あした世界が終わっても
大畑うに
忘れない
「先輩は、明日世界が終わるとしたら、今日なにをしますか?」
私が覗き込んで尋ねると、先輩は徐ろにこちらを一瞥する。
けれど、突拍子のない質問には慣れたもので、先輩はしばし逡巡すると大きなあくびをした。
「寝るな」
「寝ますか」
「寝る」
「先輩らしいです」
私が笑うと、仰向けに寝そべっていた先輩は上半身だけ起こして、ぐっと伸びをする。
「俺らしいか」
あ、笑った。
先輩はあまり笑わないが、たまに見せる不器用な笑い方がたまらなく可愛いと思う。
端正な顔立ちと気怠げな態度が、女子のハートを擽るらしく、遠巻きに観察している生徒も多い。
濃厚なブレザーを着崩すことなく着込む妙な生真面目さも、その起因のひとつかもしれない。
しかしこの先輩、愛想笑いや話を合わせるという表面上の優しさは皆無で、人によって態度も殆ど変わらないため、友達とわいわいしている所は見たことがない。
それに、化学が好き、という理由で理科部を創設したことで、変人なんだと認識する人も増えたと思われる。
その少し変わっている先輩は、昼休みには必ず化学準備室の床に寝転がっているのだ。
日当たり良し、誰も来ないため静かで、なんとなく理科室特有の化学物質のような臭いが好きらしい。
理科部で2人だけの部員のため、開口一番さっさと出て行けと言わないところを見ると、先輩としては仲良くしているつもりのようだ。
因みに、私は化学が苦手だ。先輩に興味がある、と言う邪な理由で入部した。
「いつまでここにいるつもりだ?」
「迷惑ですか?」
「まぁな」
にべもなく言われた私は項垂れる。
しかしながら、 素っ気ない態度もいつもの事なので、気にせず話始める私に、先輩はやれやれといった様子で苦笑いした。
この、何気ないやりとりが好きだ。
私は、断られることが分かっていたのであえて聞かず、寝そべり直してこちらを伺う先輩の隣に座り込んだ。
「私は、明日世界が終わるなら、今日はめいいっぱい遊びますね。友だちと、遊んで遊んで遊びまくります」
先輩も誘ってあげましょうか? と笑うと、いらんと断られた。
「あとは、両親にありがとうを伝えますね。それからぁ、好きな人に愛を告白します」
「そうか」
先輩は眉間に皺を寄せながら困ったような表情で相槌をうった。
「そういえば、先輩、知ってますか? なにかの本で読んだことがあるんですが、人間は会わなくなった親しい相手の記憶で、臭いの記憶を最後の最後まで覚えているみたいです」
「ああ。声から忘れるとか言うやつか」
「声も顔も忘れるけど、匂いは覚えてるんですよ。もちろん、忘れるまでですけど」
それってなんかロマンチックだと思いませんか? と聞くと、厄介なだけだろ、とまたまた淡々と言われてしまった。
先輩は大きなため息をつきながら立ち上がると、私に向き合い、さっきも聞いたセリフを言う。
「いつまでここにいるつもりだ?」
「先輩は?」
「チャイムが鳴るまで」
「じゃあ私も」
にっこり笑う私を見つめ、なにか言いたげな先輩はいつにも増して可愛いく見える。
自分よりも身長が高く体格もいい相手にする形容ではないかもしれないが、つまりは好きで仕方がないのだ。
綺麗な顔で凛と佇む先輩が気になって入部したことで、私はいろいろな先輩に触れるようになった。
不器用な笑顔も、意外にしっかり部活動をしていることも、いつの間にか頼られる回数が増えたことも、全部が新鮮で、嬉しかった。
そして、目の前で躊躇いながらも、私の真実を伝えようとする姿に、これ以上ないほどの優しさを感じる。
立ち上がり私を見下ろす先輩は、決心するような覚悟するような、珍しく固い表情をしていた。
「どうしました?」
私は、先輩の言葉を促す。
「昨日も、その前も、お前はここにきて、同じ話をした。だから、きっと、俺が言わなければいけないんだ」
先輩の言っていることはよく分かった。
分かりきっているというほど、自分でもよく分かっていた。
先輩の明日は私の明日ではない。
私の世界は、ほんの数日前に終わったのだ。
呆気ないほど突然に。
交通事故で、この世を去った。
ここに来て、あまりにも先輩が自然な態度をとるから、忘れかけていたことだ。
先輩が誠実な顔をしている。
なんだかおかしくて、私は笑った。
「泣くな」
「泣いてません」
「お前が言えないなら、俺が言う」
ずっと言いたかったこと。
ここに留まって、何度も先輩に同じ話を聞かせるほど、言いたかったこと。
明日世界が終わると分かっていれば絶対に言っていた言葉を、終わってしまった後だと言えないなんて知らなかった。
先輩を見つめる。
「好きだ。ずっと、お前が好きだった」
先輩が辛そうな顔をしている。
そんな泣きそうな顔できるんだなぁ。なんて、最後の最後に先輩の新しい表情を見ることができて、嬉しいような悲しいような、静かな切なさが胸いっぱいに広がった。
「先輩、泣かないでくださいよ」
「泣いてない」
意地悪そうな笑いを覗かせた私に、先輩も笑顔を見せてくれる。
うん、やっぱり、笑っている顔好きだなぁ。
心が温かく満たされるのが分かる。
「ふふ、じゃあもう行きますね」
「まだだ」
「先輩、」
呼びかけて、顔を近づける。
先輩の口に啄ばむようなキスをしかけた。
唇同士が触れたような気がするが、きっと気のせいなのだろう。
先輩は戸惑いながらも小さな笑みを浮かべると、私に手を伸ばした。
抱きしめられるような感覚と、鳴り出すチャイムの音。
私はサヨナラの代わりに、これ以上ないくらい明るい声を出して言った。
「先輩、私のことは早く忘れてね!」
***
チャイムが鳴り終わる頃には、そこに自分しかいなかった。
あれは幽霊なのだろうか、幻なのだろうか。
どちらにしても、もう彼女はいないのだ。
きっと、この理科室のような臭いがするたびに思い出してしまうだろう。
「ほんと、厄介な」
ーー…忘れられない匂いだ。
了
あした世界が終わっても 大畑うに @uniohata
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