チョコを渡す

 その次の日も厚い雲に覆われていて、でも雨は降っていない。そんな日だった。

 前日よりも少し早く家路につく。電車から降りたときにカバンの中身を確認する。チョコレートの入った箱の包みがある。改札を抜けた。

 昨日の女性がある一点に目をつけて立っている。昨日とは違う服を着ていたが印象は同じカジュアルな服を身にまとっている。何かを待っている様子ではあるが、こちらを伺う様子もない。そもそも、そこを僕が通ったばかりであって、そのことから僕がその待っている相手ではないのは明白だった。それで僕は今更気づくのだった。彼女は冗談を言っていたのだろうと。

 ただ仮に冗談であろうと、もう買ってきてしまっていたし、僕はそこまで甘いものが好きというわけでもないので、彼女に渡すことに決めた。

 小柄なその女性はまだ一点を見つめる。それはアーケードの入口のシンボル、小さな鐘のついた像。そんなところをじっと見て、なんになるというのか。そして何を見逃すのだろうか。

 おおよそ指定された時間であったので、僕は近づき声をかける。

「すみません、こんにちは」

「ひゃっ」と悲鳴が上がる。「なんですか」と苛立った声を上げた後で「ああ、昨日の」といった。

 そんな対応をされたので僕はムッとし、何も言わずに包みを差し出す。

 今思えばその態度はまるで僕がその女性に気がある様子のようなそれであるなと思う。でも、僕にその気がないこともなかったはずだ。

「本当に買ってきてくれたんですか」

 と驚かれる。

「お詫びに買ってきて、といったのはアンタの方だろ」

 やはり冗談だったのかと、僕は恥ずかしさを隠すあまりにぶっきらぼうに言ってしまう。

「あ、ありがとう、ございます」と少し彼女の顔が赤くなり、それにつられて僕の頬も火照ったような気がして目をそらす。気恥ずかしそうに受け取り、彼女はそれを受け取りバックにしまう。僕はその様子を見て、冗談を真に受けた自分の、その恥ずかしさを隠すために言う。

「今日は、見逃さないように、頑張ってください。俺は……帰る」

「えっと、待ってください。お礼しますから」と彼女は慌てて呼び止める。

「……仕事なんじゃないのか」相手の見た目のほうが僕より若く見えるのに、態度のせいで僕の言葉が敬語かそうでないかで定まらないことを自覚しつつ僕は聞く。

「仕事ですけど、終わった後でいいので。ならあと一時間くらいしたらまたここに来てください。それでお願いします」と昨日と全く違う態度で僕に言う。

「わかった、また後で来ます」

 僕はこの場を離れることにした。

 とはいえ彼女の仕事とやらが気になるので、近くのチェーン店のカフェに入り、窓越しに彼女の様子をうかがうことにした。


 彼女は僕が今日あった時と同様に鐘のシンボルの方を見ていた。背が低めの彼女は、僕がいる喫茶店の窓と彼女の間を、たまに通り過ぎる人影で見えたり見えなかったりする。まだ動かない彼女を僕はじっと見続ける。

 あまりに動きがないものだからと僕は空を見上げた。梅雨入りの宣言を果たしただけあって、昨日からどんよりした空が続いていた。激しい雨が降ることはないという予報であったが、僕は昨日今日と連日、傘を持ってきていた。

 そんな空に僕は思わず傘を手に持つ。雨が降ってしまったら彼女に差してあげよう。そんなことを考えている間に彼女の様子が変わる。少し身体がこわばったように見えた。

 鐘のシンボルへ目を向ける。若い男が立っていた。背は僕と同じくらいか。彼女はその人のあたりを見ている。

 そういえば彼女の名前を知らないなと思う。

 彼女はそれから五分ほど男の様子を伺っていたように見えた。僕はカップを口に近づけコーヒーを飲もうとし、もう飲み切っていたことに気づく。少し苛立った。ふと、彼女が動き出す。

 小柄な身体が鐘のシンボルの前へ向かう。先にはあの男がいる。

 彼女はずんずん進んでいき、横から来ている人にぶつかり、慌てたように謝り、急いで駅の中へと去って行った。

 ぶつかられた女性はというと、かなり体制を崩してしまいシンボルに寄り掛かる男にぶつかった。その男はぶつかられた様子を見ていたようでその女性を支えるように手で押さえていた。

 そのとき、女性の持っていたカバンの中身から小さなケースが落ちる。落ちたケースは入口を開いて中身が散らかる。その男女は二人でそれを集めていた。

 また、落ちたものが男の興味があるものだったのか話が膨らんでいるようだった。その男女は語らいあっていて、その光景を見た僕は驚いていた。これは、偶然であろうか。

 あの女が仕組んだことに思えてならなかった。第一、もう「一時間後」と言われたその時間まであと十分ほどであったし、あの女は二人の様子を伺っていた。なんなんだろうと。あとで会うときに聞いてみなければと思った。

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