押しかけるマリ
物事というのは、起こらないときには、本当に何も起こらないくせに、一つ何か起こると、立て続けに変わっていくものなんだなあ、僕はそんなことを思う。
マリが何を寂しく思い、僕に慕っているのだろうか。
目に見えるもの大体の事には代わりが存在するように、といっても、地球以外に未だ人が住める星は見つかっていないが、あのとき会っていたのが僕でなくても、マリはこんなに僕を慕うのだろうか。
しかし、あのとき、あそこにいたのがマリで僕だったから、僕らの一か月弱は、きっとどちらにとっても嬉しいもので、そして大きく溝を生んだんだろう。
マリは初めから、去るつもりで僕に会ったのだろう。
ならば、最後に見せたマリの態度は、僕が出来た、とっておきの復讐となりえたことを示しているのではないか。
あの土日の間は、しいて言えば、金曜日の延長で土曜日の朝に、
「もう眠い、限界だあ」
と言いつつ僕の部屋を出ていくマリと話したくらいで、彼女と会うことはなかった。彼女は本当に始発の時間になるまで本を読み続けていた。僕もそれにならって、買ったのに読んでいない本を読み、時々船をこぎ、そのたびに彼女につつかれ起こされた。
生活のリズムをぶっ壊された僕は、月曜日の朝にしっかりと起きるための計画を練り、土曜日は気合いで正午前に起きて、そこから踏ん張って九時過ぎまで起き、そこから八時まで寝て、その日も9時過ぎに寝た。自分でもアナログの時計を見たときに、午前か午後か、どちらか戸惑うような生活で元に戻したのだった。
マリにあったのは月曜日、また帰りだった。
「君は金曜日徹夜したはずなのに、全く眠くなさそうなのね、変なの」
と声をかけてきた。
「もしかして、この時間まで待ってたのかい」
「そうよ、悪い」
と不機嫌そうに、でも嬉しさをにじませているような感じでマリは言う。僕は、素直に嬉しくなった。もう9時も過ぎていたのに、会うときはいつも6時前に会っていたのに、そんな時間まで僕のために、と思うと、嬉しくないわけがなくて、
「いま、私が不機嫌そうに言ってることを、嬉しく思ったでしょ」
「うるさいな」
「君は、分かりやすいからね。顔が、表情を出さないようにこわばるときは、隠そうとして隠しきれてないときよ」
とまで言われてしまった。
「僕はそんなにわかりやすいかい」
「たぶん、私がすごいんでしょ」
と、胸を張られる。
「今日はどうしたの、また、食事かい」
「そうね、食べましょ」
「でも、今日はもう遅い」
「でも、私はまだ夕食を食べてない」
「でも、もう夕方ですらない」
「でも、私はとてもおなかが減った」
僕は、深く息を吐いて、
「いいよ、食べよう、今日は僕が何か作ってあげましょう」
「やったね」
マリは僕に笑ってピースサインを向けてきた。
「なんでもいいでしょ、もう遅いし、簡単なものにするけど」
「なんでもいいよ」
マリは小さめのキャリーバッグをカラカラと音を立てて引きながらついてくる。
「ところで、それは何」
「小さめのキャリーバッグね、これは」
「どうしたの、そんなの持って。旅行でも行くのか」
「そんなところよ、今までいたところが不便だったからね。近くに住もうかなって思って」
「当てはあるのか」
「そうね、週に一回だけの私が作るカレーをおいしく食べてくれそうな人のところがいいなって」
僕はしばらく考えから言った。
「まあ、いいでしょう」
「やったね」
マリは僕に笑ってピースサインを向け、それを左右に振った。
「しばらくの間、やっかいになります」
と言いながら、マリは僕の部屋へと入った。
「ホントにやっかいだ」
「よろしくね」
マリは笑う。
冷蔵庫の中身を見て、判断する。
「本当に冷蔵庫に余らせてた肉と野菜の炒めものだけど、いい」
「いいよ、構わない」
とマリはおちゃらけずにそう言った。
準備を終え、テーブルに用意する。いただきます、と僕が言うと、マリもそう言った。
「いつごろまでいるつもりかい」
「まあ、しばらくかな」
「なんの答えにもなってないね」
「そうね、でも、分からないから。区切りがつくまでかな」
「そういえば、何をしているの、マリは」
「天使のお仕事」
「それは、教えられない、ってことかな」
「まあ、探偵の真似事みたいなことってことよ」
とマリは言った。
食べ終わって、食器をマリが片づけた。
「そうだ」とマリは、僕に話しかける。
「君は、私のこと、どう思ってるの、好きですか」
「そうだね、気付いたらそうなってたかもしれない」
「そうじゃなくて、君は、私のこと、どうなの、好きなの、そうでもないの。はっきりと言って」
僕は言う。
「僕は、マリのこと。好きですよ」
マリの方へ寄ろうと思ったが、思わず自制をしてしまう。好きかどうかを聞かれただけで、彼女が僕のことを本当に好きだって確証があるわけじゃない。
「君は、ほんとに、ああ、だなあって思った。今、しようとしたことあるでしょ。それは絶対にしてみるべきことよ」
僕は何も答えない。
「好きだって言われて、私は嬉しいよ」
マリは、さらに少し僕に近づいてくる。
そして、大きくため息をついた。
「君は、押さないよね。しっかりと、言いたいことは言わないと。したいことはしないと。私がいくら君の気持ちが読めてもね、確かじゃないから言って欲しいよ、たぶん誰だってそうよ。隠さなくてもいいの、別に。本当に伝えたいことは伝えないと伝わらないよ」
僕が何もできないでいると、
「まあ、もう今日は寝ましょうか。明日は私、早いんだ」
と告げて、僕に布団を敷くようにせっついた。
彼女が言ったことは、たぶん、彼女が自分に言いたかったことなんだろうと、今ではそう思えている。
例え数日だろうと、一緒に過ごせば多少なりもその人の好きなものが見えてくる。
マリはチョコレートが好きだった。
お金に余裕があるのか少なくとも一緒にいる間は毎日、いいチョコレートを買ってきていたし、
「これ、チョコレートに合うっていう、変わったワインで、私、気に入ってるんだけど。一緒に飲まない」
とマリが好きなワインも知った。
今思えば、この日々でもっともっと一緒にいる時間にあてておけばよかった。しかし、この先のことなんか僕には知る由もないし、この時の僕はこの時なりに動いていた。仕方なかったのだ。
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