第十二話「事件が終わって」
「ラドミラさん、何を言ってますの? 私は……」
廃墟に近寄る白い人影が何か言いかけたが、それよりも先に。
「『白輝の剣聖』ですって? それ、おばあちゃんが連れてくるはずだった騎士じゃないの!」
「おいおい! あいつが、
ミシェルが飛び上がらんばかりに驚くと、連れの男も呼応して目を丸くする。
「ちくしょう、話が違うぜ。騎士が相手じゃ俺の
ぶつぶつ小声で呟く男だったが、決断は早かった。
「おい、ミシェル! 逃げるぞ!」
「……やっぱり、あなたでも勝てないの?」
「そりゃそうだ、実力差ってもんがあるからな。俺たち悪党は、退き時を間違えたら、生きていけねえんだよ!」
男はミシェルの手を引き、廃墟の奥へと消えていった。
ちょうど二人の姿が見えなくなったタイミングで、正面から入ってきた女が、ラドミラのところへ。
「チラッとしか見えませんでしたけど……。今の二人、行かせて良かったのですか? この奥には、危険な
「大丈夫よ。あの二人こそが、その
「はあ? 何をわけのわらないことを……。ラドミラさん、まだ完全には癒えていないようですし、もしかして、傷による発熱か何かで、頭が朦朧としてます?」
言っている内容は
そう考えて、ラドミラは素直に述べた。
「あなたのおかげで助かったわ。ありがとう、ペトラ」
そう。
ラドミラを救ったのは、『白輝の剣聖』ことリリアーヌではない。騎士ではなく魔法士に過ぎない、ペトラだったのだ。
しかし、ミシェルと男が誤解したのも、無理はないだろう。
もともと老婆マガリーがエマールの街まで探しに出た相手は、リリアーヌだったこと。
マガリーがミシェルにラドミラを紹介した際、リリアーヌの知り合いであると告げていたこと。
エマールの街でマガリーが間違えたように、ペトラが身に纏っていたローブは、リリアーヌの鎧と同じ白色だったこと。
ミシェルと男の立ち位置からでは遠目ということもあって、エマールの街でのマガリー以上に、白ローブを白鎧と見間違えやすかったこと。
それらの条件が重なっていると気づいて、ラドミラは、敢えてペトラに「来てくれたのね、リリアーヌ! 『白輝の剣聖』!」と呼びかけたのだった。ペトラのことをリリアーヌだと、二人に思い込ませるために。
不思議そうな顔をしているペトラに対して、ラドミラは改めて告げる。
「要するに、
「あら、それは残念……」
一瞬だけ納得したような表情を浮かべてから、すぐにペトラは顔をしかめる。
「でも、この村で犠牲になった人は、実際に存在していたのでしょう? でしたら……」
「そ。それも、今の二人に殺されたのよ」
「あら、まあ! なんて酷い話! ならば、あの二人は捕縛しないと……」
ペトラが塔の奥に向かって歩き出そうとするので、ラドミラは慌てて止める。
「ダメよ、ペトラ。あなたや私じゃ、あの男には勝てないわ。残念だけど、返り討ちにされちゃう」
「……そこまでラドミラさんが言うなんて、そんなに凄い人でしたの? 遠くからだと、そうは見えませんでしたけど……」
「確かにね。ろくでなしの男だけど、一芸特化だったのよ。あいつ、
「まあ!」
その一言で、ペトラも理解する。先ほどの相手が、いかに魔法士の天敵だったのか、ということを。
だから、ああやってハッタリで追い返すのが、ラドミラにとっての『最後のチャンス』だったのだ。改めて思ったラドミラは、ふと呟く。
「うまくハッタリをかました、って考えると……。これって、私の知恵と機転で勝った、って言えるのかしら」
二人が奥へ逃げていったくらいだから、この『異界の魔塔』には、おそらく秘密の裏口があるのだろう。
しかしラドミラもペトラも、特に廃墟の中を調べることはせず、大人しくケクラン村へと戻った。
ペトラの回復魔法では治しきれなかった傷を手当てしてもらい、ラドミラは、村人たちに全ての真実を語った。貴族くずれの男が脱ぎ捨てていった
「そんな……! あの子が……!」
それ以上は言葉にならずに、崩れ落ちるマガリー。
他の者たちも驚いてはいたが、むしろ彼らは、
しかし。
マガリーがエマールの街で騒ぎ立てたこともあり、
彼らは、そう考えたらしい。
「魔法士様、どうか、今回の真相は他言無用で……」
「
