優しすぎる悪魔

電咲響子

優しすぎる悪魔

△▼1△▼


 僕は絶望した。

 目の前で父と母が死んだ。焼け焦げた肉塊となって。


 警察の詰問きつもんは連日続いた。

 誰もが知る大企業の社長を務める父、そして父の秘書の母が死んだのだ。

 真相解明に躍起になるだろう。それは理解できる。が。


「妹にと約束してくだされば、全部話しますよ」

「なめるなよ。俺たちは刑事だ。真実を知るためなら何でもする」

「妹はショック状態で入院中です。まさか正義の味方である刑事さんが、そのような状態の人間を無下むげに扱いませんよね?」


 取調室の可視化が義務付けられた今、このような駆け引きが使える。


「ふん。ま、お前がしゃべってくれればそれで事足りる。それ以外の情報は俺たちが足で集めるだけだ」


 案外物分りのいい刑事で助かった。


「それでは、あの日起きたことを全部話します」


△▼2△▼


「ご存知の通り、僕の家族は半年に一回の家族旅行に行く途中でした。その道中、凄まじい爆音が耳をつんざきました。僕は何が起きたのかわからず、妹を抱きかかえ守ることに必死でした。僕たち兄妹は後部座席のドアから転がり出て、九死に一生を得ました。しかし、僕の両親は、もう…… おそらく爆弾は車体の前方に仕掛けられていたのでしょう。これもあなた方が知ってる情報です。僕は呪いました。両親の、そして妹の未来を無に帰した犯人を。あれ以来、妹は精神を病み、ふさぎ込んだまま入院生活を送っています。僕とも会ってくれません。どうか犯人を捕まえてください。お願いします」


