最後の日
一緒に暮らし始めて、最初の土曜日だから、五日目だった。
僕のせいか、マリのせいか、何がそうさせたのか、不思議なほどに僕らはただ一緒に過ごしただけだった。まるで仲のいい兄弟が一緒に暮らすような感じでもあった。どちらが姉なのか兄なのかは分からないが。
僕は休みで家にいて、彼女は「今日は大事な日なんだ」と言って、出かけていた。せっかく平日にやることを詰め込んで、すっきりした気持ちで臨めた休みであったのに、そんなことを考えていた。僕は仕方なく、読みかけの本を読んだ。
その日の夜だ。
あわただしく、彼女はやってきた。
「さあ、パーティーだ、祝え、祝うのだ。一緒に」
なにか、とても嬉しそうで、そして悲しそうだった。
「いいことがあったんだ、一緒に祝ってよ」
チョコレートケーキとワインと。マリが好きな食べ物でテーブルを埋めて、
「乾杯」
と、幸せそうに、寂しそうに、はっきりとそう言った。僕らはグラスを合わせる。
なった音が、すっと消えてった。僕はたぶん言うべきことを言う。
「おめでとう」
「ありがとう」
テーブルの上のものがまばらになって、お風呂に入りたいと言われ、彼女が先に入り、僕が後で入った。僕は遅いながらも、そのときだろうと決意した。今にもいなくなりそうだったから。離したくないなら、掴むしかないから。
僕は、マリのもとに、マリに近づいて、マリにもういっそう近づいた。距離がなくなる。
そして抱き合おうとした、そのとき。
彼女の背中に、羽が見えた気がしたのだ。
「あれ」
「え、どうしたの」マリがそう慌てたように言っているように見えた。
「いや、なんでも。マリが、天使みたいに見えた気がして」
マリは、ちょっと間を空いてから言った。、
「そうね、私、天使だから」
嘘を装うように、彼女はそう告げる。
僕は、もしかしたら、やはり彼女は本当に天使なのかもしれないなあと、そんなことを思うのだった。そして、抱き寄せた。
「そうだね、天使のマリ。どこにも、いかないで。これからも一緒にいて欲しいな」
とささやいてみた。雰囲気に乗せられて、言うと、マリはぷっと噴き出して笑ってしまい、
「ふふ、ごめん、笑っちゃった、ごめんね」
雰囲気が大事なのにね、と言って、でもまだ笑っていたのだった。
最高の気持ちを迎えたとたんに、それは終わりの予感だと思った。
横で寝転がっているマリが、ゆっくりと口を開けて言葉を紡ぎだす。僕は、次に聞こえてくる話を聞きたくないなと思った。
「ほんとのことを言うとね、やっぱり三度目に会ったあの日、私はあなたのこと待ってみたんですよ」
ポツリと、マリは独り言を言う。
「迷って、どうにも選べないときは、誰かに決めてもらった方が楽だから、君に決めてもらうことにしたの。このまま上手くいっていたら、絶対、別れるのは知ってたけど、でもそれを知ってたからこそ、誰かと一緒に居たかったの。絶対別れる先だから。
だから君が今日もあの時間に銅像の前を通ったら、それは、いい出会いだって決めようと思った。君もチョコを買ってきてくれる程度には、私のこと、気にしてくれてるんじゃないかなって思ったから」
まるで、いや間違いなく別れるための、二人に交わされる言葉のような気がした。
「どう、したの」
焦ってしまった僕は、上手く発音が出来なくて、言葉のトーンが変になった。
「誰かを、翻弄してこその、生きるということで、そしてこの世界だと思うの」
「なら、僕は」
「そう、あなたは私に翻弄されたの」
いつも作る、いろんな顔で、一番彼女に似つかわしくなく、たぶん誰よりも一番へたくそな小悪魔みたいな顔をして、マリは言った。
ベッドから抜け出し、彼女は言った。
「今日で、終わりなの」
また、あのとき見えた羽がまた見えた気がして、僕は思わず問いかけた。
「やっぱり天使なのかい、マリは」
彼女は少し考えた表情を作った後に、
「そう、天使なの」
と言って、少し浮いて見せた、気がした。
「だから、いなくなるのか」
「そう」
「そうか」
僕は、もう、君がいないことなんか考えてなくて、一緒にいるのが当たり前だって思ってたんだけどなあ。
「残念でしたね、私は、天使でも堕天使だったから。この世間では、こういう、悪魔みたいなのが堕天使としての象徴なんでしょ」
僕の人を、いや彼女はもしかしたら天使だけれど、彼女の表情をきちんと読み取ることが出来ているなら、やはり彼女の言っていることと、表情とでは一致してないように見えた。
彼女は服を着る。
「また帰ってくるんだよね」
――君は、押さないよね。しっかりと、言いたいことは言わないと。
「また帰ってきてくれ、マリ」
彼女は、マリは、少し泣きそうな顔をして、小さく口を開き「ごめんね」と言った気がした、僕にはそう見えた。
「じゃあね」
僕は、「またね」と言ったけど、彼女はすぐに後ろを向き、部屋から出ていった。
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