雨、チョコ、キューピットを騙った天使
つい、マリが帰ってくる時間に、マリの帰りを待っていた。
当たり前のように、マリはここに帰ってきてたのに、当たり前のようにマリはもう帰ってこなかった。
永遠に残っていくものが世界になくて必ず物は終わってしまうとしても、僕らが一緒にいた時間はあまりに短すぎたと思う。
あるいは、短いがゆえに、いい思い出になっているのだろうか。桜がきれいに咲くように。
待てば待つほどに綺麗になるなら、僕はマリの帰りを待とうと思った。その日の僕はそう思った。
マリの作ったカレーの味も再現できず、あれは、本当に夢だったのではないのかと、そんなことすら考えてしまうのだ。
空を見上げていた。雨が降り出しそうな雲がかかっていると、マリのことを思い出す。
なんとなく、マリと会っていた日はいつも雨だったような気がする。たぶん気のせいじゃなく、雨ばかりだったかもしれない。
あの別れの次の日は、マリの帰りを待ってみた。忙しくなり気味の仕事をやや無理に切り上げ、僕は帰ってきたものの、マリは帰ってはこなかった。
次の日はチョコの箱を買って銅像の前に行ってみた。マリはあそこにいることが多いはずだと思った。でも、自分でいるわけはないと知っていた。
それから、何度もチョコを買った。
なんとなく今日も買ったチョコレートの空箱は、僕の部屋の机の隅で、積みあがっているのに、さらに一段高くするだろう。こんな天気の日はつい買ってしまい、それを食べるから、少年ではないのに二つ、三つと吹き出物を作ってしまった。チョコレートの箱の塔は下の方が広く、上に行けばいくほど小さくなっており、もうすぐやめてしまうのだろうと、自分でも思ってしまう。
もし、彼女が天使で、僕をまだ見ていてくれるなら、あんな寂しそうな顔を見せたマリなら、帰ってきてくれるのではないだろうか。そう思ってしまい、思った分だけの塔だった。でも、着実にそれが先細っていっているのだ。
このままいけば、確実に消えてしまうんだろうな、そうも思える。
チョコレートを食べるために、それに合うワインだとマリにすすめられたものも、その空き瓶をいくつも作った。
空いた箱や、瓶を僕はいつ捨てるつもりなのだろうか。
あの「じゃあね」は、もう会わないという意志だ、という意味なのは、理解していた。でも、僕があきらめるまでは、たぶん、また会える可能性を残しているのではないか。もし、彼女が天使ならば、いや、そうでなくてもだ。
やけっぱちの思いで、そんなことを考えて、今日はつい、塔の一番下に積んである箱と同じ大きさのものを買った。来るまでは一番小さなものを買おうと思っていたのだが、ふと悔しい感じがした。さらにお店の人が、よくわからないが、不思議なほどにこれを薦めて、そしてなぜか値引きしてくれたから。
「このお店で私が応対した人、一万人目祝いです」と言っていた。「金額の差分は私が出してあげますから」積み上げた空箱の塔の一番上には、とても乗せづらそうであった。
その袋を左手にぶら下げ、駅の前の屋根がないところでアーケードの手前に来た。雨がぱらつき始めていた。
銅像の前で、こっちを見ている、見た目は大学生くらいの女性がいた。目が合ったが、逸らされた。
目が合った彼女がいたあの銅像の前に、天使でキューピッドを名乗る女がいたことを僕は忘れないんだろう。そうふと思ってしまう。
だからだろう、僕は見張ってたカフェの前に思わず来てしまった。しかし、思い出を振り返るだけで、何も進めてはいない。帰る方向とはその像を挟んで反対だったから、振り返って像の方へ歩く。
像の近くで、さっき目が合った女性は、今度は僕でもなく、僕がいた駅前のところでもなく別のところを見ていた。少しそわそわしていて、そしてよそ見して動こうとするものだから、こっちに向かってきて、僕はよけきれず、ぶつかる。
「わ、ごめんなさい。ああ、やばい、あれ、でも……」
ぶつかってきた女性は何かあわただしそうに何かぶつぶつ言っていた。僕は大丈夫ですよ、ということを示すつもりで少し会釈して、その場を離れようとした。
「あっ。えいっ」
ふと、誰かに押された。さっきの女性がいた方向から手が伸び出来て、それに押された。なんだ、何が起こっているんだ、と僕は思う。
そして押された拍子に、また人にぶつかるのだった。
ぶつかった相手は、きゃ、っと声をあげ、持っていた袋を落とし、その袋の中のものが飛び出す。チョコレートの箱で、僕が買ったものと同じだった。
気になって僕は、急いでぶつかった相手の顔を見る。
やあ、帰ってきてしまったの。一緒に何かおいしいものでも食べましょう。
ねえ、マリ。もう、どこへも行かないと約束して。
雨、チョコ、キューピットを騙った天使 浮立 つばめ @furyu_hatsubaki
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