「魔法士様には、大変な苦労をおかけしましたので……。どうぞ、これはお納めください」
退治すべき
「まあ、そこまで言うなら……」
少し釈然としないながらも、渋い顔で受け取るラドミラ。これは、いわば口止め料なのだ、と理解していた。
同時に、ふとミシェルの今後について考えてしまう。
村ぐるみで隠蔽しようというのであれば、わざわざ追っ手を差し向けることもないだろう。マガリーがミシェルを探そうと騒いでも、皆で止めるに違いない。
もうミシェルは、ケクラン村から追放されたようなもの。ある意味、田舎の村を出るという彼女の願いは、かなったと言えるのかもしれない。
だがミシェルの連れは、彼女自身が『悪い男』とか『女の敵』とか評していたようなヒモ男だ。ミシェルに向ける視線は誠実なものではなかったし、さすがに簡単に女を捨てたりはしないだろうが、むしろ捨てるくらいならば、どこかに売り飛ばすのでは……。
せっかく村を出ても、ミシェルに幸せな未来は待っていないだろう。そう想像するラドミラだった。
ラドミラもペトラも、すぐに村を発つことにした。エマールの街に宿をとっていたのも理由だが、それだけではなく、あまりケクラン村に長居したくないと感じたのだ。
暗い夜道を歩きながら。
最初に『異界の魔塔』を目にした地点まで来たところで、ふとラドミラは振り返る。
もはや闇に紛れて見えないが、あの辺りに、今回の騒動の中心になった廃墟が存在するはずだった。
かつては転生者の居城となり、今回は
「結局、転生者は全く関係なかったのね」
改めて事件を振り返り、小声で苦笑するラドミラ。
「ラドミラさん? 何か言いまして?」
「何でもないわ。それより……」
転生者について考えたついでに。
彼がこの世界に持ち込んだというシュークリームのことを連想し、エマールの街で食べていたペトラの姿が頭に浮かんだ。
「シュークリームのためだけにエマールまで来たんじゃなく、他に用事がある、ってペトラは言ってたけど。私を助けに来てくれた、ってことは、そっちは終わったの? それとも、私を心配して、優先させてくれたの?」
半ば雑談のつもりで――もう事件の話から頭を切り替えたくて――、尋ねてみたのだが。
「あら! もちろん、用事は済ませてきましたわ。エマールの街のシュークリーム職人の方々を回って、全員から、それぞれのレシピを教えていただいたのですよ。比べてみると、少しずつ違いがあって……。それに、シュークリーム以外にも……」
「ちょっと待って!」
隣で歩きながら嬉々として喋るペトラを、ラドミラは止める。
「それじゃ『他の用事』っていうのも、やっぱりシュークリームじゃないの! あなた、それだけのために来たんじゃない、って言ってたくせに……」
「違いますわ。ラドミラさんが『シュークリーム食べに来ただけじゃないの?』と尋ねたから、私は『違いますわ』と答えたのですよ。食べるだけではなく、レシピを聞いて回るのも、大切な目的でしたから!」
ラドミラはペトラと違って、一字一句覚えていたわけではないが。
言われてみれば、そんな会話だった気もする。
ならば、結局ペトラは、シュークリームだけが目的で辺境まで来ていたのだ。
少し呆れるラドミラだったが、その気持ちをさらに増大させるような言葉が、ペトラの口から飛び出す。
「聞いてくださいよ、ラドミラさん。一人のシュークリーム職人さんが、教えてくださいましたの。シュークリームには用いませんが、
「まさか……」
「そうですわ! だからラドミラさんが倒した
こちらはつい先ほどの出来事だから、ラドミラも覚えている。言われてみれば確かに、
「ペトラ……。あなたが来たのって、私を心配したからでもないし、加勢するためでもなかったのね!」
目を丸くして、ラドミラは叫んでしまう。
しかし、口ではそう言いながらも。
結果的に助けられたことは間違いないのだから……。
エマールに戻ったら、今夜は、何か甘い物でもペトラに御馳走しよう。
そう思うラドミラだった。
(「牛魔の潜む廃墟にて」完)
牛魔の潜む廃墟にて 烏川 ハル @haru_karasugawa
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