△▼3△▼


「どう思う?」

「彼はしっかり者です。長期の尋問覚悟で妹さんの盾になって」


 紫煙しえんで満たされた喫煙所で刑事たちがしゃべる。


「お前、マジでお人好しだな。……ま、例の供述を科学分析した結果、嘘はないと判明したわけだが」

「じゃあ問題ないじゃないですか。これから我々が犯人を逮捕すればいいだけです」

「確かにそうだ。だがな。俺の長年の経験上、あいつは何か隠してる」

「え? でも、包み隠さず話してくれましたが」

「新米にゃわからんだろうが、隠してるんだよ。心の奥底に」


△▼4△▼


 僕は父の書斎にいる。幼少期から父の書斎は大好きだった。自身の知的好奇心を満たす本が無数に揃っていたから。

 僕は父に、父の本を自由に読むことを許されていた。が。ただ一冊だけ。僕はその存在を知りつつも手に取らなかった本がある。


『著:悪魔』


 なんとも大胆な題名だ。それゆえ、僕はその本に忌避感きひかんを覚え、結局読むことはなかった。

 だが今なら。絶望にまみれた今なら読める。


 僕はその本を開いた。


△▼5△▼


『この呪式はXXXを混ぜたXXXXをXXに入れ、さらにXXXXXXを唱えながら自分の体にそれを注ぐ』


 僕は呪術を決行した。

 呪いの代償は僕の魂。だがそんなものはどうでもいい。他ならぬ妹のためだ。なんだってする。


 その直後。


 目の前に悪魔が出現した。


△▼6△▼


「お前の魂と引き換えに、いくらでも願いを叶えてやろう」


 悪魔は言う。


「はは…… イメージ通りの醜悪な姿だ」

「軽口は慎め。そして願いを言え」


 僕は冷や汗を拭い、願いを言った。


「僕の両親を殺した奴に復讐してください。むごたらしく殺してください。その後は煮るなり焼くなりお好きにどうぞ」

「いいだろう。で、それだけか?」

「……?」

「最初に言ったはずだ。願いを叶えてやる、と」


 僕は絶句した。そんな都合のいい話があるのか? だが――


「なら追加します。両親の復讐に加えて、妹の精神の回復と幸福な未来。可能ですか?」

「よかろう。その願い、承った」


△▼7△▼


 妹が死んだ。


 病院から訃報が届いたとき、僕の頭は真っ白になった。死因は自殺。

 そんな馬鹿な。

 悪魔が約束してくれたじゃないか。


 僕は大急ぎで病院に向かった。頼む。何かの間違いであってくれ。


「妹は! 妹はどこですか!」


 僕は病院に駆け込み看護師に向かって叫ぶ。


「ご遺体は霊安室に…… あっ。駄目です! まだ修復作業が」


 看護師の忠告を尻目に霊安室へとひた走る。

 本当に。本当に妹は死んだのか。心臓が破れそうだ。


 僕は霊安室に飛び込んだ。


「だ、誰だね君は」

「その子の兄です! 対面させてください! 確認させてください!」

「やめなさい! まだ修復途中で」


 医師の言葉を無視し、僕はシーツを取り払った。


――そこにあったのは半壊した妹の死体。

――そこにあったのは明らかに自殺の範疇はんちゅうを超えた死体。


 かろうじて残った顔面から妹だと判別できた。


「これは。これはいったいどういうことですか」

「警察には医療器具の事故だと嘘をつき、君にも自殺だと嘘をついた。しかしこうなっては真実を話すしかないようだ。……昨夜、病院全体に響き渡った轟音。それは妹さんの入院している病室から発生したものだった」


 医師は目を閉じ、静かに語る。


「そこで我々が見たものは、爆発したベッドだった。焼け焦げたにおいが充満していた。君の妹さんは精神的な病だ。医療器具の発火の可能性はない。侵入者の形跡もない。超常現象。そう結論付けるしかなかった。が、それを誰が信じるというのだろう。だから我々は関係者に嘘をついたのだよ」


△▼8△▼


『この呪式はXXXを混ぜたXXXXをXXに入れ、さらにXXXXXXを唱えながら自分の体にそれを注ぐ』


 僕は再度、呪術を決行した。


「またお前か。どうだった? 願いは叶ったか?」


 目の前に出現した悪魔は、薄笑みを浮かべつつ、いけしゃあしゃあとしゃべる。


「まず最初に。約束が違うんじゃないか?」


 悪魔が満面の笑みをたたえる。


「次に。貴様がだってことを忘れてたよ。藁にもすがる思いだったからな」


 悪魔が声を出して笑う。


「最後に。僕は貴様に復讐する。どんな手を使ってでも」

「ほう。それは楽しみだ。やってみたまえ」


△▼9△▼


 俺は憎しみと悲しみをかてに、父を凌ぐ超巨大企業を創りあげた。

 無限の富を駆使して得た最高峰の呪術。これを使えば、やつに復讐できる。


 俺は厳重に警備された本社ビルの一室で、呪いを発動しようとした。


 その刹那。


「それを使われるのは困るなあ」


 背後に悪魔が出現した。


「……今から貴様を滅ぼす。そのために生涯をかけてきた」

「だからそれを使われるのは困るんだよ。存在ごと消滅しちまう」

「言ったろ? 復讐なんだよ。妹を殺したお前への」

「そこで提案だ。妹の魂を返そう。もちろん肉体も与える」


 この期に及んで真っ赤な嘘をつきやがって。


「はは。じゃあ生き返らせてみろよ。今、この場で」


 そう言い終わるや否や、妹が現れた。当時のままの姿で。


「さらにサービスだ」


 俺は自分の手を見た。これはまるで少年の手。若返った…… のか?


「そう。これからお前は妹と幸せな人生を送れる。若返ったせいで築き上げてきたグループ会社は失うが、お前の望んでいた青春は満喫できるぞ」

「お兄ちゃん。この人、誰?」


 俺の目から涙がこぼれる。彼女は間違いなく自分の妹だ。


「そんなことはどうでもいいんだよ。これからはずっと一緒だ」


 俺は妹を抱きしめた。


△▼10△▼


「よくもまあ、こんな馬鹿正直な奴が社会的に成功できたな」


 魂を抜かれ干乾びた死体を見ながら悪魔たちがしゃべる。


「それだけ妹のことが心残りだったんだろ。気持ちはわかるさ」

「ちょっとは疑えよって、な。死者を蘇生できるのは神だけだ」

「でもまあ、最後は幸せな気分で死ねたからいいんじゃないの」

「物は考えようか。願いを叶えたいなら、神に頼めってことだ」


<了>

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