第4話 井上毅と岩倉具視
明治14年6月。
毅と岩倉の縁は明治初期から続いている。
明治9年に明治天皇が下した『国憲起草の勅語』は、岩倉が大久保利通、
その頃から毅は岩倉の相談役として働いていた。
「よく来た。大変なことが起きた。大隈が密かにこんなものを渡しておった」
岩倉が見せたのは、
伊藤博文に待ってくれと言いながら、大隈は3月の時点で周りの参議たちに内緒で
「目をかけてやっていたというのにあの男は……」
毅が意見書を読む間、岩倉はそうぼやいた。
明治11年、明治天皇が上野公園に行幸された際、帰りに
これは明治天皇が各参議の邸宅に行くことで、参議たちと少しでも親密になれればと岩倉が考えた案である。
明治天皇が公家大名や維新三傑以外に、初めて行幸する家に大隈の家を選んだのは岩倉なのに、その岩倉を飛び越して左大臣である有栖川宮を通して天皇陛下に意見書を送るということは岩倉にとっては面白くない事態だった。
「大隈さんの案はまた随分と性急ですね。今年中に憲法を制定、今年か来年には憲法を公布して、来年末には議員を召集。明治16年初頭には国会を開く希望ですか」
「そのように早く憲法を作ることができると思うか?」
すでに今年も半ばである。
毅は首を軽く横に振った。
「1からすべて作るのは不可能ですから、すでにあるものを使うつもりでしょう。例えば
この時期、民間でたくさんの憲法が作られており、福沢諭吉の作った慶応義塾出身関係者の結社である交詢社でも作られていた。
だが、毅が例えに出したその名を聞いて、岩倉は被せるように声を荒げた。
「いや、あれはいかん。交詢社の考えでは宰相と議会が統治するということになっているではないか」
それは公家である岩倉にとっては許せないものであった。
「
「何か手を打ちましょう」
「どんな手がある。どうすればいい」
対策を
「岩倉卿も憲法意見書をお作りになって、主導権をこちら側に戻すのです。憲法はこの形で行くとお示しください。同時に大隈さんをどうするかについてもお考えください」
「大隈をどうするかか……」
実は岩倉は伊藤が大隈から意見書の話を聞いていないようだったので、伊藤との関係に亀裂が入らぬよう、大隈にきちんと伊藤と話せと忠告していた。
しかし、大隈はそれを無視した 。
その行動が大隈の意図を表しているように見えたが、岩倉は政府が協力して天皇を補佐してくれることを希望しており、政府の内紛を好まなかった。
「それはもう少し情報を集めてからにしよう。井上、大隈の周囲の行動を調べつつ、憲法意見書を書いてくれるか」
「かしこまりました」
岩倉の依頼を引き受け、毅は岩倉邸を出た。
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