いですからね」


 井上さんとは伊藤の親友である井上馨であるが、今は宮島で静養していた。


 宮島となると、会いに行くにしても遠い。

 だが、毅が宮島に行く機会がやってくることになる。


 7月26日に『開拓使官有物払下げ事件』が新聞に報じられたのである。


 『開拓使官有物払下げ事件』とは北海道開拓使長官をしていた薩摩派の黒田清隆が、同じ薩摩の政商である五代友厚らに安値・無利子で、北海道の土地や鉱山などの官有物を払い下げようとしていた事件だ。


 これを暴露したのは自由民権派の新聞『東京横浜毎日新聞』である。

 

 大隈は官物払い下げに反対していた。

 そんな中、民権派の新聞がこれを暴露して報じたため、大隈が情報を流したのではないかと疑われた。


 大隈は自分はやっていないと潔白を訴えたが、大隈が反対した5日後に民権派の新聞『東京横浜毎日新聞』が報じたのはあまりに時期が悪すぎた。


 逆に毅にとってはとても時期が良かった。


 一時は大隈への態度を軟化させていた伊藤だったが、この事件で一気に大隈への不信感を募らせ、口出しするなと言っていた毅を呼んだ。


聞多もんたと連繋を取るため、連絡を取っておきたい。宮島に行って欲しい」


 聞多とは井上馨の幕末時代の名で、伊藤は明治になってもその名で呼んでいた。

 毅はすぐに宮島に行くことにした。


 静養中の井上馨いのうえかおるに会い、毅が伊藤からの伝言と状況を伝えると、馨は激しく憤った。


「なんじゃ、大隈め! 正月は共にやっていこうと約束したではないか! 福沢も学者だと思っていたら、そんな政治的野心を持っていたとは」


 雷親父かみなりおやじ渾名あだなされる井上の、怒りに火が点いた。


 毅は馨にいかに福沢の思想が危険であり、英国型の議会となれば君権がいかに脅かされるか、福沢の思想を元に自由民権運動がどれだけ火を吹いているかを説いた。


 英国型の議会政治、急進的と主張するのは、それによって対立を明確化させるためである。

 

 馨は毅の説を大いに受け入れ、伊藤に早く動けと書簡を送った。


 その後、毅は薩摩派の説得工作にかかった。

 薩閥は『北海道官物払下げ事件』で攻撃されているため、簡単に反大隈に回った。

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